国枝史郎
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国枝 史郎︵くにえだ しろう, 1887年10月4日 - 1943年4月8日︶は日本の小説家。伝奇小説の書き手として有名。他に探偵小説、戯曲なども執筆。
人物
長野県諏訪郡宮川村︵現在の茅野市︶出身。早稲田大学英文科中退。 1968年﹃神州纐纈城﹄復刊により再評価され、三島由紀夫にも﹁文藻のゆたかさと、部分的ながら幻想美の高さと、その文章のみごとさと、今読んでも少しも古くならぬ現代性に驚いた﹂︵﹁小説とは何か﹂1972年︶と評される。またこれに続く小栗虫太郎、江戸川乱歩、夢野久作、久生十蘭など怪奇幻想ものブームのさきがけとなった。[1]経歴
1908年 早稲田大学英文科に入学。小川未明の主宰した青鳥会に参加して創作活動を行う。 1910年 最初の著書である戯曲集﹃レモンの花の咲く丘へ﹄を自費出版する。 1914年 大阪朝日新聞に入社し、新聞記者となる。 1917年 大阪朝日新聞を退社し、松竹座に入社。同社専属の脚本家となる。 1920年 バセドウ病を患い、松竹座を退社。実家に戻る。 1921年 長野県木曽福島町に移住。この頃から大衆文学の執筆を始める。 1922年 岐阜県中津川に移住するが、すぐに徳島県相生町に移る。9月、文芸誌﹁講談雑誌﹂誌上で﹃蔦葛木曽桟﹄の連載を開始する。 1927年 小酒井不木らとともに合作組合﹁耽奇社﹂を結成、﹁飛機脾睨﹂﹁白頭の巨人﹂などに参加。 1943年4月8日 喉頭癌で死亡。茅野市の宗湖寺に葬られる。作品
- 『レモンの花咲く丘へ』東京堂書店 1910年(戯曲集)
- 『蔦葛木曽桟』聚芳閣 1926年(1922-26年『講談雑誌』に連載)
- 『沙漠の古都』(1923年『新趣味』にイー・ドニ・ムニエ作、国枝史郎訳として発表)
- 『八ヶ嶽の魔神』(1924-26年『文芸倶楽部』に連載)
- 『神州纐纈城』(1925-26年『苦楽』に連載、未完)
- 『神秘昆虫館』1940年
- 『名人地獄』聚芳閣 1925年
- 『銀三十枚』
- 『娘煙術師』(1928-29年『朝日新聞』に連載)
- 『十二神貝十郎手柄話』
- 『血煙天明陣』(1933-34年『東京日日新聞』に連載)
- 『ダンサー』春陽堂 1933年(1932年『婦人公論』に連載した現代もの、出版直後に発禁)
- 『あさひの鎧』一誠社 1936年
- 『血曼陀羅紙帳武士』
作品集
参考文献
- ^ 八木昇「<大ロマン・シリーズ>回想」(『幻想文学』30号、1990年)