坊の塚古墳
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坊の塚古墳 | |
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![]() 墳丘全景(左手前に前方部、右奥に後円部) | |
所在地 | 岐阜県各務原市鵜沼羽場町 |
位置 | 北緯35度24分11.33秒 東経136度55分31.70秒 / 北緯35.4031472度 東経136.9254722度座標: 北緯35度24分11.33秒 東経136度55分31.70秒 / 北緯35.4031472度 東経136.9254722度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長120m 高さ11.5m(後円部) |
埋葬施設 | 竪穴式石槨 |
出土品 | 石製品・勾玉・埴輪など |
築造時期 | 4世紀末 |
史跡 | 岐阜県指定史跡「坊の塚古墳」 |
特記事項 | 岐阜県第2位の規模 |
地図 |
坊の塚古墳︵ぼうのつかこふん[1]/ぼうのづかこふん[2]︶は、岐阜県各務原市鵜沼羽場町にある古墳。形状は前方後円墳。岐阜県指定史跡に指定され、国の史跡への指定が答申されている︵官報告示を経て正式指定となる︶[3]。
岐阜県では第2位の規模の古墳で[注 1]、4世紀末︵古墳時代中期初頭︶頃の築造と推定される。
概要
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a8/751006_Bounotsuka_Kofun_aerial.jpg/250px-751006_Bounotsuka_Kofun_aerial.jpg)
坊の塚古墳の空中写真
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
岐阜県南部、各務原台地の東縁部に築造された大型前方後円墳である[2]。鵜沼羽場町では本古墳含む古墳9基の築造が知られる[4]。これまでには1886・1902年︵明治19・35年︶頃に盗掘に遭っているほか[4]、1992年︵平成4年︶に周濠範囲確認調査が[4]、2015年度︵平成27年度︶からは墳丘発掘調査が実施されている[5]。
墳形は前方後円形で、前方部を南西方に向ける。墳丘は3段築成。墳丘長は120メートルを測り、各務原市では最大、岐阜県では昼飯大塚古墳︵大垣市昼飯町、150メートル︶に次ぐ第2位の規模になる[4][注 1]。墳丘外表では葺石・埴輪が検出されているほか、墳丘周囲には周溝が認められる[2]。埋葬施設は後円部中央における竪穴式石槨︵竪穴式石室︶で、前述のように盗掘に遭っているが、石槨内からは石製品などの副葬品の出土が知られる。以上より、築造時期は古墳時代中期初頭の4世紀末頃と推定される[6]。
古墳域は1957年︵昭和32年︶に岐阜県指定史跡に指定されている[1]。
遺跡歴
●15-16世紀以前、盗掘被害[6]。 ●1886・1902年︵明治19・35年︶頃、盗掘被害[4]。 ●1957年︵昭和32年︶3月25日、岐阜県指定史跡に指定[1]。 ●1972年︵昭和47年︶、遺物の再発見[7]。 ●1992年︵平成4年︶、周濠範囲確認調査︵各務原市教育委員会︶[4]。 ●2015年度︵平成27年度︶以降、墳丘発掘調査︵各務原市教育委員会︶[5]。墳丘
墳丘の規模は次の通り[4]。 ●墳丘長‥120メートル ●後円部 - 3段築成。 ●直径‥72メートル ●高さ‥11.5メートル ●前方部 - 3段築成[8]。 ●最大幅‥66メートル ●高さ‥8.5メートル 後円部の発掘調査では、3段の段築の1段目・2段目では埴輪は認められず、最上段︵3段目︶でのみ円筒埴輪列が認められている[6]。-
前方部から後円部を望む
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後円部から前方部を望む
埋葬施設
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Bounotsuka_Kofun%2C_sekkaku-2.jpg/250px-Bounotsuka_Kofun%2C_sekkaku-2.jpg)
埋葬施設は竪穴式石槨︵竪穴式石室︶で、後円部中央に構築されている。この石槨は明治以前︵15-16世紀の山茶碗・土師皿が出土︶[6]および1886・1902年︵明治19・35年︶頃に盗掘に遭い[4]、後円部中央には大きな盗掘坑が存在していたが、2017年︵平成29年︶にこの盗掘坑の範囲に限定して発掘調査が実施されている[6]。
発掘調査によれば、石槨は後円部中心からやや北西に位置し、墳丘主軸と平行の北東-南西方向を主軸とする[6]。板石を積み上げた上に天井石が架けられており、天井石は計5枚が確認されている[6]。石槨の全容は明らかでないが、規模は少なくとも長さ6メートル・幅1.5メートルを測り、同時期では大型の石槨になる[9]。現在、この石槨から出土したという遺物が伝世されるほか、発掘調査でも遺物数点の出土が認められている︵後述︶。
出土品
石槨からの出土伝世品は次の通り[2]。 ●琴柱形石製品1点 ●斧形石製品1点 ●刀子形石製品1点 ●勾玉4点 ●管玉8点 ●臼玉13点 馬形埴輪の出土もあったというが、詳細は明らかでない[2]。 また、2017年︵平成29年︶の石槨発掘調査による出土品は次の通り[6]。- 墳丘祭祀遺物
- 小型丸底壺
- 高坏
- 食物形土製品 - 魚形石製品・円盤状石製品の2種。
- 石槨内埋納遺物
- 斧形石製品
- 刀子形石製品
- 滑石製勾玉
- 滑石製管玉
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壺形埴輪・小型丸底壺・高坏
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食物形土製品
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斧形石製品・刀子形石製品・滑石製管玉
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滑石製勾玉
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文化財
岐阜県指定文化財
●史跡 ●坊の塚古墳 - 1957年︵昭和32年︶3月25日指定[1]。現地情報
所在地 ●岐阜県各務原市鵜沼羽場町5-26 交通アクセス ●鉄道‥名古屋鉄道︵名鉄︶各務原線 羽場駅 ︵徒歩約6分︶ 関連施設 ●岐阜市歴史博物館︵岐阜市大宮町︶ - 坊の塚古墳出土品を保管[7]。 周辺 ●衣装塚古墳 - 岐阜県指定史跡。岐阜県最大の円墳。 ●一輪山古墳脚注
注釈
出典
(一)^ abcd坊の塚古墳︵岐阜県ホームページ︶。 (二)^ abcde坊の塚古墳︵平凡社︶ 1989. (三)^ 文化審議会の答申︵史跡名勝天然記念物の指定等︶︵文化庁報道発表 、2024年6月24日︶。 (四)^ abcdefgh西村勝広ほか 2012. (五)^ ab"築造の技術、より詳細に 各務原・坊の塚古墳"︵朝日新聞、2017年1月28日記事︶。 (六)^ abcdefgh第3次調査 現地説明会資料 2017. (七)^ ab坊の塚古墳︵古墳︶ 1989. (八)^ "前方部3段部、全体にふき石 各務原・坊の塚古墳"︵中日新聞、2018年12月19日記事︶。 (九)^ "大型な石槨と判明 各務原﹁坊の塚古墳﹂"︵中日新聞、2017年9月29日記事︶。参考文献
︵記事執筆に使用した文献︶ ●史跡説明板︵後円部側、各務原市教育委員会設置︶ ●史跡説明板︵前方部側、各務原市教育委員会、2016年設置︶ ●地方自治体発行 ●﹁坊の塚古墳第3次発掘調査 現地説明会資料﹂︵各務原市教育委員会、2017年︶。 ●事典類 ●﹁坊の塚古墳﹂﹃日本歴史地名大系21岐阜県の地名﹄平凡社、1989年。ISBN 4582490212。 ●齊藤基生﹁坊の塚古墳﹂﹃日本古墳大辞典﹄東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。 ●その他 ●西村勝広ほか﹁各務原市鵜沼に築造された坊の塚古墳の設計について (PDF)﹂﹃第24回中部地盤工学シンポジウム論文集﹄2012年。関連文献
︵記事執筆に使用していない関連文献︶- 『坊の塚古墳周濠範囲確認調査報告書(各務原市文化財調査報告書 第21号)』各務原市埋蔵文化財調査センター、1997年。
外部リンク