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塩 まさる︵しお まさる、本名‥塩 正吉、1908年2月12日 - 2003年10月16日︶は、昭和時代前期を代表する歌手である。
経歴
福島県いわき市出身。早稲田大学卒業後、東京鉄道局に勤務。
1937年︵昭和12年︶、キングレコードから歌手デビュー。同年9月発売の﹁軍国子守唄﹂、1939年︵昭和14年︶4月テイチクレコード発売の﹁九段の母﹂が大ヒット。その後は、軍国調の歌を多数吹き込む。
戦後もしばらくは歌手活動を行っていたが﹁自分の時代は終わった﹂と昭和20年代後半に歌手を止め、実業家に転進。昭和40年代の懐メロブームが始まった1967年︵昭和42年︶から﹁まだ自分にも出来ることがある﹂と歌手業を再開。老人ホームの慰問等を行うようになった。同時に発声等を再び一からやり直すなどしている。
平成に入ったあたりから、現役最年長歌手のひとりとなったことやライフワークともいえる昭和の曲︵﹁昭和の万葉集﹂と塩は語っている︶を歌い継ぐ活動が注目されはじめ、メディア出演が増加する。
1992年には古巣のキングレコードから全曲新録音のアルバム﹁塩まさる84歳の青春﹂を発売し、ギネス級と報道されるなど大いに話題となった。89歳になった1997年︵平成9年︶5月3日にもキングレコードから新曲﹁夢追草﹂を発売するなどした。この曲は作詞者︵野口家嗣‥81歳︶、作曲者︵新井由紀男‥85歳︶、編曲者︵林伊佐緒‥発売当時既に故人、編曲時83歳︶、歌手がすべて80歳以上であった[1]。91歳になった1999年︵平成11年︶12月23日にはキングレコードより﹁塩まさる全曲集﹂︵ただしこちらは過去の音源を使用したベスト盤︶を発売。この作品は2000年1月3日にTBS系列で放送された﹁カウントダウンオールヒット!1999年シングルセールスTOP200﹂で1999年の最高齢CD発売として紹介された。
21世紀に入り、90歳を超えてもなお歌い続けたが、夫人に先立たれたショックから体調を崩し2003年︵平成15年︶10月16日、老衰で死去。享年95。
略歴
●早稲田大学商学部卒業後、東京鉄道局千葉運輸事務所に勤務。
●1937年 キングレコードから﹁軍国子守唄﹂でデビュー。30万枚[2][3]を売り上げる大ヒットを記録
●1938年 ﹁母子船頭唄﹂をリリース
●1939年 テイチクに移籍。﹁九段の母﹂をリリース。
●1992年 キングレコードより、﹁塩まさる84歳の青春﹂が発売
●1997年 第39回日本レコード大賞功労賞受賞
●2003年 老衰にて95歳で死去
●2004年 キングレコードより、﹁麦と兵隊/塩まさるメモリアル﹂が発売された
代表曲
●軍国子守唄︵昭和12年9月発売︶
●母子船頭唄︵昭和13年10月発売︶
●九段の母︵昭和14年4月発売︶
●月下の吟詠 (昭和12年11月発売︶
●軍国夫婦郵便
●故郷の新聞︵昭和14年3月発売︶
●大陸列車︵昭和15年7月発売︶
●乃木将軍の歌
●皇国の兄弟
●ああシベリアの戦友よ
●転戦回顧
●靖国の戦友に
●従軍手帳から
●戦地から故郷から
●涙の子獅子
●サーカス哀歌
主な出演作品︵映画︶
●弥次喜多 名君初上り︵1940年︶
その他
●開基50年記念歌 美幌町町歌 ー 1937年︵昭和12年︶制定、作詞 大塚郷湖、作曲 須藤五郎、歌手 塩まさる。
脚注
外部リンク