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'''大坪 寛子'''︵おおつぼ ひろこ、[[1967年]][[8月24日]] - ︶は、[[日本]]の[[医師]]、[[医学者]]︵[[内科学]]︶、[[厚生労働省|厚生労働]][[官僚]]。[[健康・生活衛生局|厚生労働省健康・生活衛生局長]]。
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2024年6月11日 (火) 05:58時点における最新版
大坪 寛子 | |
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厚生労働省のウェブサイトにて 公表された肖像写真 | |
国籍 | 日本 |
教育 |
東京慈恵会医科大学 医学部卒業 |
職業 | 厚生労働技官 |
著名な実績 |
ヘモビジランスシステムの 起ち上げへの参画 |
医学関連経歴 | |
分野 | 内科学 |
所属 |
東京慈恵会医科大学 国立感染症研究所 厚生労働省 |
大坪 寛子︵おおつぼ ひろこ、1967年8月24日 - ︶は、日本の医師、医学者︵内科学︶、厚生労働官僚。厚生労働省健康・生活衛生局長。
東京慈恵会医科大学医学部助教、国立感染症研究所血液・安全性研究部研究員、環境省総合環境政策局企画課特殊疾病対策室室長、厚生労働省医政局総務課医療安全推進室室長などを歴任した。
中央合同庁舎第5号館にて[2]
その後、2008年、厚生労働省に技官として入省した[2]。同年、厚生労働省の医薬食品局にて血液対策課に配属された[2]。2009年︵平成21年︶には、厚生労働省の健康局に異動し結核感染症課に配属された[2]。2010年︵平成22年︶、厚生労働省の医薬食品局にて再び血液対策課に配属された[2]。2011年︵平成23年︶、環境省に出向し[2]、総合環境政策局の企画課にて特殊疾病対策室に配属された[2]。その後、石綿健康被害対策室に配属された[2]。翌年、特殊疾病対策室の室長に昇任した[2]。2013年︵平成25年︶、厚生労働省に戻り[2]、医政局の総務課にて医療安全推進室の室長に就任した[2]。
2015年︵平成27年︶に内閣官房に出向し、健康・医療戦略室にて参事官に就任した。2019年︵令和元年︶7月、厚生労働省にて大臣官房の審議官︵危機管理、科学技術・イノベーション、国際調整、がん対策、国立高度専門医療研究センター担当︶に就任した[5]。また、内閣官房に設置された健康・医療戦略室にて次長を兼ね、健康医療政策の取り纏めに従事した。そのほか、内閣府にて大臣官房の審議官︵科学技術・イノベーション担当︶に併任されるとともに[6]、日本医療研究開発機構・医療情報基盤担当室の室長にも併任された[6]。
2020年 (令和2年) 4月3日付で、内閣府・内閣官房の役職の兼務を解かれる。
2020年8月、厚生労働省大臣官房審議官 (子ども家庭、少子化対策担当) に就任[7]。
2023年7月、厚生労働省健康局長に就任[8]。
同年9月、健康局が組織改編され、健康・生活衛生局長に就任[9]。
概要[編集]
内科学を専門とする医学者である。東京慈恵会医科大学に勤務し、血液安全確認システムの起ち上げなどに参画した。一時、国立感染症研究所に出向し[1]、血液・安全性研究部で研究員を務めた[1]。その後、厚生労働省に技官として入省し[2]、省内の要職を歴任するとともに、環境省や内閣官房にも出向した[2]。来歴[編集]
生い立ち[編集]
1986年︵昭和61年︶、東京慈恵会医科大学に進学し、医学部の医学科にて学んだ。1992年︵平成4年︶、東京慈恵会医科大学を卒業した。その後2000年︵平成12年︶3月27日に東京慈恵会医科大学より博士︵医学︶の学位が授与された[3]。医学者として[編集]
大学卒業後は、母校である東京慈恵会医科大学の医学部の助教に就任した。また、血液安全確認システムの起ち上げなどに携わった。また、東京慈恵会医科大学附属病院で内科医を兼務した。2007年︵平成19年︶10月1日、厚生労働省の施設等機関の一つである国立感染症研究所に出向し[1]、任期付きの研究員として血液・安全性研究部に配属された[1]。2008年︵平成20年︶9月、東京慈恵会医科大学に復職した[4]。厚労官僚として[編集]
略歴[編集]
●1992年 - 東京慈恵会医科大学医学部卒業 ●2007年 - 国立感染症研究所血液・安全性研究部研究員[1]。 ●2008年 - 厚生労働省入省 ●2008年 - 厚生労働省医薬食品局血液対策課配属[2]。 ●2009年 - 厚生労働省健康局結核感染症課配属[2]。 ●2010年 - 厚生労働省医薬食品局血液対策課配属[2]。 ●2011年 - 環境省総合環境政策局企画課特殊疾病対策室配属[2]。 ●2011年 - 環境省総合環境政策局企画課石綿健康被害対策室配属[2]。 ●2012年 - 環境省総合環境政策局企画課特殊疾病対策室室長[2]。 ●2013年 - 厚生労働省医政局総務課医療安全推進室室長[2]。 ●2015年 - 内閣官房健康・医療戦略室参事官。 ●2019年 - 厚生労働省大臣官房審議官︵危機管理、科学技術・イノベーション、国際調整、がん対策、国立高度専門医療研究センター担当︶、内閣官房健康・医療戦略室次長、内閣府大臣官房審議官 (科学技術・イノベーション担当) ●2020年 - 厚生労働省大臣官房審議官 (子ども家庭、少子化対策、災害対策担当)[10]。 ●2021年 - 厚生労働省大臣官房審議官(医政、医薬品等産業振興、精神保健医療、災害対策担当) 老健局、保険局併任、内閣府健康・医療戦略推進事務局次長、内閣府日本医療研究開発機構担当室次長。 ●2022年 - 厚生労働省大臣官房官房審議官︵医政、精神保健医療担当︶(老健局、保険局併任) 。 ●2023年 - 厚生労働省健康局長。 ●同年 - 厚生労働省健康・生活衛生局長。脚注[編集]
(一)^ abcde山口一成﹁血液・安全性研究部﹂﹃国立感染症研究所年報﹄平成19年度版、国立感染症研究所。
(二)^ abcdefghijklmnopqrst大坪寛子﹁質が高く効率的な医療提供体制の構築――医療の安全性確保と質の向上を目指して﹂﹃平成27年度厚生労働省医系技官﹄厚生労働省、2015年、3頁。
(三)^ 大坪寛子, ﹁細胞内酵素活性からみた血液透析ならびに持続携行式腹膜透析患者の好中球殺菌能の検討﹂ 東京慈恵会医科大学 博士論文, 乙第2443号, 2000年, NAID 500000239918
(四)^ 山口一成﹁血液・安全性研究部﹂﹃国立感染症研究所年報﹄平成20年度版、国立感染症研究所。
(五)^ ﹃厚生労働省幹部名簿﹄2019年12月1日。
(六)^ ab﹁幹部名簿﹂﹃幹部名簿 : 組織・業務の概要 - 内閣府﹄内閣府、2019年10月30日。
(七)^ “人事、厚生労働省”. 日本経済新聞 (2020年8月7日). 2020年8月7日閲覧。
(八)^ “厚生労働審議官に田中誠二氏、医務技監は迫井正深氏 厚生労働省幹部人事”. 日本経済新聞 (2023年6月27日). 2023年7月3日閲覧。
(九)^ “健康・生活衛生局長に大坪氏 厚労省が組織改正”. 日本経済新聞 (2023年8月25日). 2023年8月26日閲覧。
(十)^ [1]厚労省
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