「妹尾韶夫」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m 音声読み上げ式ユーザーエージェントでの重複読み上げ回避(Wikipedia:バグの報告#デスクトップ版表示時の読み仮名テンプレートの表示不具合への対応版) |
m編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
[[File:Seno Akio.JPG|thumb|200px|1955年]] |
[[File:Seno Akio.JPG|thumb|200px|1955年]] |
||
{{読み仮名_ruby不使用|'''妹尾 韶夫'''|せのお あきお|1892年 |
{{読み仮名_ruby不使用|'''妹尾 韶夫'''|せのお あきお|1892年3月4日 ‐ 1962年4月19日}}は、[[日本]]の[[翻訳家]]・[[探偵小説]][[作家]]。創作では'''妹尾アキ夫'''名義での活動が多い<ref name="鮎川">鮎川哲也『怪奇探偵小説集』1([[双葉文庫|双葉ポケット文庫]]、1983年)p.54、「恋人を食う」著者紹介。</ref>。 |
||
[[岡山県]][[津山市]]生まれ<ref name="鮎川"/>。[[早稲田大学]][[英文科]]卒業後、[[1922年]]︵[[大正]]11年︶頃から[[雑誌]]﹃[[新青年 (日本)|新青年]]﹄等で英米中心の[[探偵]]小説の翻訳を手がける。{{仮リンク|ステイシー・オーモニア|en|Stacy Aumonier}}、L.J.ビーストン、[[オースティン・フリーマン|R.A.フリーマン]]、ハリス・バーランド、ブリットン・オースティン、[[アガサ・クリスティー]]の短編が特に多かった<ref>{{Cite book|和書|author=中島河太郎|year=1998|title=探偵小説辞典|publisher=[[講談社文庫]]|pages=234p}}</ref>。[[1925年]]︵大正14年︶以降はアキ夫名義で創作も手がけ、30-40作ほどの短編を発表している。
|
[[岡山県]][[津山市]]生まれ<ref name="鮎川"/>。[[早稲田大学]][[英文科]]卒業後、[[1922年]]︵[[大正]]11年︶頃から[[雑誌]]﹃[[新青年 (日本)|新青年]]﹄等で英米中心の[[探偵]]小説の翻訳を手がける。{{仮リンク|ステイシー・オーモニア|en|Stacy Aumonier}}、L.J.ビーストン、[[オースティン・フリーマン|R.A.フリーマン]]、ハリス・バーランド、ブリットン・オースティン、[[アガサ・クリスティー]]の短編が特に多かった<ref>{{Cite book|和書|author=中島河太郎|year=1998|title=探偵小説辞典|publisher=[[講談社文庫]]|pages=234p}}</ref>。[[1925年]]︵大正14年︶以降はアキ夫名義で創作も手がけ、30-40作ほどの短編を発表している。
|
2020年10月17日 (土) 10:23時点における版
妹尾 韶夫︵せのお あきお、1892年3月4日 ‐ 1962年4月19日︶は、日本の翻訳家・探偵小説作家。創作では妹尾アキ夫名義での活動が多い[1]。
岡山県津山市生まれ[1]。早稲田大学英文科卒業後、1922年︵大正11年︶頃から雑誌﹃新青年﹄等で英米中心の探偵小説の翻訳を手がける。ステイシー・オーモニア、L.J.ビーストン、R.A.フリーマン、ハリス・バーランド、ブリットン・オースティン、アガサ・クリスティーの短編が特に多かった[2]。1925年︵大正14年︶以降はアキ夫名義で創作も手がけ、30-40作ほどの短編を発表している。
また、﹃新青年﹄で月評を担当していた胡鉄梅、﹃宝石﹄で月評を担当していた小原俊一は、共に妹尾の変名だといわれている。
1962年︵昭和37年︶、脳溢血のため神奈川県川崎市で死去[1]。70歳。