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'''実吉 捷郎'''(さねよし はやお、[[1895年]]([[明治]]28年)[[1月20日]] - [[1962年]]([[昭和]]37年)[[2月15日]])は、[[日本]]の[[独文学者]]、[[翻訳家]]。 |
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一時期は[[伯爵]]・[[日野資秀]]の三女と結婚し、婚姓から「'''日野 捷郎'''」という名前で著作活動をした。 |
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長男は、国語学者で[[静岡大学]]名誉教授の[[日野資純]]。 |
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再婚後生まれた次男は、ドイツ文学者で[[シューベルト]]の歌曲の翻訳などをした[[北里大学]]教授の'''実吉晴夫'''(1940 - 2003)。 |
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府立高等学校時代には、同校の校歌を作曲をした。教え子に[[徳永康元]]などがいる。 |
府立高等学校時代には、同校の校歌を作曲をした。教え子に[[徳永康元]]などがいる。 |
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==著書== |
== 著書 == |
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*『つばくらめ 実吉捷郎遺稿集』同学社 1963 |
*『つばくらめ 実吉捷郎遺稿集』(同学社) 1963 |
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== 翻訳 == |
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*「マインツ攻囲」日野捷郎 |
*「マインツ攻囲」(大村書店、日野捷郎名義、『ゲーテ全集14』) 1925 |
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*『トオマス・マン短篇集』日野捷郎 |
*『トオマス・マン短篇集』(トーマス・マン、日野捷郎名義、[[岩波書店]]、[[岩波文庫]]) 1927、のち改版 1979 |
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*[[フリードリヒ・フォン・シラー|シラー]] |
*『たくみと恋』([[フリードリヒ・フォン・シラー|シラー]]、岩波文庫) 1934、のち度々復刊 |
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*ルートヴィヒ・トーマ |
*『悪童物語』(ルートヴィヒ・トーマ、岩波文庫) 1935 |
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**『悪童物語』沢田弘絵、[[偕成社]] |
**『悪童物語』([[沢田弘]]絵、[[偕成社]]、少年少女世界名作選) 1967 |
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*ルートヴィヒ・トーマ |
*『新悪童物語』(ルートヴィヒ・トーマ、[[白水社]]) 1938 |
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*『[[みつばちマーヤの冒険|蜜蜂マーヤ]]』([[ワルデマル・ボンゼルス]]、岩波文庫) 1937 |
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**『ミツバチ・マーヤの冒険』[[長沢節]]絵、[[岩波少年文庫]] |
**『ミツバチ・マーヤの冒険』([[長沢節]]絵、[[岩波少年文庫]]) 1951 |
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*『アンナ・妙な晩 他六篇』(ヘッベル、養徳社) 1949 |
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*『[[親和力]]』(ゲーテ、岩波文庫) 1956 |
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*『[[車輪の下]]』([[ヘルマン・ヘッセ]]、岩波文庫) 1958 |
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*『[[デミアン]]』(ヘッセ、岩波文庫) 1959 |
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*「[[バンビ (映画)|子じかバンビ]]」([[フェリックス・ザルテン]]、[[白水社]]、『ザルテン動物文学全集』) 1960 |
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== 参考文献 == |
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*『[[平成新修旧華族家系大成]]』下巻(華族家系大成編輯委員会、[[霞会館]]) 1996 |
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== 外部リンク == |
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経歴[編集]
1895年に実吉安純の六男として東京に生まれる。 東京帝国大学卒業後、水戸高等学校(旧制)[1]、府立高等学校などで教師生活を経て、1949年旧・東京都立大学教授となる。 後に桐朋学園大学教授、立正大学教授。 一時期は伯爵・日野資秀の三女と結婚し、婚姓から﹁日野 捷郎﹂という名前で著作活動をした。 義兄日野資謙の死去に伴い、1925年6月1日に伯爵を襲爵[2][3]。 1931年2月27日に隠居し[2][4]、同年4月10日に離婚[2]したため復姓した。 トーマス・マンなどの日本への紹介で貢献的な役割を果たした一人である。 長男は、国語学者で静岡大学名誉教授の日野資純。 再婚後生まれた次男は、ドイツ文学者でシューベルトの歌曲の翻訳などをした北里大学教授の実吉晴夫︵1940 - 2003︶。 府立高等学校時代には、同校の校歌を作曲をした。教え子に徳永康元などがいる。著書[編集]
- 『つばくらめ 実吉捷郎遺稿集』(同学社) 1963
翻訳[編集]
- 「マインツ攻囲」(大村書店、日野捷郎名義、『ゲーテ全集14』) 1925
- 『トオマス・マン短篇集』(トーマス・マン、日野捷郎名義、岩波書店、岩波文庫) 1927、のち改版 1979
- 『たくみと恋』(シラー、岩波文庫) 1934、のち度々復刊
- 『悪童物語』(ルートヴィヒ・トーマ、岩波文庫) 1935
- 『新悪童物語』(ルートヴィヒ・トーマ、白水社) 1938
- 『蜜蜂マーヤ』(ワルデマル・ボンゼルス、岩波文庫) 1937
- 『ヴェニスに死す』(トーマス・マン、岩波文庫) 1939、のち再改版 2000
- 『ヘッベル短篇集』(ヘッベル、岩波文庫) 1940
- 『インド紀行』上・下(ボンゼルス、岩波文庫) 1943、のち復刊 1994、2008
- 『タッソオ』(ゲーテ、育生社、ゲーテ全集5) 1948、のち岩波文庫 1950
- 『若きウェルテルの悩み』(ゲーテ、思索社) 1949、のち芸術社 1955
- 『アンナ・妙な晩 他六篇』(ヘッベル、養徳社) 1949
- 『トーニオ・クレーガー』(トーマス・マン、岩波文庫) 1952、のち再改版 2003
- 『ブッデンブローク家の人々』(トーマス・マン、河出書房) 1954
- 『ザッフォオ』(フランツ・グリルパルツァー、岩波文庫) 1953、のち復刊 2001
- 『美しき寡婦』(アルトゥール・シュニッツラー、新潮社) 1954
- 『親和力』(ゲーテ、岩波文庫) 1956
- 『車輪の下』(ヘルマン・ヘッセ、岩波文庫) 1958
- 『デミアン』(ヘッセ、岩波文庫) 1959
- 「子じかバンビ」(フェリックス・ザルテン、白水社、『ザルテン動物文学全集』) 1960
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『平成新修旧華族家系大成』下巻(華族家系大成編輯委員会、霞会館) 1996
外部リンク[編集]
日本の爵位 | ||
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先代 日野資謙 |
伯爵 日野家第3代 1925年 - 1931年 |
次代 日野資純 |