小林千代子
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クラシック音楽 |
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作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
一覧 |
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音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 宗教音楽 |
イベント |
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小林 千代子︵こばやし ちよこ、1910年 - 1976年10月25日︶は、日本の戦前期に活動した流行歌歌手・声楽家である。北海道小樽市出身。別名、金色仮面・小林伸江。
東洋音楽学校︵現・東京音楽大学︶卒。新宿ムウランルウジュで初舞台を踏み、その後、松竹楽劇部に入部する(1936年に退団)。それと同時に日本ビクター蓄音器株式会社に入社し﹁金色仮面﹂︵ゴールデン・マスク︶という芸名で音盤界デビューを果たした。当初は覆面歌手としてデビューしたが、その後に本名で活動を開始。美しいソプラノと、華やかな美貌で人気を集め、たちまち同社の看板歌手となり、﹁涙の渡り鳥﹂﹁利根の朝霧﹂﹁椿の丘﹂﹁カリオカ﹂﹁銃後の花﹂﹁人の気も知らないで﹂など数多くの大ヒット曲を生み出した。恋愛事件などもおこし、話題性も十分だった。1939年鳴り物入りでポリドールに移籍。﹁旅のつばくろ﹂のヒットを出したほか、20数曲を吹き込み、1941年タイヘイ蓄音器株式会社に移籍。ここでは﹁明け行く大陸﹂1曲のみの吹き込みで、一時芸能界から遠ざかる。
そして戦後間もなく、疎開していた新潟県で﹁小林千代子歌劇学校﹂を開校し、地元の少女を集めて少女歌劇団の指導をしていたこともあったが、昭和24年には第一線に復帰し、ポリ社に﹁青空シャンソン﹂を吹き込む。
他にも、引揚者を迎える﹁お帰りなさい御苦労さま﹂など数曲を吹き込むも、戦前のような人気を集めることができず、流行歌手を引退。
以後は、小林伸江と改名し、師・三浦環の遺志を継いで歌劇﹃蝶々夫人﹄自主公演を行うなどクラシック音楽の道に専念する。1967年には第1回マダムバタフライ世界コンクールを開催した。
1976年10月25日没。