コンテンツにスキップ

「岡麓」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
5行目: 5行目:

[[]][[]][[]][[]]退[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[|]]17[[]][[]][[]]<ref>[[]]77200244p</ref>

[[]][[]][[]][[]]退[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[|]]17[[]][[]][[]]<ref>[[]]77200244p</ref>


[[伊藤左千夫]]と知り合ったことをきっかけに、[[1899年]](明治32年)[[正岡子規]]に入門し、[[根岸短歌会]]の創設に参加。[[1903年]](明治36年)「[[馬酔木 (短歌雑誌)|馬酔木]]」編集同人となる。[[長塚節]]、[[[斎藤茂吉]]、[[島木赤彦]]らと知り合い、[[1916年]]([[大正]]5年)より『[[アララギ]]』に歌を発表。[[1926年]](大正15年)、処女歌集『庭苔』を刊行。

[[伊藤左千夫]]と知り合ったことをきっかけに、[[1899年]](明治32年)[[正岡子規]]に入門し、[[根岸短歌会]]の創設に参加。[[1903年]](明治36年)「[[馬酔木 (短歌雑誌)|馬酔木]]」編集同人となる。[[長塚節]]、[[斎藤茂吉]]、[[島木赤彦]]らと知り合い、[[1916年]]([[大正]]5年)より『[[アララギ]]』に歌を発表。[[1926年]](大正15年)、処女歌集『庭苔』を刊行。



[[1945年]](昭和20年)、『アララギ』の歌友を頼って[[長野県]][[安曇野]]に疎開。戦後[[1948年]](昭和23年)[[日本芸術院]]会員となるが、故郷に帰ることなく死去した。

[[1945年]](昭和20年)、『アララギ』の歌友を頼って[[長野県]][[安曇野]]に疎開。戦後[[1948年]](昭和23年)[[日本芸術院]]会員となるが、故郷に帰ることなく死去した。


2020年4月28日 (火) 10:47時点における版


  18771033 - 19512697


退17[1]

18993219033619165192615

194520194823

著書

  • 庭苔 古今書院 1926年(アララギ叢書)
  • 朝雲 岩波書店 1936年(アララギ叢書)
  • 小笹生 岩波書店 1937年(アララギ叢書)
  • 新選岡麓集 新潮社 1940年(新潮文庫)
  • 入信歌稿 第1編 涌井 白玉書房 1948年
  • 入信歌稿 第2編 冬空 要書房 1950年
  • 岡麓全歌集 中央公論社 1952年
  • 宿墨詠草 白玉書房 1957年
  • 正岡子規 白玉書房 1963年
  • 岡麓著作集 全7巻 白玉書房、中野久雄 1966年-1972年
  • 土大根 信濃歌稿 柳沢書苑 1970年
  • 岡麓遺墨集 明治書院 1996年
校注
  • 入木道三部集 附・本朝能書伝(校注)岩波文庫 1931年

脚注

  1. ^ 小高賢編『近代短歌の鑑賞77』新書館、2002、44p。