「平出隆」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
受賞年は、受賞年度の翌年。 |
m →著書 |
||
29行目: | 29行目: | ||
*攻撃の切尖 小沢書店、1985 |
*攻撃の切尖 小沢書店、1985 |
||
*家の緑閃光 書肆山田、1987 |
*家の緑閃光 書肆山田、1987 |
||
*ベースボールの詩学 [[筑摩書房]]、1989年2月 |
*ベースボールの詩学 [[筑摩書房]]、1989年2月 (のち講談社学術文庫、2011年3月) |
||
*白球礼讃―ベースボールよ永遠に [[岩波新書]]、1989年3月 |
*白球礼讃―ベースボールよ永遠に [[岩波新書]]、1989年3月 |
||
*平出隆詩集(現代詩文庫)思潮社、1990年5月 |
*平出隆詩集(現代詩文庫)思潮社、1990年5月 |
2012年1月6日 (金) 10:40時点における版
平出 隆︵ひらいで たかし、1950年11月21日 - ︶は、日本の詩人、エッセイスト、多摩美術大学教授。
来歴
福岡県門司市︵現北九州市門司区︶出身。福岡県立小倉高等学校を経て、1976年一橋大学社会学部卒業。在学中の1972年連作詩篇﹁花嫁﹂を﹃ユリイカ﹄に発表。1974年書紀書林設立、1975年詩誌﹃書紀﹄創刊。 1978年河出書房新社に入社、﹃文藝﹄編集部に所属。澁澤龍彦や川崎長太郎の担当編集者。1985年アイオワ大学国際創作学科客員詩人。1987年退社。 1990年多摩美術大学美術学部芸術学科非常勤講師、1991年多摩美術大学美術学部芸術学科助教授、1998年教授︵2006年から芸術学科長︶。多摩美術大学芸術人類学研究所所員兼任。1998年から99年までベルリン自由大学客員教授。 2006年中沢新一を多摩美術大学の教授として招聘。 2008年より2010年まで読売文学賞選考委員。2009年北九州市より特命大使︵文化大使︶の委嘱を受ける。2010年北九州市立文学館の宗左近賞みずかみかずよ賞審査員。2010年via wwalnuts社設立、叢書﹃via wwalnuts﹄創刊。同年﹁日中韓・東アジア文学フォーラム2010 in 北九州﹂で基調報告を行なう。妻は詩人の河野道代(1952- )で、2010年読売文学賞受賞。受賞歴
●1982年詩集﹃胡桃の戦意のために﹄で芸術選奨新人賞を受賞。 ●1994年北九州市民文化賞及び散文集﹃左手日記例言﹄で読売文学賞受賞。 ●2003年小説﹃猫の客﹄で木山捷平文学賞受賞及び三島由紀夫賞候補となる。﹃ベルリンの瞬間﹄で紀行文学大賞受賞。 ●2004年評伝﹃伊良子清白﹄で芸術選奨文部科学大臣賞及び第42回藤村記念歴程賞及び自装で造本装幀コンクール経済産業大臣賞受賞。 ●2008年詩集﹃胡桃の戦意のために﹄の英訳︵中保佐和子訳︶でアメリカの最優秀海外図書賞 Best Translated Book Award を受賞。備考
野球好きで﹃ベースボールの詩学﹄、﹃白球礼讃﹄など野球エッセイも書き、 自ら組織した草野球チームの監督兼三塁手として、最盛期は毎年65試合に出場したという。著書
- 旅籠屋 紫陽社、1976
- 平出隆詩集(新鋭詩人シリーズ)思潮社、1977
- 破船のゆくえ 思潮社、1982
- 胡桃の戦意のために 思潮社、1982
- 若い整骨師の肖像 小沢書店、1984
- 攻撃の切尖 小沢書店、1985
- 家の緑閃光 書肆山田、1987
- ベースボールの詩学 筑摩書房、1989年2月 (のち講談社学術文庫、2011年3月)
- 白球礼讃―ベースボールよ永遠に 岩波新書、1989年3月
- 平出隆詩集(現代詩文庫)思潮社、1990年5月
- 左手日記例言 白水社、1993年6月
- 弔父百首 不識書院、2000年7月
- 葉書でドナルド・エヴァンズに 作品社、2001年4月
- 猫の客 河出書房新社、2001年9月
- ベルリンの瞬間 集英社、2002年4月
- 伊良子清白 新潮社、2003年10月
- ウィリアム・ブレイクのバット 幻戯書房、2004年6月
- 多方通行路 書肆山田 2004年7月
- 雷滴 その研究(加納光於との詩画集) 書紀書林、2010年9月
- 遊歩のグラフィスム 岩波書店、2007年9月
- 鳥を探しに 双葉社、2010年1月
- 雷滴 その拾遺 via wwalnuts叢書、2010年10月
- 澁澤龍彦 夢のかたちⅠ via wwalnuts叢書、2010年11月
- 澁澤龍彦 夢のかたちⅡ via wwalnuts叢書、2010年12月
- 精神の交通のあたらしい場所 via wwalnuts叢書、2011年1月