幻想交響曲
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幻想交響曲︵げんそうこうきょうきょく、Symphonie fantastique︶作品14は、フランスの作曲家エクトル・ベルリオーズが1830年に作曲した最初の交響曲。原題は﹃ある芸術家の生涯の出来事、5部の幻想的交響曲﹄︵Épisode de la vie d'un artiste, symphonie fantastique en cinq parties ︶。﹁恋に深く絶望しアヘンを吸った、豊かな想像力を備えたある芸術家﹂の物語を音楽で表現したもので、ベルリオーズの代表作であるのみならず、初期ロマン派音楽を代表する楽曲である。現在でもオーケストラの演奏会で頻繁に取り上げられる。
続編として、音楽付きの独白劇という側面の強い“叙情的モノドラマ”﹃レリオ、あるいは生への復帰﹄作品14bが書かれており、1832年に﹃幻想交響曲﹄の再演と併せて初演されている。
概要
ベルリオーズ自身の失恋体験を告白することを意図した標題音楽である。各楽章に標題が付けられるとともに、1845年版のスコアでは演奏の際には作曲家自身によって解説されたプログラム・ノートを必ず配るようにと要請している︵1855年版では、コンサートでの演奏であれば、各楽章の標題が示されていればプログラムは省略可能としている︶。 幻想交響曲では、作曲者の恋愛対象︵ベルリオーズが恋に落ち、後に結婚したアイルランドの女優ハリエット・スミスソン︶を表す旋律が、楽曲のさまざまな場面において登場する。ベルリオーズはこの繰り返される旋律を﹁イデー・フィクス﹂︵idée fixe、固定観念、固定楽想などと訳す場合もある︶と呼んだ。これはワーグナーが後に用いたライトモティーフと根本的に同じ発想といえる[1]。イデー・フィクスは、曲中で変奏され変化していく。例えば第1楽章では、主人公が彼女を想っている場面で現れ、牧歌的であるのに対して、終楽章では魔女たちの饗宴の場面で現われ、﹁醜悪で、野卑で、グロテスクな舞踏﹂になり、E♭管クラリネットで甲高く演奏される。 レナード・バーンスタインはこの曲を、﹁史上初のサイケデリックな交響曲﹂だと述べた[2]。これは、この交響曲に幻覚的、幻想的な性質があり、またベルリオーズがアヘンを吸った状態で作曲した︵と本人が匂わせている︶ことなどによる。作曲の経緯と初演
1827年、ベルリオーズはパリで、イギリスのシェイクスピア劇団による﹃ハムレット﹄を観た。その中でオフィーリアを演じたハリエット・スミスソンに熱烈な恋心を抱き、手紙を出す、面会を頼むなどの行動に出る。しかしながら、彼女への思いは通じず、やがて劇団はパリを離れてしまう。ベルリオーズはスミスソンを引きつけるために、大規模な作品を発表しようという思いを抱いていたが、激しい孤独感のなかで彼女に対する憎しみの念が募っていく。彼は間もなく、ピアニストのマリー・モークと知り合い、恋愛関係に発展する。この曲はそのさなかに作曲された。なお、1829年には作曲者によって、交響曲についての文章が発表されている。 初演は1830年12月5日にパリ音楽院で、ベルリオーズの友人であった指揮者フランソワ・アブネックの指揮により行われた。多くの自作曲が演奏されたが、﹁幻想交響曲﹂は最も注目を集め、第4楽章はアンコールに応えてもう一度演奏されたという。出版は15年後の1845年であった。その後、1855年までの間に幾度か改訂が重ねられ、特に1855年の版ではプログラム・ノートも含めて大きな変更が加えられている。 婚約関係まで進んだベルリオーズとモークは、彼女の母によって1831年に破局させられ、モークはプレイエルの息子カミーユと結婚した。モーク母娘とカミーユを殺害しようとするほどの怒りに駆られたベルリオーズであったが、翌1832年にスミスソンと再会することになる。彼女は﹁幻想交響曲﹂の再演を聴きに来ていたのである。それをきっかけに、ベルリオーズの心に再び火がつき、今度はスミスソンも彼の愛を受け入れた。ベルリオーズの当初の目的は叶い、2人は1833年に結婚する。 日本初演は1929年5月9日、日本青年館にて近衛秀麿と新交響楽団︵現在のNHK交響楽団︶が行った[3]。曲の構成
以下の引用は、1855年版の作曲家自身のプログラムに基づく翻訳である[4]。 病的な感受性と激しい想像力に富んだ若い音楽家が、恋の悩みによる絶望の発作からアヘンによる服毒自殺を図る。麻酔薬の量は、死に至らしめるには足りず、彼は重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見、その中で感覚、感情、記憶が、彼の病んだ脳の中に観念となって、そして音楽的な映像となって現われる。愛する人その人が、一つの旋律となって、そしてあたかも固定観念のように現われ、そこかしこに見出され、聞えてくる[5]。第1楽章﹁夢、情熱﹂ (Rêveries, Passions)
彼はまず、あの魂の病、あの情熱の熱病、あの憂鬱、あの喜びをわけもなく感じ、そして、彼が愛する彼女を見る。そして彼女が突然彼に呼び起こす火山のような愛情、胸を締めつけるような熱狂、発作的な嫉妬、優しい愛の回帰、厳かな慰み[6]。 形式的には伝統的なソナタ形式をとっている。ハ短調→ハ長調第2楽章﹁舞踏会﹂ (Un bal)
とある舞踏会の華やかなざわめきの中で、彼は再び愛する人に巡り会う[7]。 ﹁固定観念﹂の旋律が随所に現れ、最後はテンポの速い流麗なワルツと共に華やかに終わる。複数のハープが華やかな色彩を添える。イ長調第3楽章﹁野の風景﹂ (Scène aux champs)
ある夏の夕べ、田園地帯で、彼は2人の羊飼いが﹁ランツ・デ・ヴァッシュ﹂︵Ranz des vaches︶を吹き交わしているのを聞く。牧歌の二重奏、その場の情景、風にやさしくそよぐ木々の軽やかなざわめき、少し前から彼に希望を抱かせてくれているいくつかの理由﹇主題﹈がすべて合わさり、彼の心に不慣れな平安をもたらし、彼の考えに明るくのどかな色合いを加える。しかし、彼女が再び現われ、彼の心は締めつけられ、辛い予感が彼を突き動かす。もしも、彼女に捨てられたら…… 1人の羊飼いがまた素朴な旋律を吹く。もう1人は、もはや答えない。日が沈む…… 遠くの雷鳴…… 孤独…… 静寂……[8] 羊飼いの吹く Ranz des vaches はアルプス地方の牧歌︵牛追い歌。ロッシーニの﹃ウィリアム・テル﹄序曲の第3部参照︶。コーラングレと舞台裏のオーボエによって演奏される。この楽章の主要旋律︵20小節目からフルートと第1ヴァイオリンとで奏される︶は、破棄するつもりだった自作﹃荘厳ミサ﹄のGratias agimus tibiでも使用されている。ヘ長調第4楽章﹁断頭台への行進﹂ (Marche au supplice)
彼は夢の中で愛していた彼女を殺し、死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。行列は行進曲にあわせて前進し、その行進曲は時に暗く荒々しく、時に華やかに厳かになる。その中で鈍く重い足音に切れ目なく続くより騒々しい轟音。ついに、固定観念が再び一瞬現われるが、それはあたかも最後の愛の思いのように死の一撃によって遮られる[9]。 1845年版のプログラムでは、ここでアヘンを飲んで夢を見ることになっている。ト短調第5楽章﹁魔女の夜宴の夢﹂ (Songe d'une nuit du Sabbat)
彼はサバト︵魔女の饗宴︶に自分を見出す。彼の周りには亡霊、魔法使い、あらゆる種類の化け物からなるぞっとするような一団が、彼の葬儀のために集まっている。奇怪な音、うめき声、ケタケタ笑う声、遠くの叫び声に他の叫びが応えるようだ。愛する旋律が再び現われる。しかしそれはかつての気品とつつしみを失っている。もはや醜悪で、野卑で、グロテスクな舞踏の旋律に過ぎない。彼女がサバトにやってきたのだ…… 彼女の到着にあがる歓喜のわめき声…… 彼女が悪魔の大饗宴に加わる…… 弔鐘、滑稽な怒りの日のパロディ。サバトのロンド。サバトのロンドと怒りの日がいっしょくたに[10]。 ﹁ワルプルギスの夜の夢﹂と訳される事もある。グレゴリオ聖歌﹃怒りの日﹄︵Dies Irae︶が主題に用いられ、全管弦楽の咆哮のうちに圧倒的なクライマックスを築いて曲が閉じられる。また曲の終結部近くでは弓の木部で弦を叩くコル・レーニョ奏法が用いられている︵弓を傷める可能性があるので高価な弓を使う奏者はそれを嫌い、スペアの安い弓をこの演奏で使うこともある︶。ハ長調→ハ短調→ハ長調演奏時間
約55分 - 第1楽章と第4楽章のすべての繰り返しを含む。繰り返し無しでは約50分。楽器編成
木管 | 金管 | 打 | 弦 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
Fl. | 2(2番ピッコロ持ち替え) | Hr. | 4 | Timp. | 4台(3楽章1人1台4人、4楽章~2人2台ずつ) | Vn.1 | 15 |
Ob. | 2(2番コーラングレ持ち替え) | Trp. | 2,(ピストン付き)コルネット 2 | 他 | シンバル、大太鼓、小太鼓、 鐘 2(C音と完全4度下のG音) |
Vn.2 | 15 |
Cl. | 2(1番E♭管持ち替え) | Trb. | アルト 1, テナー 2 | Va. | 10 | ||
Fg. | 4 | 他 | オフィクレイド 2 | Vc. | 11 | ||
他 | Cb. | 9 | |||||
その他 | ハープ(少なくとも4台あることが好ましい) |
1844年の演奏では、第2楽章でコルネットのオブリガートが追加された。当時のコルネットの名手であるジャン=バティスト・アルバンのために書かれたと考えられ[11]、現在でもこのパートが演奏されることがある[12]。1855年に全面改訂された際には採用されず、新全集版でもスコア本体への記載は無いが、旧全集版および音楽之友社スタディ・スコア︵OGT235︶にて参照できる。
幻想交響曲は管弦楽法の面でも、コーラングレ、E♭管クラリネット、コルネット、オフィクレイド、複数のハープ、鐘の交響曲への導入、コル・レーニョ奏法の使用、コーラングレと舞台裏のオーボエの対話、4台のティンパニによる雷鳴の表現など、先進的な点が多く、後世に影響を与えた。これは楽器が改良され、音量面や機構などで大きな向上がなされた結果である。例えば、ベートーヴェンの最晩年にようやく開発されたバルブ・システムによって、金管楽器でも半音階が容易に演奏可能となった。この進取性こそが、ベルリオーズを﹁近代管弦楽法の父﹂たらしめている所以でもある。
奏法についても楽譜に細かい指示が書き込まれている。例えば、ティンパニに関してはマレットについて﹁木﹂、﹁皮張り﹂、﹁スポンジ︵海綿または綿球︶﹂と固さの指示があり、﹁拍頭の音だけばち2本で、あとは右手だけで﹂︵第4楽章︶など叩き方も指定されている。シンバルでも打ち合わせる通常の奏法の他、頭部をスポンジで覆ったマレットで叩くよう指定された箇所もある︵指定が脱落している楽譜もある︶。
準備が難しい楽器は演奏の際に他の楽器で代用されたり、省略されたりする場合がある。オフィクレイドは現在は多くチューバで演奏される。2つの鐘はしばしばチューブラーベルのC5音とG4音︵国際式階名表記、以下同じ︶で代用される[13]が、ベルリオーズは低く深い音︵C4とG3、またはC3とG2、またはC2とG1[14]︶を要求しており、充分に低い音の鐘が用意できない場合はピアノで演奏するようにと指示している[14][15]。スコア上では鐘のパートが2段のピアノ譜で書かれていることや、求められている音が低いことなどから、むしろ鐘でなくピアノを使うべきだとする見解もある[16]。4台以上のハープの指定についても現在では2台で演奏されることが圧倒的に多いが、オリジナル楽器による演奏ではベルリオーズの指示に従うことが多く、なかには6台も使用した演奏もある。
初演の際の楽器の調達について、コーラングレや鐘はオペラ座から、E♭管クラリネットやオフィクレイドは軍楽隊から用意した事実が明らかとなっている。
幻想交響曲で先進的に用いられている楽器とその後世での使用法をみると、コーラングレはドヴォルザークの管弦楽曲など、ワーグナー以降の3管編成によくみられる。また、ワーグナー以降の3管編成は主にバスクラリネットが使われ、E♭管の小クラリネットが本格的に使われるのは、四管編成が用いられるマーラーの交響曲以降、ラヴェルやショスタコーヴィチなどからである。4本のファゴットはヴェルディの﹁ドン・カルロ﹂や﹁オテロ﹂に見ることができる︵フランスでは当時︵今日でも一部で︶ドイツ式のファゴットではなく、フランス式のバッソンが使用されているが、これは音量が大きくないため、本数が多めに指定されることがしばしばあった︶。
2本のコルネットはフランクの管弦楽曲、ドビュッシーの管弦楽曲などで用いられている。ビゼーの﹁カルメン﹂でも2本のトランペットかコルネットのどちらかが用いられる。フランス以外でも チャイコフスキーなどのロシア系の作曲家や、ヴェルディの﹁ドン・カルロ﹂や﹁オテロ﹂などに用例が見られる。オフィクレイドはチューバが発明されるまで使用された金管の低音楽器であるが、2本以上のチューバはリヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲に、3本以上はメシアンの管弦楽曲に用例がある。
ティンパニを複数奏者に演奏させるのは、リストのダンテ交響曲やワーグナーの﹁タンホイザー﹂、﹁ローエングリン﹂、﹁ニーベルングの指環﹂、﹁パルジファル﹂にみられる。またマーラーやストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ、ベルント・アロイス・ツィンマーマン、ノーノまでのティンパニもこの作品の強い影響下にある。また鐘の使用は、イタリアやロシアのオペラにおける教会などの場面や、マーラーやショスタコーヴィチの交響曲にみられる。
さらに、弦楽器の数の指定は、ワーグナーを経てリヒャルト・シュトラウス、メシアンなどに見られる。複数のハープの指定は、ワーグナーの﹁ニーベルングの指環﹂で6台の指定がある他、マーラーやリヒャルト・シュトラウスは2声部で書くことが多いが出来るだけ倍にするようにと指定されていることもある。ブルックナー、メシアンやブーレーズの管弦楽曲でも3台のハープが指定されているものがある。