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略歴
●1899年、山形県鶴岡市に生れる。
●1928年5月、日本犬保存会を創立し、日本犬の調査を開始する。
●7月、調査中に偶然ハチの存在を知る。
●8月、日本犬保存会、第一回犬籍簿にハチの来歴を掲載する。
●秋頃、群馬県多野郡上野村楢原字黒川集落の猟師、飯出庄太郎からチン︵7歳オス︶を譲り受け、この集落近くにある十石峠から名を取り﹁十石号﹂と名付ける。以後、この地域に生息する地犬が﹁十石犬﹂と呼ばれるようになる。
●1932年9月、ハチ︵数え年10歳︶の写真と履歴を日本犬保存会の会誌﹁日本犬﹂第一巻二号に発表する。
●10月4日、渋谷駅で邪険に扱われているハチを哀れみ、ハチのことを東京朝日新聞に寄稿した。これが﹁いとしや老犬物語﹂として新聞に載り、有名になったハチは人々から忠犬ハチ公と呼ばれるようになる。
●1933年6月、この頃、弘吉と友人であった同じ東京美術学校出身の彫刻家・安藤照より、﹁ハチ公をモデルにして彫刻をつくり、秋の帝展に出したい﹂と依頼がある。
●1934年1月9日、ハチ公銅像建設会が発足し発起人となって募金活動を始める。
●3月10日、午後5時から日本青年館で開かれた﹁ハチ公の銅像建設基金募集の夕﹂に出席する。
●4月21日、渋谷駅前にハチ公の銅像が建てられ、除幕式に出席する。
●5月、弘吉執筆のハチ事跡概要を、安藤照製作のハチ臥像と共に、天皇︵昭和天皇︶・皇后︵香淳皇后︶・皇太后︵貞明皇后︶に献上する。
●1935年3月8日、忠犬ハチ公が老衰と肝臓病がもとで逝く。数え年13歳。
●1937年、日本犬保存会が文部省から社団法人の認可を受ける。
●1942年、息子で陶芸家の辻厚成が誕生する。
●1945年5月25日、東京大空襲で、弘吉の研究室が焼失しハチ公の骨格標本などがすべて無くなってしまう。ハチ公像の原型は、安藤照が疎開途中の東京駅で焼失してしまい、安藤も自宅で焼死する。
●1947年、この頃、安藤照の息子で彫刻家の安藤士より、﹁ハチ公銅像再建のため、原型をつくりたいので指導してほしい﹂と依頼がある。この時造られた試作品の石膏像が、弘吉の出身地である山形県鶴岡市の藤島庁舎︵旧藤島町役場︶に展示してある。
●1948年、社団法人日本動物愛護協会の理事長に就任する。
●1953年、社団法人日本動物愛護協会が月報﹁動愛﹂を発行し編集委員長に就任する。
●1957年、月報﹁動愛﹂が﹁どうぶつの友﹂と改称され編集委員長に就任する。
●1959年、東京タワーのそばに、弘吉︵斎藤弘山︶が構成を担当し、安藤士が制作した﹁南極カラフト犬記念群像﹂が竣工される。
●1963年、﹁全集日本動物誌12﹂ 講談社に﹁愛犬ものがたり﹂収録。著書﹁犬科動物骨格計測法﹂を出版する。
●1964年、著書﹁日本の犬と狼﹂を出版する。
●9月19日、死去。享年65。
親族
●妻‥辻輝子 - 陶芸家、日本の女性陶芸家第1号、仙台万華鏡美術館名誉館長
●義弟‥辻清明 - 陶芸家、東京都名誉都民
●子‥辻厚成 - 陶芸家
●孫‥辻厚志 - 陶芸家
著作物
著書
●﹃愛犬ものがたり﹄ 文藝春秋新社 1963年︵﹁全集日本動物誌12﹂ 講談社 1983年 ISBN 4-06-147712-9 に収録︶
●﹃犬科動物骨格計測法﹄ 自費出版 1963年
●﹃日本の犬と狼﹄ 雪華社 1964年
論文
●﹃日本狼骨格の研究﹄
●﹃日本史前家犬の分類﹄
●﹃甲斐虎毛犬調査報告﹄︵﹁甲斐犬﹂1967年4月、甲斐犬愛護会発行に収録︶
●﹃美術と生活﹄
作品
●﹃曲水の庭﹄ 国立近代美術館
●﹃南極カラフト犬記念群像﹄ 彫像‥安藤士、構成‥斎藤弘山︵斎藤弘吉︶
関連項目
●秋田犬
●上野英三郎
●渋谷駅ハチ公口
●ハチ公物語
●鶴岡ハチ公像保存会
●グレーフライアーズ・ボビー
外部リンク
●社団法人日本犬保存会
●財団法人日本動物愛護協会
●社団法人日本庭園協会
●日本哺乳類動物学会