東京駅
東京駅 | |
---|---|
![]() 丸の内口(2023年6月) | |
とうきょう Tōkyō/Tokyo | |
![]() | |
所在地 | 東京都千代田区丸の内一丁目 |
所属事業者 |
概要[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/24/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%A7%85%E5%85%A8%E6%99%AF%EF%BC%882021%E5%B9%B43%E6%9C%88%EF%BC%89.jpg/220px-%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%A7%85%E5%85%A8%E6%99%AF%EF%BC%882021%E5%B9%B43%E6%9C%88%EF%BC%89.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/08/Tokyo_station_190922a.jpg/220px-Tokyo_station_190922a.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/19/Tokyo-Station_Nihonbashi.jpg/220px-Tokyo-Station_Nihonbashi.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fa/JRE_Tokyo-STA_Entrance-11.jpg/220px-JRE_Tokyo-STA_Entrance-11.jpg)
乗り入れ路線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/86/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%A7%85%E5%91%A8%E8%BE%BA%E3%81%AE%E4%BD%8D%E7%BD%AE%E9%96%A2%E4%BF%82.jpg/220px-%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%A7%85%E5%91%A8%E8%BE%BA%E3%81%AE%E4%BD%8D%E7%BD%AE%E9%96%A2%E4%BF%82.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3b/Lines_from_Tokyo_Station.svg/220px-Lines_from_Tokyo_Station.svg.png)
![JT](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/92/JR_JT_line_symbol.svg/15px-JR_JT_line_symbol.svg.png)
![JU](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fc/JR_JU_line_symbol.svg/20px-JR_JU_line_symbol.svg.png)
![JK](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/16/JR_JK_line_symbol.svg/15px-JR_JK_line_symbol.svg.png)
![JY](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/04/JR_JY_line_symbol.svg/15px-JR_JY_line_symbol.svg.png)
![JC](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/79/JR_JC_line_symbol.svg/15px-JR_JC_line_symbol.svg.png)
![JO](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1b/JR_JO_line_symbol.svg/15px-JR_JO_line_symbol.svg.png)
![JE](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c3/JR_JE_line_symbol.svg/15px-JR_JE_line_symbol.svg.png)
歴史[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/87/Tokyo_Station_original_shape.jpg/220px-Tokyo_Station_original_shape.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a8/Tokyo_Station_police_box_The_Great_Kanto_Earthquake_of_1923.jpg/220px-Tokyo_Station_police_box_The_Great_Kanto_Earthquake_of_1923.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2b/Hitlerjugend_Japan_visit_1938_Heil.jpg/220px-Hitlerjugend_Japan_visit_1938_Heil.jpg)
建設[編集]
ドイツから招聘されて、日本の鉄道建設を指導していた技術者フランツ・バルツァーにより駅の位置や規模、構内の配置が決められた。駅舎は繁華街のある東側︵現在の八重洲側︶ではなく、陸軍の練兵場跡地だった西側︵現在の丸の内側︶と決まった。皇居の正面と対峙することになり、国家の象徴的な位置付けであった。プラットフォームはレンガ積の高架式4面8線で、新橋駅まで複々線の高架橋が計画された。東側には貨物ヤードが置かれることになった︵後に車両基地に変更︶。バルツァーは日本風の駅舎を提案していたが、日本側に反対意見が多くバルツァーの構想は実現しなかった。 駅舎は辰野金吾と葛西萬司が設計し、そのデザインは﹁辰野式ルネッサンス﹂と呼ばれ皇室用玄関である﹁天皇の駅﹂としてのシンボリックな意味を持たせる事になった[7][要ページ番号]。埼玉県深谷市から鉄道輸送されたレンガ[※ 9]と鉄筋造り、3階建て総建坪9,545 m2・長さ330 mの豪壮華麗な洋式建築である。南北にそれぞれドーム状の屋根があり、当時は丸の内南口が乗車口、丸の内北口が降車口と分けて使用されていた。中央の玄関は皇室専用とされ、規模は小さいものの、細かい装飾が各所に施されていた。中央玄関と東西の一般出入り口との間に、各1つ別の出入り口があるが、これは荷物の搬入搬出口として設けられた。開業年の1914年は第一次世界大戦の開戦の年でもあり、青島の戦いを指揮した陸軍司令官神尾光臣中将が凱旋し、皇居に参内するイベントに合わせて開業式を行った。式典では、鉄道の草創期から建設を牽引してきた大隈重信首相が演説した。 アムステルダム中央駅が当駅舎を設計する際のモデルになったという説があるが、1988年以降に藤森照信らをはじめとする西洋建築研究者により設計者の系譜や建築様式の両面から、否定的な意見も出ている[8]。辰野は英国留学の経験があり、首都ロンドンのターミナル駅を参考にした可能性もある︵以降は歴史・年表を参照のこと︶。発展[編集]
1919年︵大正8年︶3月1日に中央本線が、1925年︵大正14年︶11月1日に東北本線の電車線︵現在の京浜東北線︶が、1928年には同じく東北本線の列車線︵現在の宇都宮線︶が乗り入れ、翌1929年︵昭和4年︶12月16日には東側に八重洲橋口︵現在の八重洲口︶が開設する[※ 10] など、徐々にターミナル駅としての体裁を整えていった。 1923年︵大正12年︶には関東大震災で被災したものの大きな被害はなく、1935年と1940年の満洲国皇帝の溥儀の来日においては昭和天皇が出迎えに来たほか、チャールズ・チャップリンの東京来訪や、1938年のヒトラーユーゲントの来日などにおいては東京の玄関口として機能した。 1926年︵大正15年︶4月25日、東京駅と上野駅で入場券の自動券売機︵10銭︶が稼働し始めた[9]。戦災と復興[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/63/Tokyo_station_disastrous_scene_of_after_Great_Tokyo_Air_Raid.jpg/220px-Tokyo_station_disastrous_scene_of_after_Great_Tokyo_Air_Raid.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e5/Tokyo_Station.1963.jpg/220px-Tokyo_Station.1963.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b1/Tokyo_Station_Marunouchi_Building_19971108-1.jpg/220px-Tokyo_Station_Marunouchi_Building_19971108-1.jpg)
新幹線開業後[編集]
1964年︵昭和39年︶10月1日に東海道新幹線が開業し、1972年︵昭和47年︶7月15日には総武地下ホーム、1990年︵平成2年︶3月10日には京葉地下ホームがそれぞれ営業を開始。1991年︵平成3年︶6月20日には東北新幹線が乗り入れた。 2000年︵平成12年︶、丸の内駅舎を創建当初の姿に復原する方針がまとめられた。500億円とされた復原工事の費用は、東京駅の容積率を丸の内地区の高層ビルへ移転︵売却︶することで賄うことになった。復原工事自体は、2007年︵平成19年︶5月30日に起工[報道 1] され、2012年︵平成24年︶10月1日に完成した[報道 2]。 2015年︵平成27年︶、上野東京ラインが開業。東北新幹線の東京駅乗り入れに伴い1983年以来分断されていた東京駅 - 上野駅間の東北本線の線路が再接続され、東海道本線との直通運転が実現した。将来の計画[編集]
つくばエクスプレス延伸・都市部臨海地下鉄構想 首都圏新都市鉄道のつくばエクスプレスが大深度地下を利用して秋葉原駅から当駅に乗り入れる計画がある。駅は丸の内仲通り直下に建設される予定である[12]。1985年の運輸省・運輸政策審議会による運輸政策審議会答申第7号では当駅起点での整備を求めながらも、採算面の問題で秋葉原駅始発へ変更された経緯がある。 さらに、2016年の国土交通省・交通政策審議会による交通政策審議会答申第198号では、中央区が推進している﹁都心部・臨海地域地下鉄構想﹂︵国際展示場方面︶との一体整備および相互直通運転が盛り込まれている。 都心直結線︵新東京駅︶ 京成押上線押上駅と京急本線泉岳寺駅を当駅経由でつなぎ、成田空港から30分台、羽田空港から20分台のアクセスを実現させる都心直結線の構想がある。この構想では京急と京成の通勤電車も乗り入れるとしている。設置場所はつくばエクスプレスと同じく丸の内仲通りの直下が有力とされていたが[13]、進展は無い。 京葉線の中央線方面延伸 2000年の運輸政策審議会答申第18号では、京葉線を大深度地下で新宿駅経由三鷹駅までの延伸を行い、中央線と直通運転させる延長線を、ともに2015年までに整備着手するのが適当であるとした。2016年の答申第198号にも引き継がれているが、計画の具体化には至っていない。 東京モノレール延伸 モノレール浜松町駅止まりとなっている東京モノレールを東京駅へ延伸する計画がある。完成すれば羽田空港第3ターミナル駅まで18分、羽田空港第1ターミナル駅まで23分に短縮されるとしている[新聞 1]。しかし、親会社であるJR東日本がこの計画と競合する羽田空港アクセス線の計画を発表していることもあって、計画は停滞しており、答申第198号には盛り込まれなかった。駅構造[編集]
かつて、現在のJR東日本とJR東海の駅は同じ国鉄の駅であったが、1987年の国鉄分割民営化を機に、東海道新幹線はJR東海、それ以外はJR東日本の管轄へと分離された。ここでは会社別に解説する。JR東日本[編集]
JR東日本 東京駅 | |
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![]() 東北・上越・北陸新幹線ホーム(2021年9月) | |
とうきょう Tōkyō TYO | |
所在地 |
東京都千代田区丸の内一丁目9-1 北緯35度40分52秒 東経139度46分0秒 / 北緯35.68111度 東経139.76667度座標: 北緯35度40分52秒 東経139度46分0秒 / 北緯35.68111度 東経139.76667度[* 1] |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
電報略号 | トウ |
駅構造 | |
ホーム |
|
乗車人員 -統計年度- |
(新幹線)-2022年- 51,292人/日(降車客含まず) (合計)-2022年- 346,658人/日(降車客含まず) |
開業年月日 | 1914年(大正3年)12月20日 |
乗入路線 16 路線 | |
所属路線 |
■東北新幹線 (■山形新幹線・■秋田新幹線・北海道新幹線・上越新幹線・北陸新幹線直通含む) |
キロ程 | 0.0 km(東京起点) |
(3.6 km) 上野► | |
所属路線 |
■東海道線[* 2] (上野東京ライン[* 3]) |
駅番号 | JT01[報道 3] |
キロ程 | 0.0 km(東京起点) |
(1.9 km) 新橋 JT 02► | |
所属路線 |
■宇都宮線[* 2] (上野東京ライン[* 3]) (高崎線・■常磐線直通含む) |
駅番号 | JU01[報道 3] |
キロ程 | 0.0 km(東京起点) |
(3.6 km) 上野 JU 02・JJ 01► | |
所属路線 | ■京浜東北線[* 2] |
駅番号 | JK26[報道 3] |
キロ程 |
0.0 km(東京起点) 大宮から30.3 km |
◄JK 27 神田 (1.3 km) (0.8 km) 有楽町 JK 25► | |
所属路線 | ■山手線[* 2] |
駅番号 | JY01[報道 3] |
キロ程 | 0.0 km(東京起点) |
◄JY 02 神田 (1.3 km) (0.8 km) 有楽町 JY 30► | |
所属路線 | ■中央線[* 2] |
駅番号 | JC01[報道 3] |
キロ程 | 神田から1.3 km |
(1.3 km) 神田 JC 02► | |
所属路線 | ■横須賀線・総武線(快速)[* 2][* 4] |
駅番号 | JO19[報道 3] |
キロ程 | 0.0 km(東京起点) |
◄JO 18 新橋 (1.9 km) (1.2 km) 新日本橋 JO 20► | |
所属路線 |
■京葉線 (■武蔵野線直通含む) |
駅番号 | JE01[報道 3] |
キロ程 | 0.0 km(東京起点) |
(1.2 km) 八丁堀 JE 02► | |
備考 | |
-
日本橋口改札(2021年11月)
-
新幹線北乗換改札(2021年9月)
-
新幹線南乗換改札(2021年10月)
-
丸の内北口改札(2021年9月)
-
丸の内中央口改札(2021年9月)
-
丸の内南口改札(2021年9月)
-
八重洲北口改札(2021年11月)
-
八重洲中央口改札(2021年9月)
-
八重洲南口改札(2021年9月)
-
丸の内地下北口改札(2021年11月)
-
丸の内地下中央口改札(2021年10月)
-
丸の内地下南口改札(2021年10月)
-
グランスタ地下北口改札(2021年11月)
-
八重洲地下中央口改札(2021年11月)
-
京葉地下丸の内改札(2021年10月)
-
京葉地下八重洲口改札(2021年10月)
-
北側自由通路(2021年9月)
-
石碑(2007年5月)
ホーム[編集]
在来線高架ホーム︵1 - 10番線︶ 島式5面10線の高架ホームで、丸の内側から1・2・3…と順に振られている。中央線の1・2番線は3・4番線のさらに上、3階相当の高さにあり、2番線の直下に3番線がある。1・2番線はホームの両端は階段、それ以外は長いエスカレーターとホーム中央にあるエレベーターでコンコースと結んでいるが9・10番線のエレベーターのみ地下1階まで結んでいる。9・10番線は南側のエレベーターが2つ設置されている。3 - 6番線︵山手線・京浜東北線︶にはホームドアが設置されている。 5・6番線有楽町方の駅事務室前には、開業当時からの面影を残すハルトゥング支柱︵de:Hartungsche Säule︶様の鋳鉄製の柱が2本、設置されている。柱は高さ2.6メートル、柱周470ミリメートル、下部には﹁明治四十一年一月 株式会社東京堅鉄製作所﹂と刻印されている。また、一部の屋根と柱は木造である。2014年度に改修工事が行われ、老朽化が進んでいた開業時からの柱14本を含む約103メートル分が新しい屋根に置き換えられた[新聞 3]。 9・10番線ホーム屋根には屋根材一体型のソーラーパネルが設置され、発電した電気を東京駅の照明や空調機の電力として活用している。また、発電状況を駅構内4か所の発電量表示モニターで確認できる[報道 9]。1・2番線ホーム(2021年7月) -
3・4番線ホーム(2021年9月)
-
5・6番線ホーム(2021年7月)
-
7・8番線ホーム(2021年7月)
-
9・10番線ホーム(2021年7月)
-
中央本線0キロポスト(2005年2月)
-
東海道本線・東北本線0キロポスト(2009年3月)
- 新幹線ホーム(20 - 23番線)
- 島式2面4線の高架ホームである。このうち20番線は10番線のすぐ東にある。当初、東北・上越新幹線が当駅に延伸した際は現22・23番線(当時12・13番線)の島式1面2線のみで発着し、一部の定期列車と臨時列車は上野駅発着を原則としていた。しかし、1997年10月1日の北陸新幹線高崎駅 - 長野駅開業に伴い1・2番線を高架化した上で3 - 10番線を丸の内側にスライドする工事を行い、当時9・10番線(東海道線)だったホームを20・21番線とし、現在の2面4線の構造になるとともに定期列車の全列車と臨時列車の大半が当駅発着になった。1日300本を超える列車をこの2面4線ホームで扱っている。各ホームに中央改札と各ホームを結ぶエレベーターが8号車付近に設置されている。直接改札内に入れる改札口は八重洲北側の日本橋口改札口のみ。
-
20・21番線ホーム(2021年9月)
-
22・23番線ホーム(2021年9月)
- 総武地下ホーム(総武地下1 - 4番線)
- 島式2面4線の地下ホームで、地下5階に位置する。中央通路を丸の内側へずっと向かった階段の先にのりばがあり、東京メトロ丸ノ内線との乗り換えは比較的近いが、京葉線との改札内乗り換えは遠い。このホームと下記の京葉地下ホームは地上・高架ホームとは番線番号が通しではない。ホームへはエレベーターまたは長いエスカレーターを使用することになる。ホームがある東京トンネルの区間の保安設備は2004年2月にATC-5型からATS-Pに更新されている。ATS-P対応車両であればこの地下ホームへの発着が可能である。このホームは構造上、地下水上昇問題がある。
-
1・2番線ホーム(2021年7月)
-
3・4番線ホーム(2021年7月)
-
総武地下通路(2021年11月)
- 京葉地下ホーム(京葉地下1 - 4番線)
- 島式2面4線の地下ホームで、地下4階に位置する。新幹線八重洲南乗り換え口脇から南に約500 mの所、鍛冶橋通りの地下(有楽町駅との中間点)にあり、ホームは東西に伸びる。地下3階には総武地下通路のように通路があり、皇居よりの都道402号地下では横須賀線シールドトンネルが駅躯体を横断する。エレベーターは1・2番線と3・4番線にそれぞれ1台設置されている。他のホームから離れていることから八重洲口側に動く歩道が3つ設置され、その両端にエスカレーターとエレベーターが設置されている。
- この位置にはもともと、成田新幹線用の駅が計画されていた。他の乗り場から南に大きく離れたこの位置が選ばれたのは、将来的に新宿方面への延長をにらんだものであった。しかし成田新幹線は、沿線住民の反対運動によって計画が頓挫し、東京駅構内では東北新幹線の高架橋を造る工事に合わせて、現在京葉線への乗り換え通路として使われている通路が建設されただけで、乗り場部分の実際の掘削工事は行われなかった。現行のプラットホームなどがある地下部分は、京葉線に転用されることが決まってから新たに工事されたものであり[18]、設計も在来線用に1から異なった設計がされており建設予定位置以外の共通点は存在しない。
- 当駅を挟む京葉線八丁堀駅以東 - 東海道本線新橋駅以南の乗車券またはICカードを所持していれば、当駅と有楽町駅の有人改札を経由しての乗り換えが可能である。
-
1・2番線ホーム(2021年10月)
-
3・4番線ホーム(2021年10月)
-
車止め側の長時間露光(2013年)
-
京葉地下通路(2021年10月)
のりば[編集]
以上のように、高架・地上・地下の全ホームを計11面22線のホームがあり、JR東日本の駅では最多のホーム数である。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
在来線 地上ホーム | ||||
1・2 | ![]() |
下り | 御茶ノ水・新宿・立川方面 □特急「あずさ」・「かいじ」・「はちおうじ」・「おうめ」 |
|
3 | ![]() |
北行 | 上野・大宮方面 | |
4 | ![]() |
内回り | 上野・池袋方面 | |
5 | 外回り | 品川・渋谷方面 | ||
6 | ![]() |
南行 | 蒲田・関内方面 | |
7・8 | ![]() |
下り (北行) |
上野・大宮・宇都宮・高崎・水戸方面 □常磐線特急「ひたち」・「ときわ」 |
朝・深夜帯は交互発着 それ以外の時間は主に7番線[※ 5] |
![]() | ||||
![]() | ||||
![]() | ||||
9・10 | ![]() |
下り (南行) |
品川・横浜・小田原・熱海・伊東方面 □特急「(サフィール)踊り子」「湘南」 □寝台特急「サンライズ出雲・サンライズ瀬戸」 |
当駅始発の一部列車は8番線から発車 |
JR東日本 新幹線ホーム | ||||
20 - 23 | ![]() |
下り | 宇都宮・郡山・福島・仙台・盛岡・新青森・新函館北斗方面[19] | |
![]() |
角館・大曲・秋田方面[19] | |||
![]() |
福島・山形・新庄方面[19] | |||
![]() |
高崎・越後湯沢・新潟方面[19] | |||
![]() |
軽井沢・長野・金沢・敦賀方面[19] | |||
総武地下ホーム | ||||
1・2 | ![]() |
下り | 横浜・鎌倉方面[19] □特急「しおさい」「成田エクスプレス」 |
特急「しおさい」は2番線から発車 |
3・4 | ![]() |
市川・千葉方面[19] □特急「成田エクスプレス」 |
当駅始発の一部列車は2番線から発車 | |
京葉地下ホーム | ||||
1 - 4 | ![]() |
下り | 舞浜・海浜幕張・蘇我方面 □特急「さざなみ」「わかしお」 |
|
![]() |
舞浜・西船橋方面 |
(出典:JR東日本:駅構内図)
- 特急「踊り子」・「サフィール踊り子」・「湘南」、寝台特急「サンライズ出雲」・「サンライズ瀬戸」などは基本的に9番線から発車する。
- 京葉線のホームは概ね列車によって番線が使い分けられており、1番線は特急列車、2番線は武蔵野線電車、3・4番線は京葉線電車が使用することが多いが、全てがこの通りに発着するわけでは無い。
- 東海道線・上野東京ラインホームは、基本的に宇都宮線・高崎線系統が7番線(上野方面)・10番線(品川方面)、常磐線系統及び当駅始発列車群が8番線(上野方面、当駅始発品川方面の一部)・9番線(品川方面)に発着する列車が多いが、ダイヤの関係で違うホームを使用する列車もある。
- 東海道線・上野東京ラインホーム、総武地下ホームはそれぞれ元々終端駅だった関係から、両線共に両方向からそれぞれの4本全てのホームへ入線および出発が可能。総武地下ホームでは、総武快速線の横須賀線へ直通しない列車のうち、上り線から一番遠い下り4番線に入線して折り返す定期列車などもある。
- 当駅で夜間外泊が組まれているのは、中央線・京葉線・総武快速線・横須賀線の4路線である。
- 配線図
← 錦糸町・千葉 ・成田空港・ 蘇我 方面 |
![]() |
→ 横浜・大船・ 久里浜 方面 |
凡例 出典: * 以下を参考に作成。 ** 祖田圭介、「特集 旅客ターミナル構内配線図鑑」、電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』、第60巻1号(通巻第828号) 2010年1月号「【特集】旅客ターミナル」、20頁、「図1-1 東京駅の配線」。 |
JR東海[編集]
JR東海 東京駅 | |
---|---|
![]() 東海道新幹線ホーム(2021年9月) | |
とうきょう Tōkyō | |
(6.8 km) 品川► | |
所在地 | 東京都千代田区丸の内一丁目9-1 |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 | ■東海道新幹線 |
キロ程 | 0.0 km(東京起点) |
電報略号 | トウ |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 3面6線 |
乗車人員 -統計年度- |
33,805人/日(降車客含まず) -2020年- |
開業年月日 | 1964年(昭和39年)10月1日 |
備考 |
|
-
八重洲中央北口改札(2021年9月)
-
八重洲中央南口改札(2021年9月)
-
八重洲北口改札(2022年9月)
-
八重洲南口改札(2021年9月)
-
日本橋口改札(2021年9月)
-
新幹線中央乗換改札(2021年9月)
-
新幹線南乗換改札(2021年10月)
-
JR東海・東日本間の新幹線乗換改札(2021年9月)
島式3面6線の高架ホームである。このうち14番線は23番線のすぐ東にある。14・15番線は神田寄りが丸の内側へ湾曲しているが、これは後述するホームの変遷表でもわかるように、14・15番線は、かつて東海道本線のホームとして使用されていたためであり、在来線ホーム時代は、一部特急など、東北本線方面への旅客列車も乗り入れていた。前述したが、コンコースでは改良工事が行われている。
東海道新幹線開業にあたり、14・15番線は東海道新幹線ホームに転用されることとなったが、旧来の構造を活かし、将来的には東北新幹線との共用使用や、東北新幹線との直通運転も想定されていたとされる[新聞 4]。
0キロポストの他、記念モニュメントも複数ある。18・19番線の8号車乗車位置付近のホーム中央床面には起点と方位を示すレリーフが、同ホーム南端には十河信二のレリーフと座右の銘「一花開天下春」があしらわれた建設碑が、同ホームの下、中央乗換口(新幹線改札内)の東端壁面には「東海道新幹線 この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」と記された銘版がある。
のりば[編集]
番線 | 路線 | 行先 |
---|---|---|
14 - 19 | ![]() |
新大阪・博多方面[20] |
-
14・15番線ホーム(2021年9月)
-
16・17番線ホーム(2021年9月)
-
18・19番線ホーム(2021年9月)
-
東海道新幹線ホーム上の0キロポスト
-
東海道新幹線線路上の0キロポスト
-
18・19番線ホーム南端にある十河信二の記念碑
東京メトロ[編集]
東京メトロ 東京駅 | |
---|---|
![]() 中央改札口(2021年10月) | |
とうきょう Tokyo | |
◄M 16 銀座 (1.1 km) (0.6 km) 大手町 M 18► | |
所在地 | 東京都千代田区丸の内一丁目6-5 |
駅番号 | M17[21] |
所属事業者 | 東京地下鉄(東京メトロ) |
所属路線 | ●[21]丸ノ内線 |
キロ程 | 8.7 km(池袋起点) |
電報略号 | トウ |
駅構造 | 地下駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
[メトロ 1]162,608人/日 -2022年- |
開業年月日 | 1956年(昭和31年)7月20日 |
のりば[編集]
番線 | 路線 | 行先[24] |
---|---|---|
1 | ![]() |
荻窪・方南町方面 |
2 | 池袋方面 |
(出典:東京メトロ:構内立体図)
-
ホーム(2022年7月)
発車メロディ[編集]
ワンマン運転開始に伴い、スイッチ制作の発車メロディ(発車サイン音)が導入されている。
曲は1番線が『らくらく乗降』(串田亨作曲)、2番線が『夢心地』(福嶋尚哉作曲)である[25]。
国鉄・JR線地上ホームの変遷[編集]
以下の表は当駅地上ホームの変遷を記したものである。なお、下表に示す以外に工事等によりホームが一時的に撤去されている場合もある。
時期 | 第01ホーム | 第1ホーム | 回送線 | 第2ホーム | 第3ホーム | 第4ホーム | 第5ホーム | 回送線 | 第6ホーム | 第7ホーム | 回送線 | 第8ホーム | 第9ホーム |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1914年 12月20日 - |
未設置 | 1・2番線 ■電車線(山手線) |
■回送線 | 3・4番線 ■電車線(京浜線) |
5・6番線 ■列車線 |
7・8番線 ■列車線 |
未設置 | 未設置 | 未設置 | 未設置 | 未設置 | 未設置 | 未設置 |
1919年 3月1日 - |
1・2番線 ■中央本線 ■山手線 | ||||||||||||
1925年 4月26日 - |
1・2番線 ■中央本線 |
3・4番線 ■京浜線 ■山手線 |
5・6番線 ■東海道本線到着 ■横須賀線発着 |
7・8番線 ■東海道本線出発 | |||||||||
1942年 9月25日 - |
7・8番線 ■東海道本線 |
9・10番線 ■東海道本線 |
11・12番線 ■回送線 | ||||||||||
1953年 7月1日 - |
9番線 ■東海道本線 10番線 使用停止 |
11・12番線 使用停止 |
14・15番線 ■東海道本線 |
16番線 ■回送線 | |||||||||
1953年 9月1日 - |
5・6番線 ■東海道本線 |
7・8番線 使用停止 |
9番線 使用停止 10番線 ■東海道本線 |
11番線 ■回送線 |
12番線 ■東海道本線 (湘南電車) 13番線 ■横須賀線 | ||||||||
1953年 11月1日 - |
5・6番線 使用停止 |
9・10番線 ■東海道本線 | |||||||||||
1954年 3月30日 - |
3番線 ■京浜東北線北行 ■山手線内回り 4番線 使用停止 |
5番線 使用停止 6番線 ■京浜東北線南行 ■山手線外回り | |||||||||||
1954年 4月15日 - |
7番線 ■常磐線 8番線 使用停止 | ||||||||||||
1956年 5月4日 - |
5番線 ■京浜東北線南行 ■山手線外回り 6番線 使用停止 | ||||||||||||
1956年 11月19日 - |
3番線 ■京浜東北線北行 4番線 ■山手線内回り |
5番線 ■山手線外回り 6番線 ■京浜東北線南行 |
7番線 ■東海道本線 ■東北・高崎・常磐線 8番線 ■東海道本線 | ||||||||||
1957年 7月14日 - |
廃止 | ||||||||||||
1961年 10月1日 - |
7番線 ■東海道本線 ■東北・高崎・常磐線 8番線 ■東海道本線 (湘南電車) |
12番線 ■東海道本線 13番線 ■横須賀線 | |||||||||||
1964年 10月1日 - |
17番線 ■東海道新幹線 |
18・19番線 ■東海道新幹線 | |||||||||||
1965年 10月?日 - |
廃止 | ||||||||||||
1967年 3月10日 - |
16・17番線 ■東海道新幹線 | ||||||||||||
1972年 3月15日 - |
16・17番線 ■東海道・ 山陽新幹線 |
18・19番線 ■東海道・ 山陽新幹線 | |||||||||||
1973年 4月1日 - |
7・8番線 ■東海道本線 (湘南電車) |
9・10番線 ■横須賀線 |
12・13番線 ■東海道本線 |
廃止 | |||||||||
1975年 7月18日 - |
15番線 ■東海道・ 山陽新幹線 | ||||||||||||
1979年 12月1日 - |
14・15番線 ■東海道・ 山陽新幹線 | ||||||||||||
1980年 10月1日 - |
7・8番線 ■東海道本線 |
9・10番線 ■東海道本線 |
12番線■東海道本線 13番線 廃止 | ||||||||||
1988年 3月13日 - |
廃止 | 廃止 | |||||||||||
1991年 6月20日 - |
12・13番線 ■東北・上越新幹線 | ||||||||||||
1992年 7月1日 - |
12・13番線 ■東北・山形・ 上越新幹線 | ||||||||||||
1992年 10月4日 - |
7番線 ■東海道本線 8番線 使用停止 | ||||||||||||
1993年 7月4日 - |
7番線 ■東海道本線 8番線(仮設) ■東海道本線 |
9番線 使用停止 10番線 ■東海道本線 | |||||||||||
1994年 4月10日 - |
9番線(仮設) ■東海道本線 10番線 廃止 | ||||||||||||
1995年 7月2日 - |
1・2番線 ■中央本線 |
旧1・2番線 使用停止 | |||||||||||
1995年 10月29日 - |
3番線 ■京浜東北線北行 旧2番線 使用停止 |
旧3番線 使用停止 4番線 ■山手線内回り | |||||||||||
1995年 11月5日 - |
3番線 ■京浜東北線北行 4番線 ■山手線内回り |
旧3・4番線 使用停止 | |||||||||||
1995年 12月17日 - |
5番線 ■山手線外回り 旧4番線 使用停止 |
旧5番線 使用停止 6番線 ■京浜東北線南行 | |||||||||||
1995年 12月24日 - |
5番線 ■山手線外回り 6番線 ■京浜東北線南行 |
旧5・6番線 使用停止 | |||||||||||
1996年 6月23日 - |
7・8番線 ■東海道本線 |
9番線 ■東海道本線 10番線(仮設) 使用停止 |
廃止 | ||||||||||
1997年 3月1日 - |
9番線 使用停止 10番線 ■東海道本線 | ||||||||||||
1997年 9月7日 - |
9・10番線 ■東海道本線 | ||||||||||||
1997年 10月1日 - |
20・21番線 ■上越・長野新幹線 |
22・23番線 ■東北・山形・秋田新幹線 | |||||||||||
2005年 12月10日 - |
20・21番線 ■東北・山形・秋田・ 上越・長野新幹線 |
22・23番線 ■東北・山形・秋田・ 上越・長野新幹線 | |||||||||||
2015年 3月14日 - |
7・8番線 ■上野東京ライン (■宇都宮・■高崎・■■常磐線) ■東海道本線 (一部列車) |
20・21番線 ■東北・山形・秋田・ 上越・北陸(長野経由)新幹線 |
22・23番線 ■東北・山形・秋田・ 上越・北陸(長野経由)新幹線 | ||||||||||
2016年 3月26日 - |
20・21番線 ■東北・山形・秋田・北海道 上越・北陸新幹線 |
22・23番線 ■東北・山形・秋田・北海道 上越・北陸新幹線 |
なお、現在のJRのホーム数合計は14面28線となり、単一の駅としてのホーム数では日本一である。
その他[編集]
![]() | この節に雑多な内容が羅列されています。 |
地下水上昇問題[編集]
再開発事業[編集]
事業の概要[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/30/Tokyo-STA_GRANSTA.jpg/220px-Tokyo-STA_GRANSTA.jpg)
赤レンガ駅舎の復原[編集]
復原に至る経緯[編集]
かつての丸の内側の赤レンガ本駅舎は1945年︵昭和20年︶5月25日のアメリカ軍による空襲︵東京大空襲︶により炎上、内装と屋根を焼失した。戦災復興工事によって、失われたドーム屋根にかわって木造8角形の屋根が載せられ、内部は3階の窓の開口部は保持されたが、残存したアーチなどのレリーフは新設されたローマのパンテオン風の意匠によるジュラルミン製のドームによって隠された。終戦後の1947年︵昭和22年︶、開業当初の状態より一回り規模を縮小して修復された。GHQの体制下応急処置的に工事が行われ、屋根の小屋組については復員してきた海軍の技師が5年もてばよいということで、薄い木材のトラス造りで応急的に工事をしたという[28]。一方、実際に工事にあたった関係者は、あくまで国鉄内部の技術者が修理したのであって旧海軍の技術者が関わったという説は何の根拠もないと主張している[29]。この復旧された駅舎は、応急復旧のままで60年余りが過ぎることになった。旧・日本国有鉄道︵国鉄︶は戦後度々赤レンガ駅舎の建て替え構想[11]を出しては延期しており、1987年︵昭和62年︶4月1日の分割民営化の時には当駅全体の土地の3分割を伴った再開発構想が提案され、赤レンガ駅舎の建て替え高層化か保全をするかが本格的に課題となった。これに対して、﹁赤レンガの東京駅を愛する市民の会﹂などによる赤レンガ駅舎保存の市民運動が起こった。 1988年︵昭和63年︶、政府は学識者の委員会による東京駅周辺地区再開発構想を取りまとめ、赤レンガ駅舎の現在地での形態保全の方針を決定し、JR東日本などの検討により1999年︵平成11年︶、本来の形態に復原することとなった[新聞 7]。また、2003年︵平成15年︶4月18日には国指定の重要文化財に指定された。復原工事[編集]
復原工事に先立って2006年︵平成18年︶3月17日 - 31日に丸の内駅舎内で﹁東京駅ルネッサンス﹂が開催され[報道 48]、2007年︵平成19年︶5月30日より、鹿島・清水・鉄建 建設共同企業体が担当となって、駅舎を本来の姿に近い形態に復原する[※ 15]工事が開始された[報道 1]。この工事では、鉄骨鉄筋コンクリート壁で躯体を増築して建築当初の3階建てに戻した上で、外壁、尖塔、南北両ドームの内外の意匠も再現し、新たに地下1・2階を増築し免震装置を設置した。免震装置には地上部分と地下部分との間に免震ゴムとオイルダンパーを設置した。 3階の外壁は、創建当初と同じ仕様の厚さ15 mmの化粧煉瓦を貼った外壁に復原した。戦後の修復で2階に移されていたイオニア式柱頭も当初の3階に移設し、支柱の形状も創建時のものに戻した。失われていた花崗岩の柱頭飾り、銅の高欄はモックアップを用いてディテールや施行方法を検証し、創建当時の意匠に復原した。2階以下は既存の構造煉瓦と同じ厚さ15 mmと45 mmの化粧煉瓦を貼った︵下駄っ歯積み︶。線路側はコンコース側の壁を撤去し、トップライトから採り入れる自然光で復原された丸の内駅舎を見ることが出来るようにした。 ドーム内部の保存と復原の基本方針は部位によって異なり、3階以上の壁面と天井面は、干支や2メートルを超える大きさのワシの彫刻やレリーフが存在した創建時の意匠を忠実に再現し、1階と2階は、3階以上の部分と調和を図りながらも機能性に優れた新しいデザインとした。3階張出部を支えていた装飾付きの鉄骨支柱は、RCで補強され円柱にかわったために、全体としては機能的な装飾のない意匠となった。ドームに施されたレリーフは南北のドームで全く同じである。 工事による一時解体に伴い、それまで使用していた雄勝石の屋根材65,000枚は産地でもある宮城県石巻市雄勝町の業者に送られて、選別・清掃・補修した上で倉庫に保管されていた[新聞 8] が、東日本大震災による津波で塩害を蒙った[新聞 9][32]。このため、使用可能と判断された45,000枚のみが復原駅舎でも再利用され、不足した2万枚はスペイン産のスレートで補われた。なお、工事全体では約457,000枚のスレートが必要とされていたため、再利用分を除いた残りのうち15,000枚は石巻市の業者が製作したものを使用し、残りはスペイン産で補う計画であったが[33]、この業者の工場も津波によって壊滅し、出荷前の天然石スレートも津波に流された。震災後、流されたスレートは回収・洗浄・検品され、使用可能な7000枚が東京に送られた。 ドーム部分の屋根は、建設当時の銅板葺きに戻され、0.4 mmの銅板が合計1トン使用された。時計下の外壁レリーフは2メートル四方の銅板3枚を使って叩き出されたものを使用した。線路側の中央部の屋根はガラス化して、屋根裏をホテルのゲストラウンジにした。外観はどうなっていたかはわかるにしても裏側がどうなっていたかがなかなかわからなかったが、幸いにも写真が見つかり、細部はコンピューター処理で解析をした。復原に際しては屋根裏に残されていたものを一部再利用している︵長らく屋根裏に高熱で曲がった鉄骨まで残されていた︶。 外壁の花崗岩は、中央部御車寄せ周りと1階腰石が北木産花崗岩︵北木石︶で、その他は全て稲田産花崗岩である。保存・復原工事に際しては、広場側復原部には稲田産花崗岩、線路側は中国産花崗岩をそれぞれ使用したが、国内では職人の数も減り、丸の内駅舎の全ての花崗岩を加工することは難しいことから、中国での加工とした。稲田産花崗岩は日本で切り出し、中国へ運び、中国で加工のうえ、日本へ戻し丸の内駅舎へ取り付けた[34]。タイルレンガの目地には覆輪目地が施工されているが、既に失われた施工方法となっており、職人が3か月間の試行錯誤で、技術と道具を復活させて再現している。 窓枠には全て三協立山製のサッシが採用された。新しい窓枠はアルミニウムにフッ素樹脂塗装されたものであるが、大正時代には木製建具が主流であったことから、過去の文献の調査だけでなく辰野金吾が設計した岩手銀行中ノ橋支店を視察するなど試行錯誤の末、色合いを木の風合いにできる限り近づけた﹁東京駅専用ビル用サッシ﹂を新たに開発した。また窓の装飾に使われるアルミ製鋳物も三協立山が手掛けた[35]。 2012年︵平成24年︶6月10日に、復原された駅舎の一部︵1階部分︶が再開業し、同年10月1日に全面再開業した[報道 2]。また、復原工事に伴って2006年︵平成18年︶4月から営業を休止していた駅舎内の﹁東京ステーションギャラリー﹂︵東日本鉄道文化財団運営︶も全面再開業と同日に拡大再開業し、翌々日の3日には﹁東京ステーションホテル﹂も規模を拡大して再開業した[報道 2]。地下には新規にレストランが開業した。 さらに、丸の内駅舎の復原工事に併せて、改札内1階に商業施設﹁Central Street︵セントラルストリート︶﹂を開業する工事が行われた[報道 49]。同年8月9日に2店舗が先行開業[報道 50] し、同年10月1日にグランドオープンした[報道 51]。 復原工事費用︵約500億円と新聞などで伝えられている︶はJR東日本などが﹁空中権の売買﹂を行って捻出した︵詳細は﹁特例容積率適用区域制度﹂参照︶-
改修前の駅舎(2006年3月)
-
改修前のドーム内部(2006年3月26日)
-
至近での保存復元工事撮影(2009年8月1日)
-
保存復原工事の状況(2009年11月)
-
保存復原工事により、南ドームが姿を現す(2011年3月)
-
復原されたドーム内部(2012年10月)
-
ライトアップされた保存復原工事後の駅舎(2020年12月)
-
東京ステーションギャラリー(2022年11月)
その他の特徴[編集]
姉妹駅![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1c/Partnerstationdisplay_ffm.jpg/220px-Partnerstationdisplay_ffm.jpg)
免許人 | 局名 | 識別信号 | 物理チャンネル | 周波数 | 空中線電力 | ERP | 業務区域 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
東日本旅客鉄道株式会社 | JR東日本東京駅エリア放送 | JOXZ3BJ-AREA | 35ch | 623.142857 MHz | 760 μW | 750 μW | 地下一階グランスタエリア 京葉線地下一階コンコース |
駅弁[編集]
当駅では多数の駅弁が販売されている。主な駅弁は下記の通り[39]。- 特製幕之内御膳
- 東海道 肉まつり
- あなごめし
- 二段重 海〜金目と鯖の煮魚
- 日本橋 幕之内
- 厚切りロースとんかつ弁当
- 二段重 山〜鶏とだし巻き卵
- 品川貝づくし
- 東海道新幹線弁当
- 焼売中華弁當
- 深川めし
- おむすび弁当
- 東京弁当
- 仙台名物牛たん弁当
- 平泉うにほたて重
- こぼれイクラととろサーモンハラス焼き弁当
- 牛宝弁当
- まぐろいくら弁当
- 米澤牛牛肉辨當
- 海苔のり弁887
- 炭火焼風牛たん弁当「塩釜藻塩付」
- 黒毛和牛すきやき牛肉重
- とちぎ霜降高原牛めし
- 山形特選牛めし
- 牛たんサガリのペッパーまぜメシ
- 幕之内弁当
- やまゆり牛しぐれ煮弁当
- 三元豚とんかつ弁当
- しらす弁当
- みちのく弁当の旅
- 唐揚げ弁当
- 30品目バランス弁当
- とりめし
- 深川めし
- シウマイ弁当
- チキン弁当
- 昔ながらのシウマイ15個入
- 東京弁当
- 厚切り牛たん弁当
- 古川駅 網焼き牛たん弁当
- 極選炭火焼き牛たん弁当
- 牛肉弁当
- こだわりのとんかつ弁当
- 横濱オムライス
利用状況[編集]
それぞれの会社の利用状況は下記の通り。 ●JR東日本 ●2022年度の1日平均乗車人員は346,658人である[利用客数 1]。 同社の駅では新宿駅、池袋駅に次ぐ第3位である。1996年度から2011年度まではJR東日本での駅別乗車人員が第5位であったが、2011年度以降は同駅の復原工事と丸の内周辺の再開発が進んだこともあって乗車人員が大幅に増加、2012年度に横浜駅を、2013年度に渋谷駅を上回った。だが、2020年度は新型コロナウイルス感染症︵COVID-19︶流行の影響により急減し、横浜駅と大阪駅︵JR西日本︶を下回った。なお、この数値にはJR線内の乗換客は含まれていない。 ●2021年度の新幹線の1日平均乗車人員は51,292人である[利用客数 2]。 同社管轄新幹線の駅では第1位。 ●JR東海 ●2020年度の1日平均乗車人員は33,805人である[利用客数 3]。 同社の駅では第4位︵3位は静岡駅、5位は新大阪駅︶だが、東海道新幹線の単独駅の中では第1位である。 ●東京メトロ ●2022年度の1日平均乗降人員は162,608人である[メトロ 1]。 同社の駅の中では上野駅に次ぐ第9位であり、︵1位は池袋駅︶丸ノ内線の駅としては銀座駅に次いで5番目に多い。1965年度にピークを迎えた後は一度減少するものの、1979年度から1992年度にかけて再び増加した。その後は減少傾向であったが、2001年度から再度増加傾向にあり、2013年度の乗降人員は過去最高を記録し、さらに2016年度には乗降人員が20万人を超えた。年度別1日平均乗降人員[編集]
各年度の1日平均乗降人員は下表の通りである︵東京メトロのみ︶。年度 | 営団 / 東京メトロ | |
---|---|---|
1日平均 乗降人員 |
増加率 | |
1999年(平成11年) | 146,042 | |
2000年(平成12年) | 141,057 | −3.4% |
2001年(平成13年) | 136,345 | −3.3% |
2002年(平成14年) | 139,034 | 2.0% |
2003年(平成15年) | 139,249 | 0.2% |
2004年(平成16年) | 136,876 | −1.7% |
2005年(平成17年) | 138,446 | 1.1% |
2006年(平成18年) | 140,486 | 1.5% |
2007年(平成19年) | 150,865 | 7.4% |
2008年(平成20年) | 155,922 | 3.4% |
2009年(平成21年) | 155,326 | −0.4% |
2010年(平成22年) | 156,008 | 0.4% |
2011年(平成23年) | 156,736 | 0.5% |
2012年(平成24年) | 169,152 | 7.9% |
2013年(平成25年) | 181,208 | 7.1% |
2014年(平成26年) | 186,459 | 2.9% |
2015年(平成27年) | 196,687 | 5.5% |
2016年(平成28年) | 204,287 | 3.9% |
2017年(平成29年) | 211,558 | 3.6% |
2018年(平成30年) | 218,275 | 3.2% |
2019年(令和元年) | 216,749 | −0.7% |
2020年(令和 | 2年)[メトロ 2]124,759 | −42.4% |
2021年(令和 | 3年)[メトロ 3]131,037 | 5.0% |
2022年(令和 | 4年)[メトロ 1]162,608 | 24.1% |
年度別1日平均乗車人員(1910年代 - 1930年代)[編集]
各年度の1日平均乗車人員は下表の通りである。
年度 | 国鉄 | 出典 |
---|---|---|
1914年(大正 | 3年)[備考 1] 5,423 | [東京府統計 1] |
1915年(大正 | 4年)5,707 | [東京府統計 2] |
1916年(大正 | 5年)6,561 | [東京府統計 3] |
1919年(大正 | 8年)13,367 | [東京府統計 4] |
1920年(大正 | 9年)17,620 | [東京府統計 5] |
1922年(大正11年) | 25,976 | [東京府統計 6] |
1923年(大正12年) | 35,440 | [東京府統計 7] |
1924年(大正13年) | 43,709 | [東京府統計 8] |
1925年(大正14年) | 45,399 | [東京府統計 9] |
1926年(昭和元年) | 50,432 | [東京府統計 10] |
1927年(昭和 | 2年)55,707 | [東京府統計 11] |
1928年(昭和 | 3年)64,321 | [東京府統計 12] |
1929年(昭和 | 4年)68,292 | [東京府統計 13] |
1930年(昭和 | 5年)69,034 | [東京府統計 14] |
1931年(昭和 | 6年)65,572 | [東京府統計 15] |
1932年(昭和 | 7年)63,282 | [東京府統計 16] |
1933年(昭和 | 8年)64,315 | [東京府統計 17] |
1934年(昭和 | 9年)66,082 | [東京府統計 18] |
1935年(昭和10年) | 68,950 | [東京府統計 19] |
年度別1日平均乗車人員(1953年 - 2000年)[編集]
年度 | 国鉄(在来線) / JR東日本 |
国鉄(新幹線) / JR東海 |
営団 | 出典 |
---|---|---|---|---|
1953年(昭和28年) | 207,922 | 未開業 | 未開業 | [東京都統計 1] |
1954年(昭和29年) | 224,318 | [東京都統計 2] | ||
1955年(昭和30年) | 258,159 | [東京都統計 3] | ||
1956年(昭和31年) | 275,133 | [備考 3] 22,393 | [東京都統計 4] | |
1957年(昭和32年) | 289,150 | 26,979 | [東京都統計 5] | |
1958年(昭和33年) | 296,571 | 29,656 | [東京都統計 6] | |
1959年(昭和34年) | 307,724 | 39,799 | [東京都統計 7] | |
1960年(昭和35年) | 333,563 | 42,160 | [東京都統計 8] | |
1961年(昭和36年) | 356,030 | 54,301 | [東京都統計 9] | |
1962年(昭和37年) | 377,652 | 64,689 | [東京都統計 10] | |
1963年(昭和38年) | 387,634 | 69,753 | [東京都統計 11] | |
1964年(昭和39年) | 393,219 | 73,563 | [東京都統計 12] | |
1965年(昭和40年) | 396,330 | 74,104 | [東京都統計 13] | |
1966年(昭和41年) | 402,597 | 72,997 | [東京都統計 14] | |
1967年(昭和42年) | 410,881 | 72,813 | [東京都統計 15] | |
1968年(昭和43年) | 401,261 | 70,570 | [東京都統計 16] | |
1969年(昭和44年) | 337,051 | 69,635 | [東京都統計 17] | |
1970年(昭和45年) | 342,619 | 69,132 | [東京都統計 18] | |
1971年(昭和46年) | 352,109 | 67,932 | [東京都統計 19] | |
1972年(昭和47年) | 369,134 | 65,770 | [東京都統計 20] | |
1973年(昭和48年) | 388,567 | 67,523 | [東京都統計 21] | |
1974年(昭和49年) | 395,863 | 66,430 | [東京都統計 22] | |
1975年(昭和50年) | 379,623 | 63,699 | [東京都統計 23] | |
1976年(昭和51年) | 379,540 | 61,792 | [東京都統計 24] | |
1977年(昭和52年) | 365,830 | 62,923 | [東京都統計 25] | |
1978年(昭和53年) | 358,871 | 60,088 | [東京都統計 26] | |
1979年(昭和54年) | 350,866 | 59,956 | [東京都統計 27] | |
1980年(昭和55年) | 341,655 | 60,586 | [東京都統計 28] | |
1981年(昭和56年) | 332,575 | 61,863 | [東京都統計 29] | |
1982年(昭和57年) | 328,789 | 62,104 | [東京都統計 30] | |
1983年(昭和58年) | 329,910 | 63,224 | [東京都統計 31] | |
1984年(昭和59年) | 338,282 | 65,027 | [東京都統計 32] | |
1985年(昭和60年) | 329,677 | 64,244 | [東京都統計 33] | |
1986年(昭和61年) | 337,219 | 65,408 | [東京都統計 34] | |
1987年(昭和62年) | 328,423 | 66,872 | [東京都統計 35] | |
1988年(昭和63年) | 352,416 | 68,742 | [東京都統計 36] | |
1989年(平成元年) | 367,611 | 68,912 | [東京都統計 37] | |
1990年(平成 | 2年)394,055 | 73,288 | [東京都統計 38] | |
1991年(平成 | 3年)418,858 | 76,041 | [東京都統計 39] | |
1992年(平成 | 4年)423,052 | 76,356 | [東京都統計 40] | |
1993年(平成 | 5年)420,852 | 76,332 | [東京都統計 41] | |
1994年(平成 | 6年)406,841 | 75,227 | [東京都統計 42] | |
1995年(平成 | 7年)399,609 | 74,336 | [東京都統計 43] | |
1996年(平成 | 8年)394,115 | 73,630 | [東京都統計 44] | |
1997年(平成 | 9年)386,534 | 72,107 | [東京都統計 45] | |
1998年(平成10年) | 382,129 | 71,989 | [東京都統計 46] | |
1999年(平成11年) | [JR東日本 1]376,960 | 69,055 | [東京都統計 47] | |
2000年(平成12年) | [JR東日本 2]372,611 | 67,351 | [東京都統計 48] |
年度別1日平均乗車人員(2001年以降)[編集]
年度 | JR東日本 | JR東海 | 営団 / 東京メトロ | 出典 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
定期外 | 定期 | 合計 | 新幹線 | ||||
2001年(平成13年) | [JR東日本 3]368,967 | 66,940 | [東京都統計 49] | ||||
2002年(平成14年) | [JR東日本 4]374,922 | 67,526 | [東京都統計 50] | ||||
2003年(平成15年) | [JR東日本 5]369,025 | [JR東海 1] 98,227 | 67,557 | [東京都統計 51] | |||
2004年(平成16年) | [JR東日本 6]371,113 | [JR東海 2] 107,479 | 67,397 | [東京都統計 52] | |||
2005年(平成17年) | [JR東日本 7]379,350 | [JR東海 3] 92,220 | 68,019 | [東京都統計 53] | |||
2006年(平成18年) | [JR東日本 8]382,242 | [JR東海 4]92,205 | 68,677 | [東京都統計 54] | |||
2007年(平成19年) | [JR東日本 9]396,152 | 74,279 | [東京都統計 55] | ||||
2008年(平成20年) | [JR東日本 10]394,135 | 75,627 | [東京都統計 56] | ||||
2009年(平成21年) | [JR東日本 11]384,024 | 75,307 | [東京都統計 57] | ||||
2010年(平成22年) | [JR東日本 12]381,704 | 83,000 | 75,992 | [東京都統計 58] | |||
2011年(平成23年) | [JR東日本 13]380,997 | 84,000 | 76,175 | [東京都統計 59] | |||
2012年(平成24年) | [JR東日本 14]189,621 | [JR東日本 14]212,655 | [JR東日本 14]402,277 | [JR東日本 新幹線 1]70,675 | 89,000 | 82,233 | [東京都統計 60] |
2013年(平成25年) | [JR東日本 15]196,897 | [JR東日本 15]219,011 | [JR東日本 15]415,908 | [JR東日本 新幹線 2]73,652 | [利用客数 4] 93,354 | 87,871 | [東京都統計 61] |
2014年(平成26年) | [JR東日本 16]198,079 | [JR東日本 16]219,742 | [JR東日本 16]417,822 | [JR東日本 新幹線 3]72,774 | 93,000 | 90,608 | [東京都統計 62] |
2015年(平成27年) | [JR東日本 17]207,248 | [JR東日本 17]227,385 | [JR東日本 17]434,633 | [JR東日本 新幹線 4]77,677 | 97,000 | 95,970 | [東京都統計 63] |
2016年(平成28年) | [JR東日本 18]209,286 | [JR東日本 18]230,268 | [JR東日本 18]439,554 | [JR東日本 新幹線 5]77,699 | 98,000 | 99,707 | [東京都統計 64] |
2017年(平成29年) | [JR東日本 19]216,373 | [JR東日本 19]236,176 | [JR東日本 19]452,549 | [JR東日本 新幹線 6]78,618 | [利用客数 5]101,138 | 103,156 | [東京都統計 65] |
2018年(平成30年) | [JR東日本 20]224,973 | [JR東日本 20]242,191 | [JR東日本 20]467,165 | [JR東日本 新幹線 7]79,991 | [利用客数 6]104,451 | 106,463 | [東京都統計 66] |
2019年(令和元年) | [JR東日本 21]214,154 | [JR東日本 21]248,434 | [JR東日本 21]462,589 | [JR東日本 新幹線 8]75,004 | [利用客数 7]98,120 | 105,536 | [東京都統計 67] |
2020年(令和 | 2年)[JR東日本 22]91,879 | [JR東日本 22]179,228 | [JR東日本 22]271,108 | [JR東日本 新幹線 9]24,973 | [利用客数 8]33,805 | ||
2021年(令和 | 3年)[JR東日本 23]124,888 | [JR東日本 23]157,750 | [JR東日本 23]282,638 | [JR東日本 新幹線 10]32,080 | |||
2022年(令和 | 4年)[JR東日本 24]182,209 | [JR東日本 24]164,449 | [JR東日本 24]346,658 | [JR東日本 新幹線 11]51,292 |
備考[編集]
駅周辺[編集]
丸の内口[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/99/Tokyo_Marunouchi_in_autumn.jpg/220px-Tokyo_Marunouchi_in_autumn.jpg)
八重洲口[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c3/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%A7%85_%E5%85%AB%E9%87%8D%E6%B4%B2_-_panoramio.jpg/220px-%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%A7%85_%E5%85%AB%E9%87%8D%E6%B4%B2_-_panoramio.jpg)
日本橋口[編集]
京葉線東京駅 地下通路入口[編集]
駅の南側、鍛冶橋通りの道路両側にあり、京葉線が近く、JR有楽町駅︵京橋口など︶から専用の案内書で乗換えも可能。バス路線[編集]
駅長[編集]
隣の駅[編集]
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
東北・山形・秋田・北海道・上越・北陸新幹線
- 東京駅 - 上野駅
東海道線・
上野東京ライン(宇都宮線・高崎線・常磐線)
- 特急「踊り子」「サフィール踊り子」「湘南」・寝台特急「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」発着駅、特急「ひたち」「ときわ」停車駅
- ■快速「ラビット」「アーバン」(東海道線内は普通)・■普通・■(常磐線)特別快速・■■(常磐線)快速
- 上野駅 (JU 02) - 東京駅 (JU 01・JT 01) - 新橋駅 (JT 02)
京浜東北線
山手線
- 有楽町駅 (JY 30) - 東京駅 (JY 01) - 神田駅 (JY 02)
中央線(快速)
- 特急「あずさ」「かいじ」一部発着駅、特急「はちおうじ」「おうめ」発着駅
- ■特別快速「ホリデー快速おくたま」・■通勤特快(以上は到着列車のみ)・■中央特快・■青梅特快・■通勤快速(平日下りのみ)・■快速
- 東京駅 (JC 01) - 神田駅 (JC 02)
総武線(快速)・横須賀線
- ■快速(横須賀線内は普通)
- 新橋駅 (JO 18) - 東京駅 (JO 19) - 新日本橋駅 (JO 20)
- ■快速(横須賀線内は普通)
京葉線
- 東海旅客鉄道(JR東海)
東海道新幹線
- 東京駅 - 品川駅
脚注[編集]
記事本文[編集]
注釈[編集]
![JJ](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7c/JR_JJ_line_symbol.svg/15px-JR_JJ_line_symbol.svg.png)
![JT](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/92/JR_JT_line_symbol.svg/15px-JR_JT_line_symbol.svg.png)
出典[編集]
報道発表資料[編集]
新聞記事[編集]
利用状況[編集]
- JR・地下鉄の1日平均利用客数
- ^ 各駅の乗車人員 - JR東日本
- ^ 新幹線駅別乗車人員 - JR東日本
- ^ データで見るJR西日本2021 鉄道事業 (PDF) - JR西日本
- ^ データで見るJR西日本 鉄道事業 (PDF) - JR西日本
- ^ データで見るJR西日本2018 鉄道事業 (PDF) - JR西日本
- ^ データで見るJR西日本2019 鉄道事業 (PDF) - JR西日本
- ^ データで見るJR西日本2020 鉄道事業 (PDF) - JR西日本
- ^ データで見るJR西日本2021 鉄道事業 (PDF) - JR西日本
- JR東日本の1999年度以降の乗車人員(在来線+新幹線)
- ^ 各駅の乗車人員(1999年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2000年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2001年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2002年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2003年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2004年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2005年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2006年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2007年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2008年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2009年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2010年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2011年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2012年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2013年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2014年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2015年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2016年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2017年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2018年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2019年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2020年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2021年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2022年度) - JR東日本
- JR東日本の2012年度以降の乗車人員(新幹線)
- ^ 新幹線駅別乗車人員(2012年度) - JR東日本
- ^ 新幹線駅別乗車人員(2013年度) - JR東日本
- ^ 新幹線駅別乗車人員(2014年度) - JR東日本
- ^ 新幹線駅別乗車人員(2015年度) - JR東日本
- ^ 新幹線駅別乗車人員(2016年度) - JR東日本
- ^ 新幹線駅別乗車人員(2017年度) - JR東日本
- ^ 新幹線駅別乗車人員(2018年度) - JR東日本
- ^ 新幹線駅別乗車人員(2019年度) - JR東日本
- ^ 新幹線駅別乗車人員(2020年度) - JR東日本
- ^ 新幹線駅別乗車人員(2021年度) - JR東日本
- ^ 新幹線駅別乗車人員(2022年度) - JR東日本
- JR東海の乗車人員
- ^ 『都市交通年報 平成17年版』(財団法人 運輸政策研究機構)より、「各駅旅客発着通過状況(中京交通圏)」に記載された数値について、定期外と定期を加算し、365日で除して算出。
- ^ 『都市交通年報 平成18年版』(財団法人 運輸政策研究機構)より、「各駅旅客発着通過状況(中京交通圏)」に記載された数値について、定期外と定期を加算し、366日で除して算出。
- ^ 『都市交通年報 平成19年版』(財団法人 運輸政策研究機構)より、「各駅旅客発着通過状況(中京交通圏)」に記載された数値について、定期外と定期を加算し、365日で除して算出。
- ^ 『都市交通年報 平成20年版』(財団法人 運輸政策研究機構)より、「各駅旅客発着通過状況(中京交通圏)」に記載された数値について、定期外と定期を加算し、365日で除して算出。
- 東京メトロの乗降人員
- 東京地下鉄の1日平均利用客数
- 東京府統計書
- 東京都統計年鑑
- ^ 昭和28年 (PDF) - 9ページ
- ^ 昭和29年 (PDF) - 9ページ
- ^ 昭和30年 (PDF) - 9ページ
- ^ 昭和31年 (PDF)
- ^ 昭和32年 (PDF)
- ^ 昭和33年 (PDF)
- ^ 昭和34年
- ^ 昭和35年
- ^ 昭和36年
- ^ 昭和37年
- ^ 昭和38年
- ^ 昭和39年
- ^ 昭和40年
- ^ 昭和41年
- ^ 昭和42年
- ^ 昭和43年
- ^ 昭和44年
- ^ 昭和45年
- ^ 昭和46年
- ^ 昭和47年
- ^ 昭和48年
- ^ 昭和49年
- ^ 昭和50年
- ^ 昭和51年
- ^ 昭和52年
- ^ 昭和53年
- ^ 昭和54年
- ^ 昭和55年
- ^ 昭和56年
- ^ 昭和57年
- ^ 昭和58年
- ^ 昭和59年
- ^ 昭和60年
- ^ 昭和61年
- ^ 昭和62年
- ^ 昭和63年
- ^ 平成元年
- ^ 平成2年
- ^ 平成3年
- ^ 平成4年
- ^ 平成5年
- ^ 平成6年
- ^ 平成7年
- ^ 平成8年
- ^ 平成9年
- ^ 平成10年 (PDF)
- ^ 平成11年 (PDF)
- ^ 平成12年
- ^ 平成13年
- ^ 平成14年
- ^ 平成15年
- ^ 平成16年
- ^ 平成17年
- ^ 平成18年
- ^ 平成19年
- ^ 平成20年
- ^ 平成21年
- ^ 平成22年
- ^ 平成23年
- ^ 平成24年
- ^ 平成25年
- ^ 平成26年
- ^ 平成27年
- ^ 平成28年
- ^ 平成29年
- ^ 平成30年
- ^ 平成31年・令和元年