「日没 (ジョルジョーネ)」の版間の差分
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湖に面した画面中央前景の小路のわきの岩に旅行者らしき2人の男が腰掛けている<ref name=JD42>Jill Dunkerton |
湖に面した画面中央前景の小路のわきの岩に旅行者らしき2人の男が腰掛けている<ref name=JD42>{{harvnb|Jill Dunkerton|2010|p=42}}</ref>。青い服を着た若い男は左脚を痛めたらしく、もう一方の年老いた男が患部を治療している。画面右奥の岩場には[[聖ゲオルギウス]]が灰色の馬に騎乗し、奇妙に細長く曲がった尾と足を持つ[[ドラゴン]]に槍を突き立て<ref name=NGL />、画面右端の洞窟には森に住む[[隠者]]らしき人物の姿がある。隠者の下方の崖の下には動物の巣穴があり、猪らしき動物が顔を出している。湖の中央の水面には怪物の姿が見える。さらに中央の2人の人物たちの近くの水辺には大きなくちばしをもった[[悪魔]]が潜んでいる。背景全体は夕焼けの光に包まれている<ref name=JD42 />。画面中央に1本の木が立ち、遠景の丘陵の上には城塞都市が広がっている。また丘陵の下の水辺には水車小屋が見える<ref name=JD42 />。
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通常、前景の2人の人物は[[モンペリエ]]生まれの[[聖人]]で[[ペスト]]患者の[[守護聖人]]である[[聖ロクス]]と、聖ロクスを助けたゴッタルド({{it|Gottardo}})を表していると考えられている<ref name=NGL /><ref name=CTV />。伝説によると聖ロクスは[[ローマ]]巡礼の旅の途上でペストの患者たちを献身的に看病した。しかし[[ピアチェンツァ]]でペストを患い、森に隠棲するが、同地の貴族ゴッタルドに助けられたという。であるならば、本作品は1504年に[[ヴェネト]]地方を襲った疫病が終息したことに感謝して描かれた可能性がある<ref name=NGL />。他にも若者の足を治している[[パドヴァの聖アントニウス]]、[[レムノス島]]に置き去りにされた[[ピロクテテス]]を助ける[[ネオプトレモス]]、強盗に襲われた旅人の世話をしている[[善きサマリア人]]などの説がある<ref name=CTV />。 |
通常、前景の2人の人物は[[モンペリエ]]生まれの[[聖人]]で[[ペスト]]患者の[[守護聖人]]である[[聖ロクス]]と、聖ロクスを助けたゴッタルド({{it|Gottardo}})を表していると考えられている<ref name=NGL /><ref name=CTV />。伝説によると聖ロクスは[[ローマ]]巡礼の旅の途上でペストの患者たちを献身的に看病した。しかし[[ピアチェンツァ]]でペストを患い、森に隠棲するが、同地の貴族ゴッタルドに助けられたという。であるならば、本作品は1504年に[[ヴェネト]]地方を襲った疫病が終息したことに感謝して描かれた可能性がある<ref name=NGL />。他にも若者の足を治している[[パドヴァの聖アントニウス]]、[[レムノス島]]に置き去りにされた[[ピロクテテス]]を助ける[[ネオプトレモス]]、強盗に襲われた旅人の世話をしている[[善きサマリア人]]などの説がある<ref name=CTV />。 |
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このうちピロクテテスとネオプトレモスとする説は、2008年に美術史家エンリコ・ダル・ポッツォ({{it|Enrico Dal Pozzolo}})が唱えたものである。[[ギリシア神話]]によると、[[イリオス|トロイア]]遠征に参加したピロクテテスは航海の途上で足に不治の傷を負ったため、レムノス島に置き去りにされたが、トロイア陥落には彼の力が必要であると[[予言]]されたために、迎えの使者がレムノス島に派遣された。この神話的人物を主人公とする[[ソポクレス]]の[[ギリシア悲劇|悲劇]]『[[ピロクテテス (ソポクレス)|ピロクテテス]]』が1502年にヴェネツィアで[[アルドゥス・マヌティウス]]によって出版されており、ジョルジョーネらヴェネツィアの芸術家たちの関心を引いた可能性がある<ref name=FsA>{{cite web|title=Il “Tramonto” di Giorgione, uno dei paesaggi più suggestivi della storia dell'arte |accessdate=2022/10/11 |url=https://www.finestresullarte.info/opere-e-artisti/giorgione-il-tramonto-national-gallery |publisher=Finestre sull'Arte}}</ref>。 |
このうちピロクテテスとネオプトレモスとする説は、2008年に美術史家エンリコ・ダル・ポッツォ({{it|Enrico Dal Pozzolo}})が唱えたものである。[[ギリシア神話]]によると、[[イリオス|トロイア]]遠征に参加したピロクテテスは航海の途上で足に不治の傷を負ったため、レムノス島に置き去りにされたが、トロイア陥落には彼の力が必要であると[[予言]]されたために、迎えの使者がレムノス島に派遣された。この神話的人物を主人公とする[[ソポクレス]]の[[ギリシア悲劇|悲劇]]『[[ピロクテテス (ソポクレス)|ピロクテテス]]』が1502年にヴェネツィアで[[アルドゥス・マヌティウス]]によって出版されており、ジョルジョーネらヴェネツィアの芸術家たちの関心を引いた可能性がある<ref name=FsA>{{cite web|title=Il “Tramonto” di Giorgione, uno dei paesaggi più suggestivi della storia dell'arte |accessdate=2022/10/11 |url=https://www.finestresullarte.info/opere-e-artisti/giorgione-il-tramonto-national-gallery |publisher=Finestre sull'Arte}}</ref>。 |
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いずれにせよ、これらの2人の人物と水辺の悪魔は絵画本来の描写であるが、悪魔が描かれている意味は不明である<ref name=NGL /><ref name=CTV /> |
いずれにせよ、これらの2人の人物と水辺の悪魔は絵画本来の描写であるが、悪魔が描かれている意味は不明である<ref name=NGL /><ref name=CTV />{{sfn|Jill Dunkerton|2010|p=55}}。
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[[File:Giorgione - Tramonto.jpg|thumb|280px|ジョルジョーネの真筆とされる夕焼けの光に包まれた遠景部分。丘陵の上の都市と、その左下に描かれた水辺の水車小屋など、詳細に描かれている。]]
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[[File:Giorgione - Tramonto.jpg|thumb|280px|ジョルジョーネの真筆とされる夕焼けの光に包まれた遠景部分。丘陵の上の都市と、その左下に描かれた水辺の水車小屋など、詳細に描かれている。]]
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[[File:Vista facciata principale Villa Garzoni.jpg|thumb|280px|絵画が発見されたポンテカザレのガルツォーネ荘(メインファザード)。]] |
[[File:Vista facciata principale Villa Garzoni.jpg|thumb|280px|絵画が発見されたポンテカザレのガルツォーネ荘(メインファザード)。]] |
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状態の良い前景の砂利や背景の風景はジョルジョーネによるものと考えられている<ref name=NGL />。特に遠景は本作品の最も魅力的な部分であり、ジョルジョーネは多くの注意をこの部分に集中させている |
状態の良い前景の砂利や背景の風景はジョルジョーネによるものと考えられている<ref name=NGL />。特に遠景は本作品の最も魅力的な部分であり、ジョルジョーネは多くの注意をこの部分に集中させている{{sfn|Jill Dunkerton|2010|p=58-59}}。実際に遠景の青い丘と都市の風景は詳細に描かれており<ref name=NGL />、﹃[[カステルフランコ祭壇画]]﹄︵{{it|Pala di Castelfranco}}︶や﹃[[三人の哲学者]]﹄︵{{it|Tre filosofi}}︶など、ジョルジョーネの作品に見られる風景と類似している<ref name=CTV />。[[X線撮影]]による科学的調査は、当初、都市の建築群の中に、中央の木の2番目の枝とほぼ同じ高さの塔があったことを明らかにしている{{sfn|Jill Dunkerton|2010|p=59}}。
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その他の人物のうち、一説によると[[大アントニオス|聖アントニウス]]とされる<ref name=CTV />画面右端の「隠者」は広範囲に塗り直されているが、人物像の頭と腕は本来の描写の断片に基づいている可能性がある<ref name=NGL />。 |
その他の人物のうち、一説によると[[大アントニオス|聖アントニウス]]とされる<ref name=CTV />画面右端の「隠者」は広範囲に塗り直されているが、人物像の頭と腕は本来の描写の断片に基づいている可能性がある<ref name=NGL />。 |
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聖ゲオルギウスとドラゴン、および湖中央の怪物は絵画の状態の悪さを隠そうとした20世紀の修復者による追加である<ref name=NGL /><ref name=CTV />。実際に1933年の発見当時と初期の修復後に撮影された絵画の写真画像が複数残っており、そこに聖ゲオルギウスと湖中央の怪物の図像を見ることはできない |
聖ゲオルギウスとドラゴン、および湖中央の怪物は絵画の状態の悪さを隠そうとした20世紀の修復者による追加である<ref name=NGL /><ref name=CTV />。実際に1933年の発見当時と初期の修復後に撮影された絵画の写真画像が複数残っており、そこに聖ゲオルギウスと湖中央の怪物の図像を見ることはできない{{sfn|Jill Dunkerton|2010|p=44-45}}<ref name=FsA />。聖ゲオルギウスの馬の[[ターコイズブルー]]の鞍は若い男性の衣服の[[ウルトラマリン]]や遠くの風景と調和していないが<ref name=JD42 />、かろうじてドラゴンの尻尾はオリジナルの描写とされ、もともとは木の根であったものを利用したのではないかと言われている<ref name=NGL />。
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
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絵画の来歴は不明である。1931年から1932年頃に、{{ill|コッレーレ博物館|en|Museo Correr}}の館長{{ill|ジュリオ・ロレンツェッティ|it|Giulio Lorenzetti}}によって、パドヴァ県[[カンディアーナ]]のポンテカザレ︵{{it|Pontecasale}}︶にある{{ill|ヴィラ・ガルツォーネ (ポンテカザレ)|it|Villa Garzoni (Pontecasale)|label=ガルツォーネ荘}}の多くの古い絵画が置かれた倉庫の中から発見された<ref name=CTV />。この建築物は1540年頃に[[建築家]][[ヤーコポ・サンソヴィーノ]]の設計で建設されたもので、ヴェネツィアの貴族ドナ・ダッレ・ローゼ︵{{it|Donà dalle Rose}}︶家が所有していた<ref name=JD42 />。
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絵画の来歴は不明である。1931年から1932年頃に、{{ill|コッレーレ博物館|en|Museo Correr}}の館長{{ill|ジュリオ・ロレンツェッティ|it|Giulio Lorenzetti}}によって、パドヴァ県[[カンディアーナ]]のポンテカザレ︵{{it|Pontecasale}}︶にある{{ill|ヴィラ・ガルツォーネ (ポンテカザレ)|it|Villa Garzoni (Pontecasale)|label=ガルツォーネ荘}}の多くの古い絵画が置かれた倉庫の中から発見された<ref name=CTV />。この建築物は1540年頃に[[建築家]][[ヤーコポ・サンソヴィーノ]]の設計で建設されたもので、ヴェネツィアの貴族ドナ・ダッレ・ローゼ︵{{it|Donà dalle Rose}}︶家が所有していた<ref name=JD42 />。
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発見された絵画は非常に状態が悪く、画面右下にキャンバスを貫通する穴があり、穴の周囲の絵具が剥落していた。また画面左側の木々と画面中央、右上の岩場は損傷を受けるかあるいは絵具が著しく失われていた<ref name=NGL /><ref name=CTV /> |
発見された絵画は非常に状態が悪く、画面右下にキャンバスを貫通する穴があり、穴の周囲の絵具が剥落していた。また画面左側の木々と画面中央、右上の岩場は損傷を受けるかあるいは絵具が著しく失われていた<ref name=NGL /><ref name=CTV />{{sfn|Jill Dunkerton|2010|p=42-43}}。絵画が[[フィレンツェ]]の[[ウフィツィ美術館]]でも働いていた修復家アウグスト・フェアメーレン︵{{de|Augusto Vermehren}}︶のもとに送られると、フェアメーレンはキャンバスを洗浄して裏打ちしたのち、[[パテ]]と加筆による修復で絵画層の損失を補った<ref name=NGL />。フェアメーレンによって修復された絵画は撮影され、1933年11月4日の[[イギリス]]の﹃[[イラストレイテド・ロンドン・ニュース]]﹄紙に掲載されている<ref name=JD42 />。この絵画をドナ・ダッレ・ローゼ家のコレクションの競売が行われる前に購入したのは、若い[[ロシア]]出身の[[美術商]]・[[美術史家]]ヴィターレ・ブロッホ︵Vitale Bloch︶である。美術史家ロベルト・ロンギはブロッホの共同購入者であったらしい。ロンギは本作品をジョルジョーネに帰属した最も初期の美術史家の1人で、1934年に<!--著書﹃フェラーラの工房﹄︵{{it|Officina Ferrarese}}︶において-->﹃日没﹄というタイトルでジョルジョーネに帰属している。ブロッホは絵画をイタリア国外に輸出する許可を取ると、1934年に修復のために[[ローマ]]のテオドール・デュムラー︵Theodor Dumler︶のもとに送った。この修復でデュムラーはオリジナルの絵具が大きく失われている右側の岩場に、騎乗してドラゴンを討つ聖ゲオルギウスを、画面右下の水中に3つの岩を追加した<ref name=NGL />。修復ののち絵画はロンドンに移され、1955年まで銀行の金庫室で保管されていた。ナショナル・ギャラリーが絵画に関心を持つきっかけとなったのは、この年にヴェネツィアの[[ドゥカーレ宮殿]]で開催されたジョルジョーネ展である。この展覧会で展示された本作を見たナショナル・ギャラリーの館長{{ill|フィリップ・ヘンディ|en|Philip Hendy}}が関心を持ち、ブロッホはその年の10月までに合計50,000[[スターリング・ポンド|ポンド]]を提示た。ナショナル・ギャラリーは購入を検討している間、ブロッホの許可を得て状態の確認を行った。しかし絵画の状態と高い価格は保管委員や学芸員の保留を誘い、1957年に却下された。その後ブロッホは1960年10月に再びわずかに値下げした45,000ポンドを提示し{{sfn|Jill Dunkerton|2010|p=46}}、ナショナル・ギャラリーは1961年に購入した<ref name=NGL /><ref name=CTV />。絵画の修復はその後も続き、ナショナル・ギャラリーの修復家アーサー・ルーカス︵{{en|Arthur Lucas}}︶は水中の3つの岩を除去したが、おそらくひどく損傷していることに気づいて怪物に置き換えた<ref name=NGL />。
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== ギャラリー == |
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== 参考文献 == |
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* Jill Dunkerton |
* {{Cite journal|author=Jill Dunkerton |url=https://www.nationalgallery.org.uk/technical-bulletin/dunkerton2010 |title=Giorgione and not Giorgione: The Conservation History and Technical Examination of Il Tramonto |journal=[https://www.nationalgallery.org.uk/research/research-resources/technical-bulletin/technical-bulletin-volume-31 Technical Bulletin] |volume 31 |publisher=National Gallery Company London |year=2010 |ref={{harvid|Jill Dunkerton|2010}}}} |
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* 河田淳 |
* {{Cite journal|和書|author=河田淳 |date=2016-03 |url=https://hdl.handle.net/2433/217007 |title=<論文>太ももの「傷」:15 世紀末イタリアにおける聖ロクス信仰の発展 |journal=ディアファネース : 芸術と思想 |ISSN=2188-3548 |publisher=京都大学大学院人間・環境学研究科岡田温司研究室 |volume=3 |pages=83-104 |hdl=2433/217007 |CRID=1050001335838338560 |ref=harv}} |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
2024年2月21日 (水) 07:08時点における最新版
イタリア語: Il Tramonto 英語: The Sunset | |
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作者 | ジョルジョーネ |
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製作年 | 1506年-1510年 |
種類 | 油彩、キャンバス |
寸法 | 73.3 cm × 91.4 cm (28.9 in × 36.0 in) |
所蔵 | ナショナル・ギャラリー、ロンドン |
作品[編集]
湖に面した画面中央前景の小路のわきの岩に旅行者らしき2人の男が腰掛けている[3]。青い服を着た若い男は左脚を痛めたらしく、もう一方の年老いた男が患部を治療している。画面右奥の岩場には聖ゲオルギウスが灰色の馬に騎乗し、奇妙に細長く曲がった尾と足を持つドラゴンに槍を突き立て[1]、画面右端の洞窟には森に住む隠者らしき人物の姿がある。隠者の下方の崖の下には動物の巣穴があり、猪らしき動物が顔を出している。湖の中央の水面には怪物の姿が見える。さらに中央の2人の人物たちの近くの水辺には大きなくちばしをもった悪魔が潜んでいる。背景全体は夕焼けの光に包まれている[3]。画面中央に1本の木が立ち、遠景の丘陵の上には城塞都市が広がっている。また丘陵の下の水辺には水車小屋が見える[3]。 通常、前景の2人の人物はモンペリエ生まれの聖人でペスト患者の守護聖人である聖ロクスと、聖ロクスを助けたゴッタルド︵Gottardo︶を表していると考えられている[1][2]。伝説によると聖ロクスはローマ巡礼の旅の途上でペストの患者たちを献身的に看病した。しかしピアチェンツァでペストを患い、森に隠棲するが、同地の貴族ゴッタルドに助けられたという。であるならば、本作品は1504年にヴェネト地方を襲った疫病が終息したことに感謝して描かれた可能性がある[1]。他にも若者の足を治しているパドヴァの聖アントニウス、レムノス島に置き去りにされたピロクテテスを助けるネオプトレモス、強盗に襲われた旅人の世話をしている善きサマリア人などの説がある[2]。 このうちピロクテテスとネオプトレモスとする説は、2008年に美術史家エンリコ・ダル・ポッツォ︵Enrico Dal Pozzolo︶が唱えたものである。ギリシア神話によると、トロイア遠征に参加したピロクテテスは航海の途上で足に不治の傷を負ったため、レムノス島に置き去りにされたが、トロイア陥落には彼の力が必要であると予言されたために、迎えの使者がレムノス島に派遣された。この神話的人物を主人公とするソポクレスの悲劇﹃ピロクテテス﹄が1502年にヴェネツィアでアルドゥス・マヌティウスによって出版されており、ジョルジョーネらヴェネツィアの芸術家たちの関心を引いた可能性がある[4]。 いずれにせよ、これらの2人の人物と水辺の悪魔は絵画本来の描写であるが、悪魔が描かれている意味は不明である[1][2][5]。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/10/Giorgione_-_Tramonto.jpg/280px-Giorgione_-_Tramonto.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/af/Vista_facciata_principale_Villa_Garzoni.jpg/280px-Vista_facciata_principale_Villa_Garzoni.jpg)