「明治25年板垣退助暗殺未遂事件」の版間の差分
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翌2月12日、板垣らは汽車で神戸に到着し諏訪山の演説会場へ向おうと、[[三ノ宮|三宮]](現在の[[三ノ宮]]ではなく[[元町駅 (兵庫県)|元町]]附近<ref>明治7年(1874年)に開通し、のちの東海道本線となる官営の鉄道。</ref>)の駅を出て人力車で線路の踏切を渡ろうとした際、凶賊が拳銃で板垣を射殺しようとした<ref name="itagakikundenki3">『板垣退助君傳記(第3巻)』宇田友猪著、原書房、289-290頁</ref>。板垣の人力車の後方について護衛していた佐藤歳造は、咄嗟にこの異変に気づき、刀を片手に身を投げ出して人力車をかばった為、凶賊は板垣を狙い撃つことが出来なかった。佐藤歳造は旧因州[[鳥取藩]]士(馬廻格)の者で剣術に手慣れていた。凶賊は大阪の侠客・[[小林佐兵衛]]の子分で神戸の博徒を仕切っていた鷲田卯蔵で、官憲に賄賂を贈って3年間賭博を黙許されていた。それがために吏党の意を含み、自由党総理の板垣が来ることを知り、これを殺傷せんと秘かに機を窺っていた<ref name="itagakikundenki3" />。 |
翌2月12日、板垣らは汽車で神戸に到着し諏訪山の演説会場へ向おうと、[[三ノ宮|三宮]](現在の[[三ノ宮]]ではなく[[元町駅 (兵庫県)|元町]]附近<ref>明治7年(1874年)に開通し、のちの東海道本線となる官営の鉄道。</ref>)の駅を出て人力車で線路の踏切を渡ろうとした際、凶賊が拳銃で板垣を射殺しようとした<ref name="itagakikundenki3">『板垣退助君傳記(第3巻)』宇田友猪著、原書房、289-290頁</ref>。板垣の人力車の後方について護衛していた佐藤歳造は、咄嗟にこの異変に気づき、刀を片手に身を投げ出して人力車をかばった為、凶賊は板垣を狙い撃つことが出来なかった。佐藤歳造は旧因州[[鳥取藩]]士(馬廻格)の者で剣術に手慣れていた。凶賊は大阪の侠客・[[小林佐兵衛]]の子分で神戸の博徒を仕切っていた鷲田卯蔵で、官憲に賄賂を贈って3年間賭博を黙許されていた。それがために吏党の意を含み、自由党総理の板垣が来ることを知り、これを殺傷せんと秘かに機を窺っていた<ref name="itagakikundenki3" />。 |
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佐藤の大喝によって事件は未遂に終わったが、これがために神戸での演説会場はことごとく謝絶され、やむなく兵庫県会副議長・吉田氏宅にて演説せざるを得なかった<ref name="itagakikundenki3" />。板垣は同日、播州龍野での演説会を予定していたが、この龍野でも刺客らに命を狙われかけている<ref name="itagakikundenki3" />。翌13日、板垣退助、[[大隈重信]]は﹁集会及政社法違反﹂の嫌疑で告発された︵後に証拠不充分で不起訴︶<ref>﹃朝野新聞﹄明治25年2月13日号</ref>。命の危険を顧みず、板垣は翌14日、この選挙最終日となる演説を大阪[[高槻市|高槻]]で行い帰京した<ref>﹃[https://web.archive.org/web/20230208223301/https://osaka-bunkazainavi.org/bunkazai/%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E5%AE%B6%E4%BD%8F%E5%AE%85%E4%B8%BB%E5%B1%8B%EF%BC%88%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E5%8C%BB%E9%99%A2%EF%BC%89 大阪府文化財ナビ |
佐藤の大喝によって事件は未遂に終わったが、これがために神戸での演説会場はことごとく謝絶され、やむなく兵庫県会副議長・吉田氏宅にて演説せざるを得なかった<ref name="itagakikundenki3" />。板垣は同日、播州龍野での演説会を予定していたが、この龍野でも刺客らに命を狙われかけている<ref name="itagakikundenki3" />。翌13日、板垣退助、[[大隈重信]]は﹁集会及政社法違反﹂の嫌疑で告発された︵後に証拠不充分で不起訴︶<ref>﹃朝野新聞﹄明治25年2月13日号</ref>。命の危険を顧みず、板垣は翌14日、この選挙最終日となる演説を大阪[[高槻市|高槻]]で行い帰京した<ref>﹃[https://web.archive.org/web/20230208223301/https://osaka-bunkazainavi.org/bunkazai/%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E5%AE%B6%E4%BD%8F%E5%AE%85%E4%B8%BB%E5%B1%8B%EF%BC%88%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E5%8C%BB%E9%99%A2%EF%BC%89 横山家住宅主屋︵横山医院︶]﹄文化庁︵大阪府文化財ナビ︶、国登録有形文化財・第1回高槻市景観賞︵建造物部門︶受賞 </ref>。同月15日、臨時総選挙が行われたが、高知県和田村では選挙の管理者である幡多郡書記の細川速水が殺害されて投票無効となり<ref>﹃明治25年高知県臨時総撰挙暴動彙報﹄</ref>、高知県会議員・[[楠目玄]]は反対派に斬られ重傷を負った<ref>﹃東京朝日新聞﹄明治25年2月17日号</ref>。
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== 選挙結果 == |
== 選挙結果 == |
2024年6月20日 (木) 07:49時点における版
概略
事件の背景
暗殺未遂事件
選挙結果
吏党側の選挙干渉による妨害にも関わらず、当選者は自由党94名、改進党38名、独立倶楽部31名の民党議席163名に対し、吏党は中央交渉部95名、その他42名の議席数137名となったため、民党が絶対数を制した[17]。脚注
- ^ a b c d e f g h 『板垣退助君傳記(第3巻)』宇田友猪著、原書房、289-290頁
- ^ a b c d 『何度も繰り返し起きた板垣退助暗殺未遂事件 -板垣はいかにこれらの窮地を切り抜けたか-』一般社団法人板垣退助先生顕彰会
- ^ 『維新前夜経歴談』(所収『維新史料編纂会講演速記録(1)』127頁)
- ^ a b 『岐阜県上申自由党綜理板垣退助遭害ノ件・自第一号至第五号』
- ^ 『板垣退助君傳記(第2巻)』宇田友猪著、原書房、2009年、914-917頁
- ^ 『獄裡の夢(一名、相原尚褧君実伝)』池田豊志智編、金港堂、明治22年(1889年)7月
- ^ 『板垣退助君傳記(第3巻)』宇田友猪著、原書房、287-288頁
- ^ 『板垣退助君傳記(第3巻)』宇田友猪著、原書房、272頁
- ^ 『板垣退助君傳記(第3巻)』宇田友猪著、原書房、282頁
- ^ 『板垣退助君傳記(第3巻)』宇田友猪著、原書房、288頁
- ^ 『時事新報』明治25年2月14日号
- ^ 明治7年(1874年)に開通し、のちの東海道本線となる官営の鉄道。
- ^ 『朝野新聞』明治25年2月13日号
- ^ 『横山家住宅主屋(横山医院)』文化庁(大阪府文化財ナビ)、国登録有形文化財・第1回高槻市景観賞(建造物部門)受賞
- ^ 『明治25年高知県臨時総撰挙暴動彙報』
- ^ 『東京朝日新聞』明治25年2月17日号
- ^ 『板垣退助君傳記(第3巻)』宇田友猪著、原書房、290-296頁
参考文献
- 宇田友猪『板垣退助君傳記(第2巻)』原書房、2009年、914-917頁
- 宇田友猪『板垣退助君傳記(第3巻)』原書房、2009年、289-290頁
- 中元崇智『板垣退助』中央公論新社〈中公新書〉、2020年、95頁
- 一般社団法人板垣退助先生顕彰会(編)『何度も繰り返し起きた板垣退助暗殺未遂事件 -板垣はいかにこれらの窮地を切り抜けたか-』自由民権150年記念、2024年、8-12頁
- 板垣退助論述『維新前夜経歴談』(所収『維新史料編纂会講演速記録(1)』127頁