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*後の[[東京都]][[神田 (千代田区)|神田]]生まれ。[[1945年]]︵昭和20年︶に父の転勤により後の[[可児市]]に転居 |
*後の[[東京都]][[神田 (千代田区)|神田]]生まれ。[[1945年]](昭和20年)に父の転勤により後の[[岐阜県]][[可児市]]に転居。 |
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*[[名古屋大学]]法学部卒業後、[[日本放送協会|NHK]]に入 |
*[[岐阜県立東濃高等学校]]を経て[[名古屋大学]][[法学部]]卒業後、[[日本放送協会|NHK]]に入局し、[[鹿児島県|鹿児島]]などの地方局から東京社会部、海外特派員を経て、NHK解説委員を勤める。
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*[[1994年]](平成6年)、御嵩町の産業廃棄物処理場の建設問題に対し、建設反対派から町長選の出馬を依頼され承諾する。[[1995年]](平成7年)4月26日の町長選で当選する。 |
*[[1994年]](平成6年)、御嵩町の産業廃棄物処理場の建設問題に対し、建設反対派から町長選の出馬を依頼され承諾する。[[1995年]](平成7年)4月26日の町長選で当選する。 |
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*[[1996年]](平成8年)10月30日、自宅[[マンション]]4階の[[エレベーター]]で2人組の男性に襲われる。直ちに御嵩町内の桃井病院に運ばれるが、一時意識不明となる。このため[[岐阜県立多治見病院]]に緊急入院する。左頭蓋骨陥没骨折。右肋骨3本が折れて肺に刺さり、右鎖骨と右腕骨が折れていた。 |
*[[1996年]](平成8年)10月30日、自宅[[マンション]]4階の[[エレベーター]]で2人組の男性に襲われる。直ちに御嵩町内の桃井病院に運ばれるが、一時意識不明となる。このため[[岐阜県立多治見病院]]に緊急入院する。左頭蓋骨陥没骨折。右肋骨3本が折れて肺に刺さり、右鎖骨と右腕骨が折れていた。 |
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== 業績 == |
== 業績 == |
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*在任中の大きな問題は[[産業廃棄物処理場]]の建設問題であった。[[1997年]]︵平成9年︶1月14日に[[住民投票条例]]が可決され、6月22日に全国初の産廃処分場計画を争点にした住民投票を実施している。その結果は投票率87.50%・反対79.65%となった。紆余曲折をへて、2008年3月26日、[[古田肇]]知事、[[渡辺公夫]]御嵩町長、処分場の建設を計画した[[寿和工業]]︵可児市︶の清水道雄社長が県庁で会談し、寿和工業が県に提出していた処分場建設の許可申請を取り下げることで合意した︵﹃[[岐阜新聞]]﹄2008/03/27︶。
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*在任中の大きな問題は[[産業廃棄物処理場]]の建設問題であった。[[1997年]]︵平成9年︶1月14日に[[住民投票条例]]が可決され、6月22日に全国初の産廃処分場計画を争点にした住民投票を実施している。その結果は投票率87.50%・反対79.65%となった。紆余曲折をへて、2008年3月26日、[[古田肇]]知事、[[渡辺公夫]]御嵩町長、処分場の建設を計画した[[寿和工業]]︵可児市︶の清水道雄社長が県庁で会談し、寿和工業が県に提出していた処分場建設の許可申請を取り下げることで合意した︵﹃[[岐阜新聞]]﹄2008/03/27︶。
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*国、県などへの贈答を廃止し、岐阜県で最初の[[情報公開条例]]を制定するなど、住民に開かれた町政を行 |
*国、県などへの贈答を廃止し、岐阜県で最初の[[情報公開条例]]を制定するなど、住民に開かれた町政を行った。 |
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*平成の大合併では、御嵩町は[[可児市]]、可児郡[[兼山町]]との1市2町で可児市郡合併協議会に参加し合併を目指したが、上水道や共有地の問題のため協議会から離脱している。 |
*平成の大合併では、御嵩町は[[可児市]]、可児郡[[兼山町]]との1市2町で可児市郡合併協議会に参加し合併を目指したが、上水道や共有地の問題のため協議会から離脱している。 |
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*[[1998年]](平成10年)には「[[全国産廃問題市町村連絡会]]」を設立し、その中止的な役割を果たした。 |
*[[1998年]](平成10年)には「[[全国産廃問題市町村連絡会]]」を設立し、その中止的な役割を果たした。 |
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== 産業廃棄物処理場問題 == |
== 産業廃棄物処理場問題 == |
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*御嵩町の産業廃棄物処理場は[[1991年]]に計画された |
*御嵩町の産業廃棄物処理場は[[1991年]]に計画されたが、当初御嵩町は反対していたという。しかし、1995年になって急に賛成に態度を変化させている。これには何らかの圧力が疑われており、町と処理業者が、住民への説明なしに振興協力金名目で35億円の支払を盛込んだ協定を締結している。また、反対派住民には無言電話や動物の死骸を玄関先に投げ捨ててあるなどの嫌がらせが多発した。また、[[1997年]]と[[1998年]]には柳川町長宅電話[[盗聴]]容疑等で数人が逮捕されている。一説では、この産業廃棄物処理場建設の利権に、数多くの役人、業者、暴力団関係者などが絡んでいたという。
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*産業廃棄物処理場の建設は処理業者と岐阜県とが深く結びついていたと言われている。事実岐阜県は住民投票の前に、積極的に産業廃棄物処理場が安全であること、この処理場が地域の振興のためであることをPRしている。また、御嵩町が岐阜県や業者へ提出した処分場に関する質問状にも明確な回答はされなかった。このことから柳川喜郎は岐阜県に対して大きな不信感を抱いており、事件後約10年間、知事とは面会していなかった。
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*産業廃棄物処理場の建設は処理業者と岐阜県とが深く結びついていたと言われている。事実岐阜県は住民投票の前に、積極的に産業廃棄物処理場が安全であること、この処理場が地域の振興のためであることをPRしている。また、御嵩町が岐阜県や業者へ提出した処分場に関する質問状にも明確な回答はされなかった。このことから柳川喜郎は岐阜県に対して大きな不信感を抱いており、事件後約10年間、知事とは面会していなかった。
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*[[2003年]]︵平成15年︶、﹁岐阜県史通史編 続・現代﹂が刊行されたが、執筆者が執筆した |
*[[2003年]]︵平成15年︶、﹁岐阜県史通史編 続・現代﹂が刊行されたが、執筆者が執筆した際の原稿にあった産廃問題︵御嵩町の問題を含む︶、環境問題︵[[長良川河口堰]]、[[徳山ダム]]など︶の項目が全て削除されていたことが判明している。岐阜県としては御嵩町の産業廃棄物処理場問題はないものにしたいという考えだとして問題となっている。これに対して御嵩町は[[2006年]]︵平成18年︶5月、町制50年記念として﹁御嵩町史 通史続現代﹂を刊行し、産業廃棄物処理場問題を事細かに記述している。
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*くわしくは、[[御嵩町|産廃処分場をめぐる事件]]参照 |
*くわしくは、[[御嵩町|産廃処分場をめぐる事件]]を参照。 |
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== 著書 == |
== 著書 == |
2012年5月29日 (火) 02:20時点における版
柳川喜郎 やながわ よしろう | |
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生年月日 | 1933年1月 |
出生地 | 東京都千代田区 |
出身校 | 名古屋大学法学部卒業 |
前職 | NHK職員 |
所属政党 | 無所属 |
御嵩町長 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1995年 - 2007年4月26日 |
人物
御嵩町長在任中の1996年︵平成8年︶に暴漢に襲われ︵御嵩町長襲撃事件︶、一時は意識不明の重体となったが回復後に復帰。当時の御嵩町は産業廃棄物処分場計画で大きく揺れており、柳川喜郎は計画反対であった。そのため産廃処分場計画との関連が指摘されたが犯人の検挙には至らず、2011年10月30日に公訴時効が成立した[1]。この事件は民主主義に対する暴圧として大きく取り上げられた。略歴
●後の東京都神田生まれ。1945年︵昭和20年︶に父の転勤により後の岐阜県可児市に転居。 ●岐阜県立東濃高等学校を経て名古屋大学法学部卒業後、NHKに入局し、鹿児島などの地方局から東京社会部、海外特派員を経て、NHK解説委員を勤める。 ●1994年︵平成6年︶、御嵩町の産業廃棄物処理場の建設問題に対し、建設反対派から町長選の出馬を依頼され承諾する。1995年︵平成7年︶4月26日の町長選で当選する。 ●1996年︵平成8年︶10月30日、自宅マンション4階のエレベーターで2人組の男性に襲われる。直ちに御嵩町内の桃井病院に運ばれるが、一時意識不明となる。このため岐阜県立多治見病院に緊急入院する。左頭蓋骨陥没骨折。右肋骨3本が折れて肺に刺さり、右鎖骨と右腕骨が折れていた。 ●2007年︵平成19年︶3月1日、4月に行われる次回町長選に出馬しないことを表明。業績
●在任中の大きな問題は産業廃棄物処理場の建設問題であった。1997年︵平成9年︶1月14日に住民投票条例が可決され、6月22日に全国初の産廃処分場計画を争点にした住民投票を実施している。その結果は投票率87.50%・反対79.65%となった。紆余曲折をへて、2008年3月26日、古田肇知事、渡辺公夫御嵩町長、処分場の建設を計画した寿和工業︵可児市︶の清水道雄社長が県庁で会談し、寿和工業が県に提出していた処分場建設の許可申請を取り下げることで合意した︵﹃岐阜新聞﹄2008/03/27︶。 ●国、県などへの贈答を廃止し、岐阜県で最初の情報公開条例を制定するなど、住民に開かれた町政を行った。 ●平成の大合併では、御嵩町は可児市、可児郡兼山町との1市2町で可児市郡合併協議会に参加し合併を目指したが、上水道や共有地の問題のため協議会から離脱している。 ●1998年︵平成10年︶には﹁全国産廃問題市町村連絡会﹂を設立し、その中止的な役割を果たした。産業廃棄物処理場問題
●御嵩町の産業廃棄物処理場は1991年に計画されたが、当初御嵩町は反対していたという。しかし、1995年になって急に賛成に態度を変化させている。これには何らかの圧力が疑われており、町と処理業者が、住民への説明なしに振興協力金名目で35億円の支払を盛込んだ協定を締結している。また、反対派住民には無言電話や動物の死骸を玄関先に投げ捨ててあるなどの嫌がらせが多発した。また、1997年と1998年には柳川町長宅電話盗聴容疑等で数人が逮捕されている。一説では、この産業廃棄物処理場建設の利権に、数多くの役人、業者、暴力団関係者などが絡んでいたという。 ●産業廃棄物処理場の建設は処理業者と岐阜県とが深く結びついていたと言われている。事実岐阜県は住民投票の前に、積極的に産業廃棄物処理場が安全であること、この処理場が地域の振興のためであることをPRしている。また、御嵩町が岐阜県や業者へ提出した処分場に関する質問状にも明確な回答はされなかった。このことから柳川喜郎は岐阜県に対して大きな不信感を抱いており、事件後約10年間、知事とは面会していなかった。 ●2003年︵平成15年︶、﹁岐阜県史通史編 続・現代﹂が刊行されたが、執筆者が執筆した際の原稿にあった産廃問題︵御嵩町の問題を含む︶、環境問題︵長良川河口堰、徳山ダムなど︶の項目が全て削除されていたことが判明している。岐阜県としては御嵩町の産業廃棄物処理場問題はないものにしたいという考えだとして問題となっている。これに対して御嵩町は2006年︵平成18年︶5月、町制50年記念として﹁御嵩町史 通史続現代﹂を刊行し、産業廃棄物処理場問題を事細かに記述している。 ●くわしくは、産廃処分場をめぐる事件を参照。著書
●﹃襲われて-産廃の闇、自治の光﹄岩波書店、2009年 ●﹃桜島噴火記―住民ハ理論ニ信頼セズ﹄日本放送出版協会、1984年関連項目
●御嵩町長襲撃事件関連文献
●伊藤達也﹃検証岐阜県史問題―なぜ御嵩産廃問題は掲載されなかったのか﹄︵ユニテ 2005/04 ISBN-13: 978-4843230664︶ ●御嵩町教育委員会町史編さん室編﹃御嵩町史 通史編 現代﹄︵2006/05 御嵩町教育委員会教育課総務係︶ ●ましこ・ひでのり﹁﹃岐阜県史﹄問題再考 ─ 産廃行政に関する﹁県史﹂等の記述の政治性―﹂大橋博明ほか﹃地域をつくる﹄︵勁草書房 2008/04 ISBN-13: 978-4326848645︶その他
●NHKの記者だった頃に名張毒ぶどう酒事件を取材したことがある。脚注
- ^ 岐阜・御嵩町長襲撃事件、時効が成立 読売新聞 2011年10月30日閲覧。