「水上温泉」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし |
おらも連れて行ってくれえ (会話 | 投稿記録) 深山幽谷リンク |
||
34行目: | 34行目: | ||
== 歴史 == |
== 歴史 == |
||
[[開湯伝説]]としては、[[永禄]]年間に海翁和尚が利根川の崖から立ち上る煙を発見したのが草創と伝えられる。水上温泉が有名になったのは、[[若山牧水]]の「[[みなかみ紀行]]」であり、この頃には既に20ないし30の宿が構えていたと記されている。もっとも[[清水トンネル]]が開通するまでは、一帯は隔絶された深山幽谷の温泉地として知られた。しかしながら、温泉情緒と雄大な渓谷美の自然が調和した温泉として多くの文人に愛され、牧水以外にも[[太宰治]]、[[北原白秋]]、[[与謝野晶子]]など多くの文人墨客が訪れたという。当時は水上温泉という名ではなく、湯原温泉と呼ばれた。今日でもこの地名を用いることがある。 |
[[開湯伝説]]としては、[[永禄]]年間に海翁和尚が利根川の崖から立ち上る煙を発見したのが草創と伝えられる。水上温泉が有名になったのは、[[若山牧水]]の﹁[[みなかみ紀行]]﹂であり、この頃には既に20ないし30の宿が構えていたと記されている。もっとも[[清水トンネル]]が開通するまでは、一帯は隔絶された[[深山幽谷]]の温泉地として知られた。しかしながら、温泉情緒と雄大な渓谷美の自然が調和した温泉として多くの文人に愛され、牧水以外にも[[太宰治]]、[[北原白秋]]、[[与謝野晶子]]など多くの文人墨客が訪れたという。当時は水上温泉という名ではなく、湯原温泉と呼ばれた。今日でもこの地名を用いることがある。
|
||
[[1931年]]︵[[昭和]]6年︶に国鉄の[[上越線]]が開通すると首都圏の[[奥座敷]]として注目を浴び、以後は[[水上 (列車)|急行﹁ゆけむり﹂・特急﹁谷川﹂]]の運行、[[国道]]の整備や[[関越自動車道]]との接続などにより、団体旅行客を多数収容できる県下有数の行楽温泉地として発展した。平衡して歓楽的要素も強くなり、飲み屋やショーパブなども多く出店して、大規模な風俗街を形成した。
|
[[1931年]]︵[[昭和]]6年︶に国鉄の[[上越線]]が開通すると首都圏の[[奥座敷]]として注目を浴び、以後は[[水上 (列車)|急行﹁ゆけむり﹂・特急﹁谷川﹂]]の運行、[[国道]]の整備や[[関越自動車道]]との接続などにより、団体旅行客を多数収容できる県下有数の行楽温泉地として発展した。平衡して歓楽的要素も強くなり、飲み屋やショーパブなども多く出店して、大規模な風俗街を形成した。
|
2010年11月18日 (木) 16:57時点における版
![]() | |
---|---|
![]() | |
温泉情報 | |
所在地 | 群馬県利根郡みなかみ町 |
交通 |
鉄道:上越線水上駅下車から徒歩約5分 車:関越自動車道水上インターチェンジICから国道291号経由 |
泉質 | 硫酸塩泉 |
水上温泉︵みなかみおんせん︶は、群馬県利根郡みなかみ町︵旧国上野国︶にある温泉。谷川岳南麓一帯を水上温泉郷と呼び、その根幹を成す中心温泉地である。戦後になって交通アクセスの良さを理由に大幅に規模を拡大し、草津や伊香保と並ぶ県下有数の温泉地として発展した。