出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年3月6日 (木) 15:15時点における版
作品
●﹃此一戦﹄
1911年︵明治44年︶に博文館より刊行。1905年︵明治38年︶5月27日、東郷平八郎司令長官率いる連合艦隊は、当時無敵の艦隊として世界に名を轟かせたロシア・バルチック艦隊を日本海に迎え撃った。海軍大尉として従軍した廣徳は、日露両艦隊の戦力比較から丁字戦法、後に東郷ターンと言われた奇跡の敵前大回頭など、日本海海戦の実像を臨場感をもって記した。また戦闘の合間にある士官兵卒の会話、バルチック艦隊の大遠征、秋山真之が敵艦に乗艦し降伏を受け入れる緊迫した場面などが克明に描かれている日本海海戦を描いたルポルタージュ。なお、﹃此一戦﹄が無許可出版であったので処罰されたとする評論がいくつかあるが、これは2作目の﹃次の一戦﹄の時のことである。﹃此一戦﹄は許可を受けての刊行であり、東郷らの題字や加藤友三郎らの序文が掲載されている。
●﹃次の一戦﹄
1914年︵大正3年︶に金尾文淵堂より刊行。日米戦争のシミュレーション・ノベル。日露戦争のときはロシア海軍の旅順艦隊とバルチック艦隊を別々に撃破することが可能であったが、対アメリカ戦ではパナマ運河開通により太平洋艦隊と大西洋艦隊の両艦隊と間をおかず戦わねばならず、日本が敗北する結末を描いて海軍の拡張を訴えた。無許可出版であったため処罰を受けたが、時の海軍大臣・八代六郎が海軍の必要を訴える内容であったことに気を良くし、10日の謹慎処分を5日に軽減した。
●﹃戦影﹄︵﹃血の飛沫﹄︶
1914年︵大正3年︶に金尾文淵堂より刊行。1904年︵明治37年︶の日露戦争における旅順方面の作戦を水雷艇長であった著者の視点で描いた。旅順口封鎖のための哨戒任務や、第三回旅順口閉塞作戦に閉塞隊員収容の任務に当たった時の状況などが克明に描かれる。1930年︵昭和5年︶、改訂版を改造社より刊行。初版でしばしば訴えていた海軍の拡張を訴える文言を削除。1935年︵昭和10年︶に香風閣より刊行された際には﹃血の飛沫﹄と改題。しかし1939年︵昭和14年︶の雄山閣での刊行の際は元の題名に戻した。
●﹃海と空﹄
1930年︵昭和5年︶に海洋社より刊行。日米戦のシミュレーション・ノベル。海戦において大艦巨砲が既に時代遅れであり、戦局を決定するのが航空戦力であることを明示し、東京大空襲を予言。
●﹃打開か破滅か 興亡の此一戦﹄
1932年︵昭和7年︶に東海書院より刊行。﹃海と空﹄を膨らませたもので、戦闘シーンの一部や東京大空襲の描写には﹃海と空﹄を流用。当時多数刊行されていた日米戦争を煽り立てる著作に対する批判や社会評論が随所に挿入されている。満州問題を論じた部分が検閲に引っかかり、発売後まもなく発禁となる。検閲で不可とされた部分を伏字とし﹃日米興亡の一戦﹄と改題、東海書院より再刊行。
●﹃秋山眞之﹄
1933年︵昭和8年︶に秋山眞之会から限定刊行。桜井真清を代表として複数で執筆された秋山真之の伝記で、水野は立案監修を担当。翌年これを一般刊行のため簡略化した﹃提督秋山眞之﹄︵岩波書店刊︶には﹁巻頭に寄す﹂を書く。
●﹃秋山好古﹄
1935年︵昭和10年︶に秋山好古伝記刊行会より刊行。秋山好古の伝記。﹃秋山眞之﹄同様桜井真清が代表者となっているが、執筆は廣徳が主導して松下芳男と2人で行われた。﹃秋山眞之﹄﹃秋山好古﹄ともにこの兄弟を研究する際の必須資料となっており、司馬遼太郎の﹃坂の上の雲﹄なども両書から多大な影響を受けている。
参照文献
●木村久邇典 ﹃帝国軍人の反戦‥水野広徳と桜井忠温﹄朝日新聞社、1993 ISBN 4022607823
関連項目
●大日本帝国海軍軍人一覧
●愛媛県出身の人物一覧