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*『日本上代史の一研究』 近藤書店、1947年 |
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*『日本上代史の一研究』 近藤書店、1947年 |
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*『元寇の新研究』 東洋文庫、1931年 |
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*『元寇の新研究』 東洋文庫、1931年 |
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*『満鮮史研究』全5巻 [[吉川弘文館]]、1951年-1979年 |
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*『[[満鮮史]]研究』全5巻 [[吉川弘文館]]、1951年-1979年 |
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=== 回想 === |
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*『[[東方学会|東方学回想]] Ⅱ 先学を語る〈2〉』([[刀水書房]]、2000年)、関係者の座談会での回想を収録。 |
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*『[[東方学会|東方学回想]] Ⅱ 先学を語る〈2〉』([[刀水書房]]、2000年)、関係者の座談会での回想を収録。 |
2016年10月23日 (日) 19:00時点における版
池内 宏︵いけうち ひろし 1878年9月28日 - 1952年11月1日︶は、東洋史学者。祖父は儒学者の池内大学。
略歴
東京府出身。東京府尋常中学校、第一高等学校を経て、1904年東京帝国大学文科大学史学科︵東洋史専攻︶卒業。1913年に東京帝大講師、1916年、助教授、1922年、﹁鮮初の東北境と女真との関係﹂により東京帝国大学から文学博士、1925年から教授。1937年に帝国学士院会員。1939年、東京帝国大学を定年退官、名誉教授。
朝鮮総督の依頼で満鉄調査部歴史調査部にて実証主義的︵考証的︶な満蒙・朝鮮の東洋古代史研究の基礎を確立した。
朝鮮古代史の乏しい資料の中で花郎の研究、また慶長の役などの全体像を描き出すことに尽力したことでも知られている。
村山正雄は次のように評している[1]。
東北アジア︵いわゆる満州、朝鮮︶および日本の古代史の研究で優れた業績を残した。︵中略︶多くの論文の執筆と有能な後進の育成に努めた。1937年、帝国学士院会員に推された。また南満州鉄道株式会社調査部の依頼による古代史研究面でも大きく貢献した。
武田幸男は次のように評している[2]。
高麗史関係で最も注目される論文集は、池内宏の4冊である。個別的な政治過程、契丹︵遼︶・女真︵金︶・モンゴル︵蒙古︶や明などとの国際関係、あるいは高麗大蔵経彫造など文化的な事象についても論究し、今もって新鮮さが感じられるのは驚きである。また、これらの研究を通じて近代的史学研究方法論を構築し、この意味からも評価が高い。
三上次男は次のように評している[3]。
池内宏先生は、大正・昭和にかけて東北アジア史、とくに朝鮮から満州にかけての歴史を追及された巨匠であって、その透徹した史眼と研ぎ澄まされた史料批判、それに事実に徹した行論は、この方面の歴史の実態をあぶなげなく明るみに出された。そうして東京大学で示された教授と研究の態度は際立って見事であり、わたくしたちに無限の教えをあたえられた。︵中略︶わたくしは、池内先生こそ、20世紀の前半の日本の生んだもっとも卓越した東洋歴史の研究者の1人だと信じている。そうした先生には当然のことながら、数多くのすぐれた業績があり、それをまとめられたのが﹃満鮮史研究﹄の名を冠した注目すべき一連の著作である。︵中略︶甚大な学問上の業績といわなければならない。どの巻を眺めても、ジャーナリズムを騒がせる花火のような華やかさはないが、どのような短い論文をとって見ても、いつまでも消えない珠玉のような美しさと、それを通過しなくては前進することのできない要石のような重さがある。︵中略︶先生の後につづく研究者に、必ず触れてもらいたいと思っていた先生の仕事︵中略︶東北アジア、とくに朝鮮の歴史の研究をおしすすめて行くとき、缺くことのできない重要性を持った書物︵中略︶この書の内容は三篇から成っている。第一の﹃李朝の四祖の伝説とその構成﹄は、龍飛御天歌・李朝実録・高麗史などに記された朝鮮の李王朝の祖先に関する伝承に徹底的な批判を加えたものであり、李王朝の建設者である李成桂の父祖として伝えられる四名の人物のうち、信じうるのは父と祖父のみであり、それ以前の人物は系譜を長くするするために作為された架空の人物であることを論証したものである。われわれはこの論証のなかに、先生の史料批判の厳しさと鋭さ、それに周到さを見いだすことができよう。同時にこれは、先生の日本書紀批判や、金史の世紀に対する批判ともつながるものである。︵中略︶第二の﹃鮮初の東北境と女真の関係﹄は︵中略︶先生はこの論考において李王朝成立に重要な役割を演じた朝鮮の東北境の女真人の実態を追求し、高麗朝末期・李王朝初期における李成桂一家との関係についてとくに深く論じられた。この問題の解明は李王朝の成立の由来と、その性格の重要な一面を明らかにしたものであったから、高く評価され、大正11年、これによって文学博士の学位をえられた。︵中略︶第三の﹃朝鮮の文化﹄は︵中略︶古朝鮮時代、高句麗・百済・新羅三国時代など上世の文化より説きおこし、高麗の文化とくに学芸について詳しく述べられたものである。きわめてよく整理され、美しく達意の文章で綴られており、高麗文化に関する一般的な論述では、現在なお最高の地位にあるものとわたくしは信じている。︵中略︶最近、朝鮮研究の重要性が痛感されるとき、この書のような万全の実証と厳密な史料批判を基礎とした信頼すべき書があらわれることは、もっとも喜ぶべきことといわなければならない。
著書
●﹃文禄慶長の役 正編第一﹄ 南満州鉄道、1914年
●﹃文禄慶長の役 別編第一﹄ 東洋文庫、1936年
●﹃日本上代史の一研究﹄ 近藤書店、1947年
●﹃元寇の新研究﹄ 東洋文庫、1931年
●﹃満鮮史研究﹄全5巻 吉川弘文館、1951年-1979年
回想
●﹃東方学回想 Ⅱ 先学を語る︿2﹀﹄︵刀水書房、2000年︶、関係者の座談会での回想を収録。
脚注