「海神神社」の版間の差分
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Mangalam1990 (会話 | 投稿記録) |
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== 民俗 == |
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神社の南にある集落は、旧社人が居住していたので、穢れを忌む意識が強く、家屋は川の北側にあって、女性は出産に際しては川の南側に移って小屋の中で出産し、産後しばらく忌が開けるまで滞在した。墓は参り墓が川の南岸にあり、埋め墓は南方の山を越えた海岸部にあるという[[両墓制]]の形態をとっていた。産穢と死穢を忌む意識が強い。集落の北側にあって神社の鎮座する山を伊豆山と呼ぶが、伊豆はイツク︵厳く︶の意味で、神がよりつく神聖な山の意味である。旧6月の午の日の早朝にはヤクマの祭りが行われ、西海岸に石塔を立てて、伊豆山の方向を拝む。元々は[[天道]]の祭りで、太陽を拝むと共に、麦の収穫感謝を願った。八幡神を祀っていたのは、[[母子神信仰が基盤にあるからで、太陽によって孕んだ子供を天神として祀る天道信仰の上に、母神︵[[神功皇后]]︶と子神︵[[応神天皇]]︶を祀る[[八幡信仰]]が習合していた。母子神信仰は、日本神話と結び付けられて、[[豊玉姫命]]と[[鵜茅草葺不合命]]とも解釈された。しかし、母子神信仰の基層には、[[海神]]や[[山神]]の祭祀があり、太陽を祀る天道信仰が融合していたのである。元々は自然崇拝に発した祭祀が、歴史上の人物に仮託され、社人による神話の再解釈が導入された、さらに明治時代以降は[[国家神道]]の展開によって、祭神が日本神話の神々に読みかえられ、式内社に比定する動きが強まった。
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神社の南にある集落は、旧社人が居住していたので、[[穢れ]]を忌む意識が強く、家屋は川の北側にあって、女性は出産に際しては川の南側に移って小屋の中で出産し、産後しばらく忌が開けるまで滞在した。墓は参り墓が川の南岸にあり、埋め墓は南方の山を越えた海岸部にあるという[[両墓制]]の形態をとっていた。[[産穢]]と[[死穢]]を忌む意識が強い。集落の北側にあって神社の鎮座する山を伊豆山と呼ぶが、伊豆はイツク︵厳く︶の意味で、神がよりつく神聖な山の意味である。旧6月の午の日の早朝にはヤクマの祭りが行われ、西海岸に石塔を立てて、伊豆山の方向を拝む。元々は[[天道]]の祭りで、太陽を拝むと共に、麦の収穫感謝を願った。八幡神を祀っていたのは、[[母子神信仰]]が基盤にあるからで、太陽によって孕んだ子供を天神として祀る[[天道信仰]]の上に、母神︵[[神功皇后]]︶と子神︵[[応神天皇]]︶を祀る[[八幡信仰]]が習合していた。母子神信仰は、日本神話と結び付けられて、[[豊玉姫命]]と[[鵜茅草葺不合命]]とも解釈された。しかし、母子神信仰の基層には、[[海神]]や[[山神]]の祭祀があり、太陽を祀る天道信仰が融合していたのである。元々は自然崇拝に発した祭祀が、歴史上の人物に仮託され、社人による神話の再解釈が導入された、さらに明治時代以降は[[国家神道]]の展開によって、祭神が日本神話の神々に読みかえられ、式内社に比定する動きが強まった。
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
2012年5月11日 (金) 20:27時点における版
海神神社 | |
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拝殿と本殿 | |
所在地 | 長崎県対馬市峰町木坂247 |
位置 | 北緯34度27分51.3秒 東経129度17分00.0秒 / 北緯34.464250度 東経129.283333度 |
主祭神 | 豊玉姫命 |
社格等 | 式内大社(名神大)・対馬国一宮・旧国幣中社・別表神社 |
創建 | 不明 |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 旧暦8月1日 |
主な神事 | 浜殿放生祭 |
海神神社︵かいじんじんじゃ︶は、長崎県対馬市峰町に鎮座する神社である。旧社格は国幣中社。対馬国一宮。
式内名神大社の﹁和多都美神社﹂、同﹁和多都美御子神社﹂、式内国幣小社の﹁胡禄神社﹂、同﹁胡禄御子神社﹂の論社である︵いずれも複数の論社がある︶。