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淵上 毛錢 ︵ふちがみ もうせん、1915年1月13日 - 1950年3月9日︶は日本の詩人。
熊本県葦北郡水俣町︵現・水俣市︶に生まれる。本名・喬︵たかし︶。東京の青山学院中学部へ進学する。東京では、詩人山之口貘の知遇を得、のちのちまで交流は続いた[1]。脊椎カリエスを病んで青山学院を中退・帰郷。以後、寝たきりの生活を余儀なくされる。病床で詩作を始め、﹁九州文学﹂などに作品を発表。また戦後の1946年、水俣青年文化会議を組織するなど、郷里の文化活動の発展に貢献した。1950年、35歳で死去。
代表作に﹁柱時計﹂﹁寝姿﹂など。ユーモラス、また一面スケールの大きい詩風と評される。
水俣市わらび野に墓と詩碑があり、墓石には﹁生きた 臥た 書いた﹂と記されている。同市内にはもう一か所詩碑が存在する。1998年には市民により﹁淵上毛錢を顕彰する会﹂が組織された。
毛錢の詩には、幾人かの作曲家によって曲が付けられている。滝本泰三による男声合唱組曲﹃小さい町﹄︵混声版もある︶、清水脩による男声合唱組曲﹃毛錢三つの詩﹄、瑞慶覧尚子﹃淵上毛銭の詩による女声合唱組曲﹁約束﹂﹄などが代表的なものである。なお瑞慶覧尚子の作品は、2008年、熊本県立第一高等学校合唱団が全日本合唱コンクールで歌っている。
また、小説家火野葦平は淵上毛銭の人生をモデルとした小説﹁ある詩人の生涯﹂を書いている。[2]