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'''瞿佑'''(くゆう、1347-1433年<ref>根拠を明示している[[岡崎由美]]説(1983年)を採る。『瞿佑の『香臺集』について -『[[剪燈新話]]』成立の一側面』中國文學研究、9、87-98(1983-12-01) [https://irdb.nii.ac.jp/00835/0002050297 pdf] p.87 。一説に 1341-1427年。</ref>)は、[[中国]][[元]]末期 – [[明]]の[[文人]]、[[著作家]]である。字は宗吉、号は存斎<ref>自筆『重校剪燈新話後序』の自著題名列挙中に、「攻文」として『'''存斎'''類編』とある。他に吟堂とも号した:李慶『瞿佑著作考』金沢大学教養部論集 人文科学篇. 32(2) 199503 p.124 に『'''吟堂'''詩話』とある。</ref>、[[銭塘県|錢塘]]出身。 |
'''瞿佑'''(くゆう、[[1347年]] - [[1433年]]<ref>根拠を明示している[[岡崎由美]]説(1983年)を採る。『瞿佑の『香臺集』について -『[[剪燈新話]]』成立の一側面』中國文學研究、9、87-98(1983-12-01) [https://irdb.nii.ac.jp/00835/0002050297 pdf] p.87 。一説に 1341-1427年。</ref>)は、[[中国]][[元]]末期 – [[明]]の[[文人]]、[[著作家]]である。字は宗吉、号は存斎<ref>自筆『重校剪燈新話後序』の自著題名列挙中に、「攻文」として『'''存斎'''類編』とある。他に吟堂とも号した:李慶『瞿佑著作考』金沢大学教養部論集 人文科学篇. 32(2) 199503 p.124 に『'''吟堂'''詩話』とある。</ref>、[[銭塘県|錢塘]]出身。 |
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2022年12月10日 (土) 01:04時点における版
生涯
生没年︵1347-1433年︶の根拠とする出典は、生年が﹃重校剪燈新話後序﹄[3]、没年が﹃列朝詩集小傳[4]﹄[5]及び﹃浙江通志﹄[6]である。[7]。 なお﹃列朝詩集小傳 乙集 瞿長史佑﹄には14歳時の逸話が収録されており、早くから詩名のあった詩人だったことが分かる。 長史の瞿佑は字を宗吉、錢塘の人である。楊廉夫[8]が杭州に遊び佑の大叔父の士衡を訪ねたとき、佑の父の傳桂堂にも来訪した。宗吉の年は十四だったが、廉夫の﹃香奩八題﹄を見て、即席に唱和し俊語を疊出した。其は ﹃花塵春跡﹄に云く﹁燕尾波に點じ微に韻有り、鳳頭月を踏んで悄として聲無し﹂、 ﹃黛眉顰色﹄に云く﹁恨は從張敞の毫邊より起り、春は梁鴻の案上に向かって生ず﹂、 ﹃金錢卜歡﹄に云く﹁錦を織る軒窗に笑語を聞き、蘋を採る洲渚に愁吁を聽く﹂、 ﹃香頰啼痕﹄に云く﹁斑斑たる湘竹は雨に因るに非ず、點點たる楊花は是れ春に不ず﹂と。 廉夫は嘆賞し、士衡に謂を曰く﹁此は君家の千里の駒也。﹂ 因に鞋杯を以て命題す。宗吉が沁園春[9]を製し一闋すると、廉夫は大喜し、侍妓に歌を命じ以て行酒、歡飲し而して罷せり。 洪武中は、薦歷を以て仁和、臨安、宜陽の訓導、陞周府の右長史についた。永樂間には、獄を下詔され、謫戍として﹁保安﹂に十年。洪熙乙巳︵1425年︶、英國公の奏請により赦され還り、令主家塾となるも、三載放歸、卒年は八十七。 宗吉の風情は麗逸で、﹃剪燈新話﹄及び樂府歌詞を著し、﹁偎紅倚翠﹂之語多し、為時傳誦。其の保安に在るとき、當に興河を失守し、邊境蕭條たり。永樂己亥︵1419年︶、佛曲は于塞に降下して、選子弟之を唱う、時元宵に値う。﹃望江南﹄五首を作り、聞者淒然として泣下せり。又﹃漫興詩﹄、及﹃書生嘆﹄諸篇有り、今貧士失職者は皆な諷詠に至る焉。 — ﹃列朝詩集小傳 乙集 瞿長史佑﹄︵全︶著作
75歳の自筆﹃重校剪燈新話後序﹄前半には保安流謫の間に失われたものを思い出しながら列挙した著書名が記されている。 少日讀書之暇、性著述を喜み、螢牎︵窓︶雪案筆を手に輟ま不。毎に郷丈﹁拓軒凌公﹂の稱許する所と為る。知ら不る者は玩物麥志之譏有り。而れども決意囘げ不。殆んど寝食を忘る。久しく而して長編巨冊を積みて部帙を成す。 ﹁治經﹂則ち﹃春秋貫珠﹄﹃春秋捷音﹄﹃正葩掇英﹄﹃誠意齋課稾﹄有り、 ﹁閲史﹂則ち﹃管見摘編﹄﹃集覧鐫誤﹄有り、 ﹁作詩﹂則ち﹃皷吹續音﹄﹃風木遺音﹄﹃樂府擬題﹄﹃屏佳趣﹄﹃香臺集﹄﹃釆芹稾︵稿︶﹄有り、 ﹁攻文﹂則ち﹃名賢文粹﹄﹃存齋類編﹄有り、 ﹁填詞﹂則ち﹃餘清曲譜﹄、﹃天機﹄、﹃雲錦纂言﹄有り、 ﹁紀事﹂則ち﹃遊藝録﹄、﹃剪燈録﹄、﹃大藏捜竒﹄﹃學海遺珠﹄等集有り。 — ﹃重校剪燈新話後序﹄前半︵影印からの書起し︶ これらはほとんどが佚書となっているが、﹁紀事﹂の﹃剪燈録﹄の残編を集めた﹃剪燈新話﹄は現存、﹁作詩﹂の﹃香臺集﹄、﹁填詞﹂の﹃餘清曲譜﹄は部分現存、﹁攻文﹂の﹃存齋類編﹄に含まれる﹃帰田詩話﹄も現存する[10]。注・出典