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}}'''矢口 純'''(やぐち じゅん、[[1921年]][[4月18日]] - [[2005年]][[4月30日]])は、エッセイスト。 |
}}'''矢口 純'''(やぐち じゅん、[[1921年]][[4月18日]] - [[2005年]][[4月30日]])は、日本の編集者、エッセイスト。 |
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==人物・来歴== |
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[[東京]]雑司ヶ谷生まれ。本名読み・きよし。[[早稲田大学]]政経学部卒。1948年婦人画報社に入社、61年﹃婦人画報﹄編集長、68年株式会社サン・アド入社、洋酒の宣伝を仕事とする。[[日本ペンクラブ]]理事として会長[[川端康成]]、[[高見順]]の下で仕事をする。
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[[東京]]雑司ヶ谷生まれ。本名読み・きよし。父は英文学者・[[矢口達]]。1943年[[早稲田大学]]政経学部を繰り上げ卒業し入隊、敗戦時には仙台陸軍飛行学校の将校生徒。千葉県の誉田で村会議員を務める。1948年[[婦人画報社]]に入社、﹃博愛﹄編集長として出向、[[十返千鶴子]]が編集員だった。1950年﹃[[婦人画報]]﹄編集部に戻る。55年、[[石原慎太郎]]は﹁[[太陽の季節]]﹂が[[芥川賞]]をとる前に編集部を訪ね、矢口がルポ﹁スポーツ・ゲート﹂を連載させた。62年取締役編集長となり、銀座の酒場で[[山口瞳]]と知り合い、﹁江分利満氏の優雅な生活﹂を連載させる<ref>江國滋﹃鬼たちの勲章﹄</ref>。68年株式会社サン・アド入社、取締役企画本部長として洋酒の宣伝を仕事とする。[[日本ペンクラブ]]理事として会長[[川端康成]]、[[高見順]]の下で仕事をする。
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* 「酒を愛する男の酒」紹介文 |
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* http://www.47news.jp/CN/200505/CN2005050201002514.html |
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2020年12月23日 (水) 14:06時点における版
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矢口 純︵やぐち じゅん、1921年4月18日 - 2005年4月30日︶は、日本の編集者、エッセイスト。
人物・来歴
東京雑司ヶ谷生まれ。本名読み・きよし。父は英文学者・矢口達。1943年早稲田大学政経学部を繰り上げ卒業し入隊、敗戦時には仙台陸軍飛行学校の将校生徒。千葉県の誉田で村会議員を務める。1948年婦人画報社に入社、﹃博愛﹄編集長として出向、十返千鶴子が編集員だった。1950年﹃婦人画報﹄編集部に戻る。55年、石原慎太郎は﹁太陽の季節﹂が芥川賞をとる前に編集部を訪ね、矢口がルポ﹁スポーツ・ゲート﹂を連載させた。62年取締役編集長となり、銀座の酒場で山口瞳と知り合い、﹁江分利満氏の優雅な生活﹂を連載させる[1]。68年株式会社サン・アド入社、取締役企画本部長として洋酒の宣伝を仕事とする。日本ペンクラブ理事として会長川端康成、高見順の下で仕事をする。著書
- 『滋味風味 対談』東京書房社 1970
- 『私の洋酒ノート』大泉書店 1971
- 『酒を愛する男の酒』新潮社 1977 のち文庫
- 『酒の肴になる話』新潮社 1985
- 『ウイスキー讃歌 いまこそ<生命の水>のとき』集英社文庫、1986
- 『ワイン・ギャラリー 栄光の美酒への招待』集英社文庫、1986
- 『東京の雑木林』福武書店 1991
参考
- 文藝年鑑2004
- 「酒を愛する男の酒」紹介文
- http://www.47news.jp/CN/200505/CN2005050201002514.html
脚注
- ^ 江國滋『鬼たちの勲章』