出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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- 碧潼邑(ピョクトンウプ)
- 鸛上里(クォンサンニ)
- 鸛倉里(クォンチャンニ)
- 南西里(ナムソリ)
- 南中里(ナムジュンニ)
- 南下里(ナマリ)
- 大洞里(テドンニ)
- 大豊里(テプンニ)
- 東主里(トンジュリ)
- 東下里(トンハリ)
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- 龍坪里(リョンピョンニ)
- 麻田里(マジョンニ)
- 社倉里(サチャンニ)
- 城上里(ソンサンニ)
- 城下里(ソンハリ)
- 松連里(ソンニョンニ)
- 松四里(ソンサリ)
- 松三里(ソンサムニ)
- 松二里(ソンイリ)
- 永豊里(ヨンプンニ)
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歴史
1945年8月時点で、平安北道碧潼郡は、碧潼面・大平面・吾北面・雩時面・加別面・鸛会面・城南面・松西面の8面から構成されていた。
1952年12月、北朝鮮の行政区画改編に伴い、鸛会・城南・松西・碧潼面からなる碧潼郡が再編された︵1邑20里︶。東部にあった雩時・加別・吾北面は雩時郡として分割された。
年表
この節の出典[1]
●1914年4月1日 - 郡面併合により、平安北道碧潼郡に以下の面が成立。(8面)
●郡部面・加別面・雩時面・城南面・松西面・大坪面・吾北面・鸛会面
●1918年 - 郡部面が碧潼面に改称。(8面)
●1940年 - 大坪面の一部が碧潼面に編入。(8面)
●1945年(光復直後) (7面)
●大坪面が碧潼面に編入。
●楚山郡城西面の一部が吾北面・雩時面に分割編入。
●1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安北道碧潼郡鸛会面・城南面・松西面および碧潼面の一部地域をもって、碧潼郡を設置。碧潼郡に以下の邑・里が成立。(1邑20里)
●碧潼邑・麻田里・大豊里・松連里・大洞里・永豊里・南西里・東下里・社倉里・龍坪里・鸛倉里・鸛上里・会上里・南下里・南中里・城下里・城上里・松一里・松二里・松三里・松四里
●1953年 (1邑20里)
●碧潼邑が東主里に降格。
●松一里が碧潼邑に昇格。
●1954年 - 会上里が東倉郡に編入。(1邑19里)
脚注
外部リンク