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﹃'''聖ロクスの栄光'''﹄︵せいロクスのえいこう、{{lang-it-short|San Rocco in Gloria}}, {{lang-en-short|Saint Roch in Glory}}︶は、[[ルネサンス]]期の[[イタリア]]の[[ヴェネツィア派]]の巨匠[[ティントレット]]が1564年に制作した絵画である。[[油彩]]。[[キリスト教]]の[[聖人]]で[[ペスト]]患者の[[守護聖人]]である[[聖ロクス]]を主題としている。ティントレットが[[ヴェネツィア]]の[[サン・ロッコ大同信会]]の大規模装飾の発注を得るきっかけになった最初の作品で、アルベルゴの間の[[天井画]]として[[楕円形]]の画面に描かれた。現在も同同信会に所蔵されている<ref name=KM402>﹃西洋絵画作品名辞典﹄p |
『'''聖ロクスの栄光'''』(せいロクスのえいこう、{{lang-it-short|San Rocco in Gloria}}, {{lang-en-short|Saint Roch in Glory}})は、[[ルネサンス]]期の[[イタリア]]の[[ヴェネツィア派]]の巨匠[[ティントレット]]が1564年に制作した絵画である。[[油彩]]。[[キリスト教]]の[[聖人]]で[[ペスト]]患者の[[守護聖人]]である[[聖ロクス]]を主題としている。ティントレットが[[ヴェネツィア]]の[[サン・ロッコ大同信会]]の大規模装飾の発注を得るきっかけになった最初の作品で、アルベルゴの間の[[天井画]]として[[楕円形]]の画面に描かれた。現在も同同信会に所蔵されている<ref name=KM402>{{harvnb|『西洋絵画作品名辞典』|p=402-403}}</ref><ref name=GA67>『グレート・アーティスト56 ティントレット』p.6-7。</ref><ref name=SR>{{cite web|title=Sala dell'Albergo |accessdate=2023/12/07 |url=http://www.scuolagrandesanrocco.org/home/tintoretto/sala-dellalbergo-tintoretto/ |publisher=[[サン・ロッコ大同信会]]公式サイト}}</ref><ref name=CTV>{{cite web|title=Tintoretto |accessdate=2023/12/07 |url=http://cavallinitoveronese.co.uk/general/view_artist/79 |publisher=Cavallini to Veronese}}</ref><ref name=WGA>{{cite web|title=The Apotheosis of St Roch |accessdate=2023/12/07 |url=https://www.wga.hu/frames-e.html?/html/t/tintoret/3b/1albergo/1/01ceilin.html |publisher=Web Gallery of Art}}</ref>。 |
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== 主題 == |
== 主題 == |
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聖ロクスは[[モンペリエ]]の出身とされている<ref name=KJ86>河田淳 |
聖ロクスは[[モンペリエ]]の出身とされている<ref name=KJ86>{{harvnb|河田淳|2016|p=86}}</ref><ref name=JH375>{{harvnb|﹃西洋美術解読事典﹄|p=375﹁ロクス︵聖︶﹂}}</ref>。14世紀のペストの大流行を経て、15世紀にペスト患者の守護聖人として定着した<ref name=JH375 />。聖ロクスは両親を亡くした後、[[ローマ]]巡礼の旅をし、立ち寄った街でペストで苦しむ患者の看病に尽力した<ref name=KJ86 /><ref name=JH375 />。ローマではペストを患った[[枢機卿]]を救ったことがきっかけとなり、[[ローマ教皇]]と謁見した。3年後、聖ロクスは故郷への帰途についたが、[[ピアチェンツァ]]を訪れた際にペストにかかったため森のなかに隠棲した。しかし、同地の貴族ゴッタルド︵{{it|Gottardo}}︶によって助け出され、回復したのち旅を再開した。その後、聖ロクスは見すぼらしい身なりのために怪しまれて投獄され、5年後に獄中で死去したが、遺体の周りで様々な奇跡が起きたため、教会に葬られたという<ref name=KJ86 />。
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== 制作経緯 == |
== 制作経緯 == |
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[[File:Ceiling of the upper hall of the Scuola Grande di San Rocco, Venice, with paintings by Tintoretto, 1575-81 (9).jpg|thumb|『聖ロクスの栄光』が設置されたアルベルゴの間の天井全景。]] |
[[File:Ceiling of the upper hall of the Scuola Grande di San Rocco, Venice, with paintings by Tintoretto, 1575-81 (9).jpg|thumb|『聖ロクスの栄光』が設置されたアルベルゴの間の天井全景。]] |
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[[File:San Rocco Venezia (Interno) - San Rocco risana gli appestati.jpg|thumb|{{ill|サン・ロッコ教会 (ヴェネツィア)|en|San Rocco, Venice|label=サン・ロッコ教会}}の連作《聖ロクス伝》の1つ『ペスト患者を癒す聖ロクス』。1559年。]] |
[[File:San Rocco Venezia (Interno) - San Rocco risana gli appestati.jpg|thumb|{{ill|サン・ロッコ教会 (ヴェネツィア)|en|San Rocco, Venice|label=サン・ロッコ教会}}の連作《聖ロクス伝》の1つ『ペスト患者を癒す聖ロクス』。1559年。]] |
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本作品は聖ロクスを守護聖人とするサン・ロッコ大同信会のアルベルゴの間の天井画として、同信会の装飾事業で最初に制作された。アルベルゴの間は同信会を運営する高位のメンバーが集まる広間であり、重要文書や財産、聖遺物などの貴重品を収めた重要な場所であった<ref name=SR />。そのため長い間本格的な装飾が行われることはなかった。実際、アルベルゴの間の壁を飾る大キャンバス画を制作するという[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]]の申し出は無駄に終わっている(1553年)。同信会の監査委員会がアルベルゴの間の天井画の発注を決定したのは、9年後の1564年5月22日のことである<ref name=SR />。ティントレットはすでに同信会付属の{{ill|サン・ロッコ教会 (ヴェネツィア)|en|San Rocco, Venice|label=サン・ロッコ教会}}を装飾するため4点の連作《聖ロクス伝》を制作していたので、おそらく発注について有利な立場にあったが、ティントレットに制作の任を与えることについて同信会の間で同意が得られなかった。そのため、彼らは発注する画家を選考するための[[コンペティション]]を5月31日に開くことを発表した<ref name=SR />。このコンペティションに参加した画家は、ティントレットをはじめ、{{ill|ジュゼッペ・ポルタ|en|Giuseppe Porta}}、[[フェデリコ・ツッカリ]]、[[パオロ・ヴェロネーゼ]]<ref name=SR /><ref name=CTV />、[[アンドレア・スキャヴォーネ]]であり<ref name=CTV />、彼らは1か月以内に選考用の素描を提出しなければならなかった。ここでティントレットは驚くべき行動に出た。彼は同信会の求めに応じつつ、天井画の正確なサイズを調べ出し、天井画『聖ロクスの栄光』を完成させた。そして密かに審査前日に持ち込み、天井に設置したのである。そして他の競争者たちが素描やデザインを展示する中、ティントレットは完成作を公開したのであった<ref name=GA67 /><ref name=CTV />。この行動に同信会は憤慨した。彼らは要求したのは素描であって、仕事を発注した覚えはないと主張した。これに対して、ティントレットはこれが自分の制作の仕方であり、他の方法を知らないし、誰かを騙すことにならないように素描やモデロはこのように作成されるべきであると答えた。そして最後に、もし報酬を支払いたくないのであれば、それを寄贈させてほしいと言った<ref name=SR />。6月22日、同信会側は最終的に寄贈を受け入れ、天井画を撤去しないよう命じた。天井画の装飾全体を1564年の夏から秋にかけて無報酬で制作した<ref name=SR />。 |
本作品は聖ロクスを守護聖人とするサン・ロッコ大同信会のアルベルゴの間の天井画として、同信会の装飾事業で最初に制作された。アルベルゴの間は同信会を運営する高位のメンバーが集まる広間であり、重要文書や財産、聖遺物などの貴重品を収めた重要な場所であった<ref name=SR />。そのため長い間本格的な装飾が行われることはなかった。実際、アルベルゴの間の壁を飾る大キャンバス画を制作するという[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]]の申し出は無駄に終わっている(1553年)。同信会の監査委員会がアルベルゴの間の天井画の発注を決定したのは、9年後の1564年5月22日のことである<ref name=SR />。ティントレットはすでに同信会付属の{{ill|サン・ロッコ教会 (ヴェネツィア)|en|San Rocco, Venice|label=サン・ロッコ教会}}を装飾するため4点の連作《聖ロクス伝》を制作していたので、おそらく発注について有利な立場にあったが、ティントレットに制作の任を与えることについて同信会の間で同意が得られなかった。そのため、彼らは発注する画家を選考するための[[コンペティション]]を5月31日に開くことを発表した<ref name=SR />。このコンペティションに参加した画家は、ティントレットをはじめ、{{ill|ジュゼッペ・ポルタ|en|Giuseppe Porta}}、[[フェデリコ・ツッカリ]]、[[パオロ・ヴェロネーゼ]]<ref name=SR /><ref name=CTV />、[[アンドレア・スキャヴォーネ]]であり<ref name=CTV />、彼らは1か月以内に選考用の素描を提出しなければならなかった。ここでティントレットは驚くべき行動に出た。彼は同信会の求めに応じつつ、天井画の正確なサイズを調べ出し、天井画『聖ロクスの栄光』を完成させた。そして密かに審査前日に持ち込み、天井に設置したのである。そして他の競争者たちが素描やデザインを展示する中、ティントレットは完成作を公開したのであった<ref name=GA67 /><ref name=CTV />。この行動に同信会は憤慨した。彼らは要求したのは素描であって、仕事を発注した覚えはないと主張した。これに対して、ティントレットはこれが自分の制作の仕方であり、他の方法を知らないし、誰かを騙すことにならないように素描やモデロはこのように作成されるべきであると答えた。そして最後に、もし報酬を支払いたくないのであれば、それを寄贈させてほしいと言った<ref name=SR />。6月22日、同信会側は最終的に寄贈を受け入れ、天井画を撤去しないよう命じた。その後、ティントレットは天井画の装飾全体を1564年の夏から秋にかけて無報酬で制作した<ref name=SR />。 |
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翌年、ティントレットは画家としては稀なことに同信会の正規会員となり<ref name=GA67 />、1565年から1567年にかけてアルベルゴの間の壁面装飾を請け負い、正面の壁全体を飾る大キャンバス画として大作『[[磔刑 (ティントレット、サン・ロッコ大同信会)|磔刑]]』({{it|La Crocifissione}})を、これと向き合う壁面に『カルヴァリオへの道』({{it|La Salita al Calvario}})、『この人を見よ』({{it|L'Ecce Homo}})、『ピラトの前のキリスト』({{it|Cristo davanti a Pilato}})を制作した<ref name=KM402 />。ティントレットはこれ以降も同信会の装飾に携わり、1587年までの間に[[イエス・キリスト]]や[[聖母マリア]]の生涯、『[[旧約聖書]]』などを主題に総数68点におよぶ作品を制作した<ref name=KM402 />。 |
翌年、ティントレットは画家としては稀なことに同信会の正規会員となり<ref name=GA67 />、1565年から1567年にかけてアルベルゴの間の壁面装飾を請け負い、正面の壁全体を飾る大キャンバス画として大作『[[磔刑 (ティントレット、サン・ロッコ大同信会)|磔刑]]』({{it|La Crocifissione}})を、これと向き合う壁面に『カルヴァリオへの道』({{it|La Salita al Calvario}})、『この人を見よ』({{it|L'Ecce Homo}})、『ピラトの前のキリスト』({{it|Cristo davanti a Pilato}})を制作した<ref name=KM402 />。ティントレットはこれ以降も同信会の装飾に携わり、1587年までの間に[[イエス・キリスト]]や[[聖母マリア]]の生涯、『[[旧約聖書]]』などを主題に総数68点におよぶ作品を制作した<ref name=KM402 />。 |
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== 脚注 == |
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* [[黒江光彦]]監修『西洋絵画作品名辞典』[[三省堂]](1994年) |
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* {{cite book|和書|author=Hall James, 高橋達史, 高橋裕子, 太田泰人, 西野嘉章, 沼辺信一, 諸川春樹, 浦上雅司, 越川倫明, 高階秀爾 |title=西洋美術解読事典 : 絵画・彫刻における主題と象徴 |trans-title=Dictionary of subjects and symbols in art |publisher=河出書房新社 |year=1988 |quote=監修: 高階秀爾 |ref={{harvid|『西洋美術解読事典』}}}} |
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* ジェイムズ・ホール『西洋美術解読事典』[[高階秀爾]]監修、[[河出書房新社]](1988年) |
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* 『週刊グレート・アーティスト56 ティントレット その生涯と作品と創造の源』[[同朋舎出版]](1995年) |
* 『週刊グレート・アーティスト56 ティントレット その生涯と作品と創造の源』[[同朋舎出版]](1995年) |
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* 河田淳 |
* {{Cite journal|和書|author=河田淳 |date=2016-03 |url=https://hdl.handle.net/2433/217007 |title=<論文>太ももの「傷」:15 世紀末イタリアにおける聖ロクス信仰の発展 |journal=ディアファネース : 芸術と思想 |ISSN=2188-3548 |publisher=京都大学大学院人間・環境学研究科岡田温司研究室 |volume=3 |pages=83-104 |hdl=2433/217007 |CRID=1050001335838338560 |ref=harv}} |
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== 外部リンク == |
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[[Category:サン・ロッコ大同信会の所蔵品]] |
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2024年5月8日 (水) 12:08時点における最新版
イタリア語: San Rocco in Gloria 英語: Saint Roch in Glory | |
作者 | ティントレット |
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製作年 | 1564年 |
種類 | 油彩、キャンバス |
寸法 | 240 cm × 360 cm (94 in × 140 in) |
所蔵 | サン・ロッコ大同信会、ヴェネツィア |
主題[編集]
聖ロクスはモンペリエの出身とされている[6][7]。14世紀のペストの大流行を経て、15世紀にペスト患者の守護聖人として定着した[7]。聖ロクスは両親を亡くした後、ローマ巡礼の旅をし、立ち寄った街でペストで苦しむ患者の看病に尽力した[6][7]。ローマではペストを患った枢機卿を救ったことがきっかけとなり、ローマ教皇と謁見した。3年後、聖ロクスは故郷への帰途についたが、ピアチェンツァを訪れた際にペストにかかったため森のなかに隠棲した。しかし、同地の貴族ゴッタルド︵Gottardo︶によって助け出され、回復したのち旅を再開した。その後、聖ロクスは見すぼらしい身なりのために怪しまれて投獄され、5年後に獄中で死去したが、遺体の周りで様々な奇跡が起きたため、教会に葬られたという[6]。制作経緯[編集]
作品[編集]
ギャラリー[編集]
- 『聖ロクスの栄光』を取り巻く寓意画
-
『女性像の寓意』
-
『幸運の寓意』
-
『女性像の寓意』
-
『寛容の寓意』
-
『カリタ大同信会の寓意』
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『真実の寓意』
-
『信仰の寓意』
-
『サン・テオドーロ大同信会の寓意』
-
『善良の寓意』
-
『サン・マルコ大同信会の寓意』
-
『ミゼルコルディア大同信会の寓意』
-
『サン・ジョヴァンニ大同信会の寓意』
-
『春の寓意』
-
『夏の寓意』
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『秋の寓意』
-
『冬の寓意』
脚注[編集]
参考文献[編集]
●木村三郎, 島田紀夫, 千足伸行, 千葉成夫, 森田義之, 黒江光彦﹃西洋絵画作品名辞典﹄三省堂、1994年。ISBN 4385154279。国立国会図書館書誌ID:000002327454。"監修: 黒江光彦"。 ●Hall James, 高橋達史, 高橋裕子, 太田泰人, 西野嘉章, 沼辺信一, 諸川春樹, 浦上雅司, 越川倫明, 高階秀爾﹃西洋美術解読事典 : 絵画・彫刻における主題と象徴 [Dictionary of subjects and symbols in art]﹄河出書房新社、1988年。"監修: 高階秀爾"。 ●﹃週刊グレート・アーティスト56ティントレット その生涯と作品と創造の源﹄同朋舎出版︵1995年︶ ●河田淳﹁<論文>太ももの﹁傷﹂:15 世紀末イタリアにおける聖ロクス信仰の発展﹂﹃ディアファネース : 芸術と思想﹄第3巻、京都大学大学院人間・環境学研究科岡田温司研究室、2016年3月、83-104頁、CRID 1050001335838338560、hdl:2433/217007、ISSN 2188-3548。外部リンク[編集]
- サン・ロッコ大同信会公式サイト, アルベルゴの間(イタリア語)