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ティントレット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ティントレット
自画像』, ルーヴル美術館 (1588年頃)
本名 Jacopo Comin
誕生日 (1518-09-29) 1518年9月29日
出生地 ヴェネツィア共和国, ヴェネツィア
死没年 1594年5月31日(1594-05-31)(75歳没)
死没地 ヴェネツィア共和国, ヴェネツィア
国籍 ヴェネツィア共和国
運動・動向 ルネサンス
芸術分野 絵画
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Tintoretto [tintoˈretto], :Jacopo Comin[1] (Jacopo Robusti), 1518929 - 1594531

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()[3]1642[3]Ecce homo[3]1539[3]1540[3][3]

1548[4]16[5][5] [6]


作品と様式[編集]

ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿(総督宮殿)や当時ヴェネツィアにいくつかあったスクオーラ(信徒会、同心会)の会館などのために多くの作品を残している。

ティントレットの絵画は、斬新で大胆な構図と、ドラマティックな表現に特色があり、『聖パウロの改心』、『ガリラヤ湖のキリスト』のような、聖書のエピソードを壮大なドラマのシーンのように描いた作品は、次世紀のバロック絵画を先取りするものといえよう。

親族[編集]

1550年頃、ティントレットはファウスティーナ・エピスコピという名の女性と結婚した。彼女は1547年サン・マルコ同信組合の番人であったマルコという人物の娘であった。二人の間にはマリエッタ、ドメニコ、マルコという、ティントレットの工房で働いていた三人を含む子供たちが生まれた[7]。 ふたりの子が画家になった。ドミニコは歴史画家としては父より劣っていたが、肖像画の分野で技量を発揮した。晩年卒中によるまひで右手が動かなくなったため、左手で絵画制作をつづけたという逸話が残っている。娘のマリエッタも画家になり、肖像画を得意とした。

作品研究:《最後の晩餐》[編集]

最後の晩餐
イタリア語: Ultima Cena
英語: Last Supper
作者ティントレット
製作年1592年-1594年
種類油彩
寸法365 cm × 568 cm (144 in × 224 in)
所蔵サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会イタリアの旗ヴェネツィア

ヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の壁面を今も飾っている『最後の晩餐』は、晩年の代表作である。ここで扱われている「最後の晩餐」はティントレット以前の画家もしばしば取り上げてきた伝統的な画題である。だが先行する15世紀の同主題の作例で繰り返されていた、机を鑑賞者に対し平行に置く表現(これはギルランダイオおよびダ・ヴィンチの作品に認められる(参考図1・2)。)をティントレットは用いていない。その代りに晩餐のテーブルを画面手前から奥へ向かって斜めに配した斬新な構図が採用され、舞台照明のような劇的な光の扱い方、現実と幻想の入り混じった描写にティントレットの特色が現われている。

代表作[編集]

参照[編集]



(一)^ CBC, 2007.

(二)^  201488ISBN 978-4-09-823030-3 

(三)^ abcdefFerino-Padgen, Orr, 2011, p 118.

(四)^ Ferino-Padgen, Orr, 2011, pp. 118-119.

(五)^ abFerino-Padgen, Orr, 2011, p119.

(六)^ A.J. Dézallier d'Argenville, Abrégé de la vie des plus fameux peintres, Paris, De Bure, 1745, p. 167.

(七)^ Scoula Grandi San Rocco.

(八)^   201128ISBN 978-4-16-373850-5 

参考文献[編集]

  • Ferino-Padgen, Sylvia; Orr, Lynn Federle, eds. (2011-11-15), Masters of Venice: Renaissance Painters of Passion and Power, Prestel Publishing, ISBN 978-3791351681 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]