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軍事学

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: Military studies, Military science, War study

概要


18(art of war, Kriegskunst)退(sicence of war, Kriegwissenschaft)


分野

軍事学は社会科学の分野の研究に限られる場合もあるが、ここでは広義の軍事学を指し、人文科学・自然科学・社会科学の三系統に大別する。 [1]

人文科学




 (Philosophy of war) 

 (Military psychology) 

 (Military history) 




 (Military geography) 





自然科学




 (Military engineering) 
使






 (Military civil engineering) 



 (Military medical science) 




Operations Research


社会科学




 (Security studies) 












 (Law of war) 

 (Science of military administration) 
 (Military Law) 



 (Strategy Study) 








 (Tactics) 






 (Leadership) 


研究史


1819[2]

戦争術の成立


 (Art of war)5

調2使4退

戦争術の発展

古代と比べれば中世における軍事学の研究は理論的な考察よりも、従来からある歩兵と騎兵の戦闘技術の向上とそれらを運用するための軍事教義の開発と実践へと向けられている。東ローマ帝国ではその地政学的な環境などが誘因となって、ローマの軍事学の伝統を継承されている。マウリキウスは将軍であった578年に軍規や訓練の重要性、宿営地の構築方法などについて述べられた実践的な教範である『戦略 (Strategicon)』を執筆している。またレオーン6世は900年ごろに、国家の重大事は農民を守護する軍隊と、軍隊を養う農民であると述べ、具体的に戦闘隊形や編制、騎兵戦術などのイスラム教徒との戦い方をまとめた『戦術 (Tactica)』を記した。マウリキウスとレオーン6世は「戦略」の遠祖であり、戦略という用語が西欧で用いられるようになったのは18世紀に両者の著書が翻訳されたことによっている。

軍事におけるルネッサンス


15

1818

近代戦争科学の成熟





軍事科学の新しい問題


使(Operations Research/Strategic Analysis, ORSA)

使

軍事学の教育

軍事的啓蒙主義の勃興

軍事学の成立は軍事教育にとって歴史的な転換点となった。もともと軍学校として砲兵や工兵など特別な工学知識が必要な職種のための学校はあったが、軍事学を将校に教育する学校は18世紀中葉まで存在しなかった。1751年のフランス王立軍事学校さきがけとして、イギリスやプロイセンでも軍事学の研究教育に従事する機関が設置されるようになるが、本格的な軍事学のための高等教育機関が創設されたのはプロイセンであった。プロイセンではヴェーゼル要塞の司令シュリーフェン中将が1792年に「戦争術愛好家による愛国協会」をヴェーゼル近郊の駐屯地で勤務する設置し、軍事学の論文発表と検討会を開始した。これと同時期の1792年に軍事学者であったシャルンホルストは軍事専門知識を研究するための研究会の設置を主張した。1801年にシャルンホルストと他の9名の有志によってベルリン軍事協会と呼ばれる将校のサークルが立ち上げられ、ここが中心となって学術的かつ集団的な軍事学の研究が進められていった。入会規定にも匿名での論文審査が義務づけられ、18世紀当時の学術教会の入会審査を同様の基準が取り入れられた。この協会は1805年の軍隊動員令の発令に伴って3年間で解散することになったが、このサークルで軍事の学術的な研究が確立されていった。

軍事教育制度の進化

戦争についての学術的な研究が発展するに従って、19世紀初頭から高度な研究を行う機関が求められるようになっていった。それは既にフランスやイギリスでも設置されていたような貴族出身の将校に初歩的な戦闘訓練をほどこすような学校や技術的能力を向上させるための砲兵学校や工兵学校とは全く異なる性格を持つものであった。1810年にシャルンホルストがベルリンに設置した陸軍大学校(Kriegsakademei)は初めて軍の高等研究機関として設置された学校であり、入学のためには10日間にわたる試験に合格することが求められた。また教育課程は純粋に学問的な内容が整えられ、高等戦術学などの軍事学に留まらず、政治学、経済学、数学、地理学、法律学などが教育され、1850年代のヨーロッパにおいて多くの研究論文や文献を発表した。この陸軍大学校の次いでフランスでもサン・シールが幕僚業務の学校として幕僚大学を設置したが、1878年にはより学術的な研究と教育が行われる陸軍大学校(Ecole Militaire Sperieure)が創設されている。イギリスでは1802年に既にヨーク公爵によって編成された王立軍事大学(Royal Military college)があったが、そこで設けられていた幕僚課程が1857年に幕僚学校として独立するまでは重要な役割を与えられていなかった。このように広がっていった高等軍事教育の改革は19世紀末には各国で推進されるようになっていき、軍事戦略や高等戦術に携わる幕僚、指揮官にはこのような学校で学ぶことが必須の条件であると認められるようになっていき、またそこが中心となって軍事学の研究が進められるようになっていった。プロイセンのモルトケ、フランスのフォッシュ、アメリカのマハン、イギリスのフラーなど、彼らはこの高等教育機関で教育と研究を行った軍事学者であった。

文民の軍事研究者の増大


19201909[3]

日本の軍事教育


西西[4]

脚注



(一)^ 200014184 - 5

(二)^ 
 1978
  20112
 1989
 Aza Gat. A History of Military Thought: From the Enlightenment to the Cold War (Oxford: Oxford University Press, 2001).

(三)^ 1819西1914

(四)^ 1 - 6

関連項目

文献解題

教科書・参考書


2000



4 2009



 2010

2009 

2003

50

2000



The Military Balance, The International Institute for Strategic Studies.

調

古典的作品






  



 



  /  



6 



  2010



Phillips, T. R. ed. Roots of strategy. Harrisburg, Pa.: Military Service, 1940.


軍事学の雑誌

  • 軍事研究』ジャパン・ミリタリー・レビュー
  • 『国際安全保障』国際安全保障学会
  • 『防衛学研究』防衛大学校防衛学研究会
  • Adelphi Paper. The International Institute for Strategic Studies.
  • Airpower Journal. US Air Force.
  • Jane's International Defense Review. Jane's Information Group.
  • International Security. The Program for Science and International Affiars Harvard University.
  • Military Review. US Army Command and General Staff College.
  • Strategic Review. United Stets Strategic Institute.
  • Survival. The International Institute for Strategic Studies.
  • US Naval Institute Proceedings. U.S. Naval Institute.

外部リンク