長岡護美
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長岡 護美︵ながおか もりよし、1843年-1906年︶は、肥後国熊本藩の家老。下野国喜連川藩の嫡子。明治期の外交官・華族︵子爵︶・貴族院議員。喜連川藩嫡子時代は、喜連川 紀氏︵きつれがわ のりうじ︶と称した。
熊本藩主・細川斉護の六男。はじめ、喜連川藩主・喜連川煕氏の養子となったが、安政5年︵1858年︶4月に喜連川家を離籍し、実家に戻った。
その後、兄で熊本藩最後の藩主となった細川護久に重用され、藩の諸式・諸法律の改変、藩士のリストラや俸禄の削減、領民に対しての免税や封建制度の撤廃など当時としてはかなり進歩的な藩政改革を行ない、明治維新期に活躍する。
後に明治政府に招かれて外務省に入省、ベルギーやオランダの公使として活躍し、1891年に子爵に叙され、1904年には貴族院議員に任命された。