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== 経歴 ==
[[安房国]][[安房郡]][[勝山町 (千葉県)|勝山]]︵現在の[[鋸南町]]︶に[[安房勝山藩]]士長島長永豊の長男として生まれ、[[1872年]]︵明治5年︶に一家は[[東京市|東京]]に移住した<ref name="ji">﹃人事興信録﹄</ref><ref>﹃百家高評伝 第一編﹄p.73-77</ref>。[[1890年]]︵明治23年︶、[[東京大学|東京帝国大学]][[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|法科大学]]独法科を卒業し、[[司法省]]参事官試補となるが、[[1893年]]︵明治26年︶に辞して弁護士を開業し、後には東京弁護士会会長に就任した<ref>﹃東京弁護士会史﹄、東京弁護士会事務所、1935年</ref>。また[[日本法律学校]]・[[明治法律学校]]・[[東京法学校|和仏法律学校]]・[[英吉利法律学校|東京法学院]]・[[専修学校 (旧制)|専修学校]]で講師を務め、日本法律学校では幹事となった<ref>﹃衆議院要覧﹄</ref>。
[[1908年]]︵明治41年︶、[[第10回衆議院議員総選挙]]に出馬し、当選。以後、当選回数は3回を数えた。その間、法律取調委員を務めた<ref name="ho"/>。
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2014年4月26日 (土) 07:16時点における版
長島鷲太郎
脚注
- ^ a b 『帝国法曹大観』p.33
- ^ 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』、衆議院事務局、1940年
- ^ 『官報』第1724号、大正7年5月4日
- ^ a b 『人事興信録』
- ^ 『百家高評伝 第一編』p.73-77
- ^ 『東京弁護士会史』、東京弁護士会事務所、1935年
- ^ 『衆議院要覧』
参考文献
●久保田潜竜﹃百家高評伝 第一編﹄文寿堂書林、1893年。
●﹃衆議院要覧 大正元年十一月﹄衆議院事務局、1912年。
●﹃帝国法曹大観﹄帝国法曹大観編纂会、1915年。
●人事興信所編﹃人事興信録 第9版﹄人事興信所、1931年。