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8月23日小松原師団長が指示した、わずか400人の兵力で敵側背に迫るという無謀な作戦を拒否し、小松原師団長、辻正信参謀の無謀な作戦計画に反対するなどもあり、ノモンハン事件後予備役編入となった。<ref>﹃ノモンハン事件の虚像と実像﹄</ref>
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8月23日小松原師団長が指示した、わずか400人の兵力で敵側背に迫るという無謀な作戦を拒否し、小松原師団長、辻正信参謀の無謀な作戦計画に反対するなどもあり、ノモンハン事件後予備役編入となった。<ref>﹃ノモンハン事件の虚像と実像﹄</ref>
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ノモンハン事件について、戦後このように述べている。「(小松原師団長は)あのソビエト軍をなめているなというかんじですな。あまくみているということですわ。」「でたらめな戦争をやったのみならず、臆面もなく、当時の小松原中将およびそのあとにきた荻洲立兵中将は、第一線の部隊が思わしい戦いをしないからこの戦いが不結果終わったようなことにして、各部隊長を自決させたり、処分したりしたんですね。」「責任を負って死ねと。このようなことで、非常に残念なことですが、当時の自分の直属上司はもとより、関東軍と陸軍省も参謀本部も、この戦闘についてちっとも反省しておらなかったと思います。また停戦協定後、参謀本部や陸軍省から中佐・大佐クラスの人が見えましたが、みんな枝葉末節の質問をするんで、私の希望するような、その急所を突くような質問はひとつもないんですね。」<ref>『証言私の昭和史 ②戦争への道』文春文庫[[1089]]443p 447p</ref> |
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戦後長野県上山田温泉三楽荘の主人となり、[[司馬遼太郎]]の取材を受けているが、その後、司馬が[[参謀本部]]作戦課長[[瀬島龍三]]と対談したことを知ると、それまでの取材内容の使用及び今後の取材を拒否した。<ref>﹃ノモンハン事件の虚像と実像﹄</ref>
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戦後長野県上山田温泉三楽荘の主人となり、[[司馬遼太郎]]の取材を受けているが、その後、司馬が[[参謀本部]]作戦課長[[瀬島龍三]]と対談したことを知ると、それまでの取材内容の使用及び今後の取材を拒否した。<ref>﹃ノモンハン事件の虚像と実像﹄</ref>
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2014年2月6日 (木) 13:46時点における版
須身 新一郎︵すみ しんいちろう、生没年不明︶は、昭和の大日本帝国陸軍軍人。1939年︵昭和14年︶6月以降のノモンハンの戦闘に第7師団歩兵第26連隊長として従事し、生き残ることの出来たわずか3人の連隊長の1人。最終階級は陸軍大佐。
︵他の2人は砲兵団野戦重砲兵第7連隊長、鷹司信熙大佐、砲兵団野戦重砲第1連隊長、三嶋義一郎︶[1]
経歴
陸軍士官学校︵第25期︶ 陸軍大学校卒 黒龍江省黒河等で特務機関長 転じて歩兵第26連隊長 ノモンハン事件後予備役編入 戦後長野県上山田温泉三楽荘主人経過
第7師団歩兵第26連隊は、小松原道太郎中将率いる第23師団強化のため6月20日に配属された。[2] サイダー瓶を使った火炎瓶攻撃を組織的に実施し、83両の敵戦車︵部隊記録︶を破壊したことでも有名である。[3] 8月23日小松原師団長が指示した、わずか400人の兵力で敵側背に迫るという無謀な作戦を拒否し、小松原師団長、辻正信参謀の無謀な作戦計画に反対するなどもあり、ノモンハン事件後予備役編入となった。[4] ノモンハン事件について、戦後このように述べている。﹁︵小松原師団長は︶あのソビエト軍をなめているなというかんじですな。あまくみているということですわ。﹂﹁でたらめな戦争をやったのみならず、臆面もなく、当時の小松原中将およびそのあとにきた荻洲立兵中将は、第一線の部隊が思わしい戦いをしないからこの戦いが不結果終わったようなことにして、各部隊長を自決させたり、処分したりしたんですね。﹂﹁責任を負って死ねと。このようなことで、非常に残念なことですが、当時の自分の直属上司はもとより、関東軍と陸軍省も参謀本部も、この戦闘についてちっとも反省しておらなかったと思います。また停戦協定後、参謀本部や陸軍省から中佐・大佐クラスの人が見えましたが、みんな枝葉末節の質問をするんで、私の希望するような、その急所を突くような質問はひとつもないんですね。﹂[5] 戦後長野県上山田温泉三楽荘の主人となり、司馬遼太郎の取材を受けているが、その後、司馬が参謀本部作戦課長瀬島龍三と対談したことを知ると、それまでの取材内容の使用及び今後の取材を拒否した。[6]関連書籍
- 『ノモンハン事件の虚像と実像』岩城成幸2013年、細流社
- 『はじめてのノモンハン事件』森山康平2012年、PHP研究所徳園
- 『ノモンハンの死闘 七師団戦記』三田真弘1965年、北海タイムス
- 『静かなノモンハン』伊藤圭一1983年、講談社文芸文庫