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鴻巣七騎︵こうのすしちき︶は、岩附城の戦国大名太田氏に仕えた鴻巣周辺の家臣団のこと。やがて太田氏が後北条氏に従属し、小田原の役により、多くのものは帰農し、今もその子孫は同地に住んでいる例が多い。
鴻巣七騎
●小池長門守-︵鴻巣市鴻巣︶
●天文20年︵1551年︶、岩附城下の市宿より移住し市宿新田の開発、鴻巣宿の発展の基礎をつくった。孫の隼人助は鴻巣御殿用地を寄進。子孫は、宿役人として存続。
●立川石見守-︵鴻巣市上谷︶
●龍退治の伝説が残る。
●河野和泉守-︵鴻巣市常光︶
●矢部某-︵鴻巣市下谷︶
●深井対馬守景吉-︵北本市深井︶
●越後長尾氏。父の景孝が深井に生まれ深井姓を称す。
●大島大膳亮久家-︵北本市宮内︶
●源為朝の子孫という。伊豆大島より出ている。家紋は武家の家紋、丸に剣片喰(けんかたばみ) 。民主党衆議院議員・大島敦の祖先にあたる。
●加藤修理亮宗安-︵北本市中丸︶
●墓所は館跡にある真言宗安養院。子孫は幸左衛門を名乗る。
●本木某-︵桶川市加納︶
●本木雅弘の祖先にあたる。