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COUNTDOWN KANSAI

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COUNTDOWN KANSAIfm osaka19954720023297CDK362

11H Jungle with tWOW WAR TONIGHT [1]1[2]

DJ

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放送時間

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7〜8時間の超ワイド番組で、放送時間をたっぷり使って100位からカウントダウンしていた。

年間チャート1位

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年度 曲名 歌手名 脚注
1996年 アジアの純真 PUFFY
1997年 However GLAY [3]
1998年 My Heart Will Go On Celine Dion [4]
1999年 First Love 宇多田ヒカル [5]
2000年 TSUNAMI サザンオールスターズ [6]
2001年 Can You Keep A Secret? 宇多田ヒカル

COUNTDOWN KANSAI TOP40

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COUNTDOWN KANSAI TOP40(カウントダウンカンサイトップフォーティー)は、エフエム大阪(fm osaka)で1995年11月頃から2002年3月31日まで毎週土曜日26:00-29:00(JST、日曜日2:00-5:00)に放送されていたラジオ番組である。通称はCDK TOP 40

概要

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当時同局で放送されていた『COUNTDOWN KANSAI』の姉妹番組として突然スタートした。開始当初は日曜26:30-29:00(月曜2:30-5:00)だったこともあり、時折送信所の保守を行なうため番組休止になったり、減力放送になったり短縮放送となったことがある。

内容

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前述のCOUNTDOWN KANSAIのチャートを40位から1位まで放送するというだけのものだった。当初はDJのミチコが10曲ずつ紹介したあと、ノンストップで10曲流すというのを4回繰り返すだけで、CMは皆無であった。途中から、スタッフの「堂山」氏が放送に参加し、2人で局内の裏話など雑談を繰り広げることがあった。

1996年4月にaikoに交代したあとも基本フォーマットは受け継がれたが、次第に各種コーナーが挿入されるようになった。当番組の人気が次第に向上してくると、1998年4月から土曜深夜(日曜未明)に昇格した。aikoはこの番組のパーソナリティとして出演したことで大きく飛躍をとげ、番組自体も人気番組にのしあがった。

パーソナリティ

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エピソード

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2

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aiko[ 2]

2001aiko[ 3]

放送内容

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  • 放送日は2010年3月31日(水) 18:00 - 20:00
  • プログラムはアルバム「BABY」の紹介やリスナー参加型の企画「aikoの好きな曲TOP40」(aikoの楽曲のリクエストを募り、上位40曲を発表)など。

番組の終焉

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aikoは東京に引越し後も生放送にこだわり、毎週来阪していた(他の仕事[注 4]がある時は、やむなく録音放送だった)が、自身の人気上昇に伴ってスケジュール調整が困難となり、大阪での生放送に支障をきたすことが多くなったことから2001年末に番組を降板。そして3ヶ月後の2002年3月に番組終了。およそ6年5ヶ月の放送にピリオドを打ち『COUNTDOWN KANSAI』も同月で終了し7年の放送にピリオドを打った。

aikoのCOUNTDOWN KANSAI TOP40として1日限りの復活

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番組終了後、FM大阪開局40周年特番として1日限りで復活した[7]

後に放送されたチャート番組

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エフエム大阪 オリジナルチャート番組
前番組 番組名 次番組

Jay-Land Shuffle Count Down 30!

COUNTDOWN KANSAI

COUNTDOWN OSAKA

脚注

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注釈

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  1. ^ ミチコは大分県在住及び拠点を置いているDJで、当番組の前に放送していたチャート番組「Jay-Land Shuffle Count Down 30!」(1993年10月頃から1995年3月の16:30-19:30に放送していた)も担当しており、続投して初代DJを務め、当番組及び前番組のために毎週飛行機で来阪していた。
  2. ^ 当時、aikoはオールナイトニッポンのDJも担当していた。
  3. ^ 声帯結節急性咽頭気管炎と診断された
  4. ^ 特にHEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMPの収録

出典

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外部リンク

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