サザンオールスターズ
サザンオールスターズ | |
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出身地 | 日本・東京都渋谷区[1] |
ジャンル | |
活動期間 | |
レーベル |
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事務所 | アミューズ(1978年 - ) |
共同作業者 | |
公式サイト | SOUTHERN ALL STARS OFFICIAL SITE |
メンバー | |
旧メンバー |
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サザンオールスターズ | ||||||||
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YouTube | ||||||||
チャンネル | ||||||||
活動期間 | 2013年 - | |||||||
ジャンル | 音楽 | |||||||
登録者数 | 67.7万人 | |||||||
総再生回数 | 4億2812万2102回 | |||||||
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チャンネル登録者数・総再生回数は 2023年11月16日時点。 |
概要[編集]
メンバーは青山学院大学で結成され、1974年から断続的に活動を開始した[18]。1978年6月25日にシングル﹁勝手にシンドバッド﹂でメジャー・デビュー[19]、1979年に﹁いとしのエリー﹂がヒットした[20]。1980年代には ﹁チャコの海岸物語﹂﹁ミス・ブランニュー・デイ﹂﹁Bye Bye My Love (U are the one)﹂などがヒットした[21][22]。1990年代になると﹁真夏の果実﹂がヒットし[23]、﹁涙のキッス﹂﹁エロティカ・セブン﹂﹁あなただけを 〜Summer Heartbreak〜﹂﹁愛の言霊 〜Spiritual Message〜﹂の4作がミリオンセラーとなった[24]。2000年には﹁TSUNAMI﹂がダブルミリオンを記録し[24]、第42回日本レコード大賞の大賞を受賞[25]、その後2000年代には﹁HOTEL PACIFIC﹂や﹁涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜﹂﹁I AM YOUR SINGER﹂などもヒットした[26][27][28]。5年の活動休止を経て、2010年代には﹁ピースとハイライト﹂﹁東京VICTORY﹂﹁闘う戦士たちへ愛を込めて﹂などがヒットしている[29][30][31]。オリジナル・アルバムは1978年に﹃熱い胸さわぎ﹄、1985年に﹃KAMAKURA﹄、1996年に﹃Young Love﹄、2005年に﹃キラーストリート﹄、2015年に﹃葡萄﹄など計15枚、ベスト・アルバムは1998年に﹃海のYeah!!﹄、2018年に﹃海のOh, Yeah!!﹄など計7枚が発売されている[32]。 一般的にはラブソングやエロティックな内容の楽曲で認知されているが、楽曲によっては風刺、反戦、さらには生まれ育った日本への強い愛情や世界平和などのメッセージや国民へのエールが込められたものも存在している[33][34]。また、サザン及び桑田の楽曲の作風や歌唱法は一般的には日本語を英語風に発音し、ロックのリズムに乗せて早口でまくし立てて歌ういわゆる﹁巻き舌唱法﹂で知られているが[35]、実際にはその他にも﹁逢いたくなった時に君はここにいない﹂を始めとしたバラード曲のように美しく明解な日本語の歌詞の楽曲を制作したり[36]、﹁JAPANEGGAE (ジャパネゲエ)﹂﹁通りゃんせ﹂﹁イヤな事だらけの世の中で﹂のように古語や四季折々の情景を取り入れた日本情緒を感じさせる内容の歌詞をロック・ポップスのリズムに乗せて歌ったりするなど、楽曲によって表現を使い分けており、英語や早口な歌い方を取り入れないスタイルの楽曲も多く制作されている[37][38][39][40]。桑田はベスト・アルバム﹃海のYeah!!﹄と﹃海のOh, Yeah!!﹄を聴き比べた際に、前者を﹁英語と日本語を融合させようとあれこれ格闘している跡が見てとれます﹂、後者を﹁やっぱり日本語を大切にして歌いたいという気持ちが、全面に出ていますね﹂と評し、作風の変化を自己分析している[41]。 2011年に東日本大震災の被災地の復興支援を目的にリリースされたチーム・アミューズ!!のチャリティーソング﹁Let's try again﹂にメンバー全員で参加したり[42]、ベスト・アルバム﹃海のOh, Yeah!!﹄の収益の一部を東日本大震災や2018年7月に起きた西日本を中心とする豪雨被害などさまざまな自然災害の被災地への寄付金として使うなど、音楽活動を通して社会的貢献も行い[43]、被災地やファンを元気づけており[44][45][46]、桑田の率先した行動力はソロ・サザンを問わず多くのライブの舞台監督を担当している南谷成功から高く評価されている[47][46]。特徴[編集]
桑田佳祐がバンドマスターを務め、楽曲の作詞・作曲・ボーカルを担当している[48]。原由子は楽曲によってはコーラスワークやカウンターのメロディー[注釈 1]を考える役割も担っていて[50]、桑田は原のことを﹁サザンオールスターズの羅針盤であり、桑田佳祐にとっての灯台﹂と語っており[51]、また、竹内まりやや草野マサムネ︵スピッツ︶などミュージシャンの間でも﹁サザンオールスターズの主体﹂と評されている[52][50]。桑田はサザンらしさの要因に松田弘の存在を挙げており、原との音楽的な相性の良さを称えたり[53]、﹁サザンの本当のリーダーは彼︵松田︶じゃないかなってのは僕は思うんですよね﹂[54]と発言をしている。桑田は関口和之については﹁ユニークな発想をする﹂﹁アーティスティック﹂﹁サザンの要﹂と評し[55]、音楽評論家のスージー鈴木は著書﹃サザンオールスターズ 1978-1985﹄にて松田と関口のリズム隊の素晴らしさについて言及している[56]。桑田は野沢秀行についても﹁野沢の叩くコンガでありボンゴは、世界で誰にも真似ができない﹂﹁毛ガニの音は毛ガニにしか出せない﹂﹁パーカッションの重要性を、私はほとんど彼から教わった﹂[57]﹁この人がいなかったらサザンは三年前[注釈 2]に解散してたような気がする﹂﹁自分のできる範囲のことしか言わないし、背伸びするタイプじゃないけど、毛ガニがいてこそ人間関係が保てる﹂と述べ全幅の信頼を寄せている[58]。桑田はサザンのメンバーじゃなければ出せない固有の音像があるといい、母親のカレーライスのようにどの要素を欠いてもその味にならないと述べている[59]。また、桑田はサザンはメンバーの5人だけではなく、数十人のスタッフを含めた総称であると述べ[60]、グループとしてのサザンの特徴を﹁バンドという単位じゃなく、みんなで楽しいことを共有する﹃音楽芸能集団﹄という大所帯だと捉えている﹂と語っている[61]。 桑田はサザンをディレクションする[注釈 3]ときに最も重視している点として﹁自分を含めたメンバー全員のバンドマンとしての気概とプライド﹂を挙げており[63]、メンバー全員は人知れず努力を重ねていると述べている[64]。また、桑田はドラマ﹃Sweet Season﹄︵TBSテレビ︶の内容に合わせて﹁LOVE AFFAIR 〜秘密のデート﹂の歌詞を書き下ろす際の打ち合わせで﹁僕は︵音楽の︶天才じゃないから、ただ︵音楽が好きだから︶人の三倍は努力するけどね﹂と発言した逸話も残っている[65]。桑田は映画監督をした経験から﹁トップがブレたり、﹃誰か何とかしてくれ﹄と言ってしまったら、物事は決してまとまらない﹂﹁リーダーはどんなに困っていても、弱った顔や迷いを見せてはいけない﹂といった帝王学を学んでいる[66]。 桑田はサザンを解散させず長く続けている理由として﹁絶対、サザンオールスターズは解散しません。だってさぁ… もったいないじゃん!﹂と語っており[67]、2005年に開催した全国ツアー﹃みんなが好きです!﹄の東京ドーム公演のMCではサザンの活動について﹁これからもゆっくり、命ある限り続きますんでよろしくお願いします﹂と発言している[68]。関口はサザンが長く続いた秘訣を﹁﹃休み休みやることかな﹄としか答えようがない﹂と述べている[69]。スージー鈴木はメンバーそれぞれの演奏力・実力を称え、それが長く続いている理由の一つであることを挙げたうえでサザンを﹁あまり語られてないけど、サザンというバンドは、じつは演奏がうまい﹂﹁テクニシャンバンド﹂と評している[70][71]。 サザンの仲について桑田は﹁やっぱりお互い若い時分には険がありましたよ。だけどもう、これこそ何度かバンドを休ませたりしているうちに、角が取れてきたというか︵中略︶互いの光る部分を見出し易くなった。今更無理難題を投げ合うくらいなら、その分できる事をたくさん頑張る方がいいもんね﹂と述べている[63]。桑田は原を始めとした家族との関係やメンバー同士の人間関係を大切にしており[72]、2008年に無期限活動休止を発表した際も﹁メンバー1人1人があってのサザンです﹂﹁メンバー5人いまして、私はもう彼ら1人1人が大事ですし、一生のパートナーとしてこれからも付き合っていきたいと思います﹂と個々のメンバーを気遣う発言を行っている[73]。桑田は2018年のインタビューでサザンは家族のようなものと語った[74]。様々なミュージシャンが不倫や女性問題などのスキャンダルを起こす中で、桑田・原夫妻を始めとしたサザンのメンバーはそういったものとは無縁であり、堅実に家庭や音楽と向き合っている面も高く評価されている[75]。また、ソロ活動が活発になってもメンバーを見捨てない桑田の姿勢は武田鉄矢︵海援隊︶と肩を並べて評価されている[76]。音楽プロデューサーの酒井政利は﹁原坊はもちろんのこと、メンバーもスタッフもそんな桑田の人となりに惹き付けられて、サザンオールスターズを楽しんでいるように見える﹂と評している[72]。また、スージー鈴木も﹁ワンマンバンドって、だいたい早く潰えるんですよね。桑田佳祐というリーダーがいて、︵2018年の時点で︶40年続けているというのはすごいことです﹂﹁メンバーの和気あいあいとした姿を見るにつけ、桑田はリーダーでありながら上から目線にならない"ムードメーカー"なのでしょう﹂と語っている[70][71]。 サザンの活動に集中する時期と各メンバーがソロ活動に集中する時期があるため、関口は﹁良くも悪くも、何かしら口実を設けないと動きにくいバンド﹂と表現している[69]。桑田は﹁大本営発表がある方が動き易いというか、先に流れをパーッと決める方がみんな楽だから。そういうバンドなんですよ︵笑︶﹂と語っている[63]。 6月25日をデビュー記念日にしている[77]。記念日や節目を大切にするバンドであり、デビュー記念日などには毎年何らかの話題が用意される[77]。 10代から70代まで幅広い年齢層にファンが存在しており[78][注釈 4]、サザンの楽曲に励まされ、心の支えとしている者も多い[80]。音楽ライターの石井恵梨子は、2018年のベストアルバム﹃海のOh, Yeah!!﹄が32.5万枚のセールスを記録した同時期に、1998年のベストアルバム﹃海のYeah!!﹄も約9,000枚のセールスを記録したことで﹁これを機に聴いてみよう、と作品を手にした人たちが1万人弱いるわけですね﹂と指摘しており、これを根拠にサザンのファン層を﹁だいたいの日本人、と言っていいのでしょう﹂と定義している[81]。メンバー[編集]
性別 | 生年月日と年齢 | 血液型 | 出身地 | 担当 | 特記事項 | |
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男性 | 1956年2月26日(68歳) | A型 | 神奈川県茅ヶ崎市 | ボーカル ギター |
リーダー[82] | |
男性 | 1955年12月21日(68歳) | O型 | 新潟県 | ベース | ||
男性 | 1956年4月4日(68歳) | O型 | 宮崎県 | ドラムス | ||
女性 | 1956年12月11日(67歳) | B型 | 神奈川県横浜市 | キーボード ボーカル |
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男性 | 1954年10月19日(69歳) | A型 | 東京都 | パーカッション | ||
出典:[83][84] |
- 元メンバー
性別 | 生年月日と年齢 | 血液型 | 出身地 | 担当 | 特記事項 | |
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男性 | 1956年12月12日(67歳) | A型[85] | 宮崎県 | ギター | 2001年8月7日付で独立[86] | |
出典:[87] |
名義[編集]
バンド名の由来[編集]
バンド名の表記[編集]
正式表記は一貫してカタカナ表記﹁サザンオールスターズ﹂であるが、シングル、アルバムのジャケットなどについてはカタカナ表記と英語表記﹁Southern All Stars﹂または﹁SOUTHERN ALL STARS﹂のものが存在する。なお、﹃歌のトップテン﹄については1988年ごろ、オリコンチャートについては1997年から1998年の間、それぞれ英語の大文字表記で表記されたことがある。別名義での活動[編集]
アルバム﹃稲村ジェーン﹄は同名映画のサウンドトラックという性質上、収録されている楽曲により演奏者などのメンバーが異なるため、同アルバムは﹁サザンオールスターズアンドオールスターズ (SOUTHERN ALL STARS and ALL STARS)﹂の名義で表記されている[90][注釈 5]。また、同アルバムの個々の楽曲の中で6曲は﹁稲村オーケストラ﹂、1曲は﹁原由子&稲村オーケストラ﹂、4曲はサザンオールスターズのままの名義で表記されている[90][注釈 6]。 その他の別名義の活動では関口のソロアルバム﹃World Hits!? of Southern All Stars﹄において﹁関口和之&砂山オールスターズ﹂[注釈 7]が結成されたほか、ミセス・ジョーンズ・ラバーズのオムニバスアルバム﹃SNOWBIRD HOTEL﹄[93]において、松田・野沢・大森を中心メンバーとする﹁S.A.S.Project﹂が参加している。音楽性[編集]
楽曲制作方法・レコーディング[編集]
桑田はメロディやサウンドを鳴らしたいという動機で作曲や演奏を始めたため、主に楽曲を曲先で制作している[137]。サザンの大半の楽曲のレコーディング形式は先行して桑田が楽曲やポイントとなる言葉の一部分を作り、スタジオでメンバー、サポートミュージシャン、スタッフ、エンジニアなどにそれを伝え、全員でアイディアを出し合いながらイメージを膨らませて仮歌やオケを録音する。それと並行して桑田が作詞に取り掛かり、一通り作詞をして歌入れを開始する。これ以降アレンジなどの細部の修正を繰り返して楽曲が完成する[138][139][60]。イントロは基本的に桑田が考案するが、楽曲によっては原がそれに手を加えたり、﹁海﹂﹁ミス・ブランニュー・デイ﹂などのように最初から原が考案する場合もある[140]。楽曲によって異なったニュアンスを出すためという理由から桑田が担当メンバーに代わってベースなどを演奏したり[132]、関口が考案したベースのフレーズをミュージックシーケンサーで打ち込みする手法をとることもある[132][141]。近年はライブなどで演奏することを想定して制作することが多くなった[142]。過去の作品には制作したものの、作り込み過ぎたがゆえにライブで再現ができなかった楽曲が何曲も存在すると桑田は述べている[142]。 初期のころは歌詞については﹁意味はどうでもいい﹂と捉えており﹁料理でいうお皿のようなもの﹂という感覚だったと述べている[137]。しかし活動が続くにつれてファンの反応[143]や、サポートミュージシャンを務めた小林武史や小倉博和といった桑田が言うには﹁詞の事をとても気にする人達﹂の影響で洗練されたものが多くなっていった[144]。1990年代からは仏教用語や熟語が少しずつ登場するようになった[145]。洋楽への憧れから1980年代には全英語詞曲も制作されたが[注釈 27]、2010年代からは英語を意識的に減らしていくようになり日本語を重視して書かれることが多くなった[148]。近年︵2021年時点︶の代表作は﹁できる限り平易な言葉を選び、素直でより多くの人々の心に響く歌詞、寄り添い共に歩いていくようなテンポ感による、やさしさと力強さに溢れた作風﹂とも評される[149]。桑田は作詞をする際に入念な下調べを行って様々な情報を隅々までチェック、インプットしていて、それが楽曲のアイディアに繋がっていると野沢は述べており、﹁週刊誌なんかは、ぜんぶ読んでるんじゃないか﹂といった推測もしている[150]。歌詞は楽曲のテーマに関係する人物あるいはそれに詳しい周囲の人物やスタッフへの取材をもとに書くこともあれば[151]、ほとんど想像で書くこともある[152]。歌詞の中で桑田自身とは異なる歌手像やペルソナ[注釈 28]が設定されていることも多い[154]。桑田が制作した楽曲の歌詞には先述の意味を重要視しないなどの理由からメロディや符割りを優先するために文法が正しくないもの[155]や、勘違いして書いた歌詞がそのまま使われたりすることもあり[150][156]、スタッフが訂正を促すこともあるが、歌いやすさなどを理由とした桑田の意向により大抵はそのまま残されている[155][156]。楽曲の世界観[編集]
ライブパフォーマンス[編集]
来歴[編集]
出会いからメジャー・デビューまで(アマチュア時代)[編集]
メジャー・デビュー[編集]
1978年6月25日にシングル﹁勝手にシンドバッド﹂でビクターからメジャー・デビューし[307]、8月に1枚目アルバム﹃熱い胸さわぎ﹄を発売した[308][309]。同年8月に音楽番組﹃ザ・ベストテン﹄のスポットライトのコーナーで初出演した[310]。この際に桑田が﹁目立ちたがり屋の芸人です﹂と発言し、イメージの形成に拍車がかかったが[311][312]、後にこの発言は台本によるものだったことを明かしている[312]。﹁勝手にシンドバッド﹂はテレビ番組で披露されたこともあり、大ヒットとなった[312]。当時、桑田の日本語を英語風に発音してロックに乗せるいわゆる﹁巻き舌唱法﹂は[35][313]、音楽ファンや関係者の間で賛否両論が巻き起こった。桑田はこの歌唱法や前述の作詞・作曲法をアマチュア時代からの慣例としていたため、これらが批判されたりしたことを意外に思ったという[314]。同年11月に2枚目シングル﹁気分しだいで責めないで﹂を発売し、同年12月から1979年1月にかけて、公式上のデビューコンサート﹁胸さわぎ﹂を行った[315][注釈 49]。このころは上記の方向性が影響してコミックバンドとして認識されたり、一発屋で終わってしまう可能性を懸念する風潮があった[注釈 50][317]。 1979年3月に3枚目シングル﹁いとしのエリー﹂[307]、同年4月に2枚目アルバム﹃10ナンバーズ・からっと﹄を発売した。﹁いとしのエリー﹂は、出荷枚数が125万枚を記録し[注釈 51]、﹁勝手にシンドバッド﹂での一発屋を作品力で回避し、その振り幅の広さでファンを始めとした多くの視聴者・リスナーを驚かせた[注釈 50][317][312][320]。﹃10ナンバーズ・からっと﹄を製作していた期間は﹁いとしのエリー﹂のヒットもあり、並行して雑誌の取材やテレビ出演、CM撮影、ライブ活動など多忙な日々を送っており[321]、精神的にも落ち込んでいたという[322]。年末にはNHK紅白歌合戦に﹁いとしのエリー﹂で初出場した[321]。 1980年を目前にして、﹁半年間テレビ番組などに一切出ず、楽曲製作やレコーディングに集中する﹂﹁5か月の中で毎月1枚ずつシングルを出す﹂という宣言と共に、"FIVE ROCK SHOW"︵ファイブロックショー︶と銘打った計画を開始した[323]。同年2月から7月にかけて、計画の第1弾﹁涙のアベニュー﹂、第2弾﹁恋するマンスリー・デイ﹂、第3弾﹁いなせなロコモーション﹂、第4弾﹁ジャズマン (JAZZ MAN)﹂、第5弾﹁わすれじのレイド・バック﹂が発売された[324][注釈 52]。同年3月に3枚目アルバム﹃タイニイ・バブルス﹄が発売され、自身の作品で初となるオリコン週間ランキング1位を獲得した[312][326]。アルバムに収録されていた﹁私はピアノ﹂は原がボーカルを務め、特に評判となった[注釈 53]。同年11月に自身初の両A面となる11枚目シングル﹁シャ・ラ・ラ/ごめんねチャーリー﹂が発売された[327]。1981年7月には4枚目アルバム﹃ステレオ太陽族﹄が発売された[328][注釈 54]。 1982年1月に14枚目シングル﹁チャコの海岸物語﹂が発売され[注釈 55]、﹁いとしのエリー﹂以来のヒットとなり[312]、さらに同年7月に発売された5枚目アルバム﹃NUDE MAN﹄はミリオンセラーに迫る売上枚数を記録した[330]。同年10月に16枚目シングル﹁Ya Ya (あの時代を忘れない)﹂、12月に同曲などバラード曲を中心に収録したバラッドシリーズの第1弾﹃バラッド '77〜'82﹄が発売された[331]。また、2度目のNHK紅白歌合戦に出演した[332][注釈 56]。5周年、シンセサイザーの使用[編集]
1983年には音楽業界にシンセサイザーによるデジタルの波が来たことで、同年3月発売の17枚目シングル﹁ボディ・スペシャルII﹂辺りからサザンも原がシンセサイザーを使用するようになった。同年7月発売の6枚目アルバム﹃綺麗﹄からシンセサイザーを本格的に使用したサウンドとなっている[335]。同年11月に19枚目シングル﹁東京シャッフル﹂を発売し、年末に引き続き3度目のNHK紅白歌合戦に出演して同曲を披露した[336][337]。1984年6月に20枚目シングル﹁ミス・ブランニュー・デイ﹂が発売され、絶大な人気と評価を集めた[328]。同年7月に7枚目アルバム﹃人気者で行こう﹄が発売された。12月には公式な形として自身初の年越しライブ﹃縁起者で行こう﹄が開催され、﹁日本初の年越しライブ﹂﹁年越しライブの元祖﹂とも呼ばれている[注釈 57][340][341]。 1985年9月に自身初の2枚組となった8枚目アルバム﹃KAMAKURA﹄を発売した[注釈 58]。シンセサイザーをより本格的に使用したサウンドとなり、5か月間制作に打ち込んでいた[328]。制作時期に原が産休に入り、1986年4月にはサザンは一年間限定で活動を一旦休止した[343][344]。桑田や松田はKUWATA BANDとしての活動、他のメンバーもそれぞれのソロ活動に入った。この活動休止については、桑田が﹁全員がソロ活動をやって、一つ一つが別個性として出てくれば理想的だね﹂と持ち掛けたところ、全員がそれを受け入れたことや、﹁あのままだとサザンはパンク寸前だった﹂﹁俯瞰で自分やサザンを見直した方がいいんじゃないか﹂というムードがメンバー全員にあったことが語られている[345]。1987年6月にはバラッドシリーズの第2弾﹃バラッド2 '83〜'86﹄が発売された[346]。10周年、小林武史との制作[編集]
デビュー10周年を迎えた1988年6月25日に24枚目シングル﹁みんなのうた﹂を発売し、サザンとしての活動を再開した[307]。このシングルから音楽プロデューサーの小林武史がアレンジ、プロデュース業を共に行うようになった[347][注釈 59]。7月に全国の球場9か所でライブ﹃真夏の夜の夢 大復活祭﹄を開催[336]。11月から9枚目アルバムとなる﹃Southern All Stars﹄と、桑田が監督を務めた映画作品﹃稲村ジェーン﹄のサウンドトラックであり、サザンの10枚目アルバムにもなる﹃稲村ジェーン﹄の制作に入った[349]。1989年6月に発売した26枚目シングル﹁さよならベイビー﹂がオリコン週間ランキングで1位を獲得し、デビュー11年目にしてシングル初の首位獲得となった[350]。7月には45万枚限定のベスト・アルバム﹃すいか﹄が発売され、こちらは予約だけで完売した[351]。12月には横浜アリーナで年越しライブを開催[352]。 1990年1月にアルバム﹃Southern All Stars﹄が発売され、売上枚数は120万枚を記録し、自身の作品としては初のミリオンセラーとなった[330]。直後に同アルバムを引っ提げ、全国ツアー﹃夢で逢いまSHOW﹄が開催された。7月には上述の映画﹃稲村ジェーン﹄の主題歌で28枚目シングルとなる﹁真夏の果実﹂を発売した。85万枚を記録するヒットとなり、自身の代表作になった[注釈 51][注釈 60][354]。9月にはアルバム﹃稲村ジェーン﹄が発売され、こちらも売上枚数が130万枚を超えて、アルバム2作連続でミリオンセラーとなった[330]。12月には年越しライブを開催[355]。1991年前半は原がソロで活動しており、7月にサザンとして活動を始め、29枚目シングル﹁ネオ・ブラボー!!﹂を発売した。8月に全国ツアー、12月に年越しライブを開催した[356]。同時に8月より関口が長期休養に入る[357][358]。 1992年7月に30枚目シングル﹁シュラバ★ラ★バンバ﹂、31枚目シングル﹁涙のキッス﹂を2枚同時に発売した[356]。オリコン週間ランキングで2週連続1、2位を獲得し、﹁涙のキッス﹂はTBS系列ドラマ﹃ずっとあなたが好きだった﹄の主題歌に使用され、初登場から7週連続1位を記録した。売上は155万枚を記録し、自身のシングルでは初のミリオンセラーとなった[330][359]。9月には中国・北京でライブを行い、初の海外公演となった[356]。同月に前述のシングル2枚を収録した11枚目アルバム﹃世に万葉の花が咲くなり﹄が発売され、売上枚数は180万枚弱を記録した[330]。1993年7月には、32枚目シングル﹁エロティカ・セブン﹂、33枚目シングル﹁素敵なバーディー (NO NO BIRDY)﹂を2枚同時に発売した。﹁エロティカ・セブン﹂はフジテレビ系列ドラマ﹃悪魔のKISS﹄の主題歌に使用され、売上は170万枚超を記録し[330]、自身のシングルでは2番目の売上となっている[360]。15周年、セルフプロデュース[編集]
1993年11月の34枚目シングル﹁クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)﹂を最後に小林がサザン︵桑田ソロ含む︶との共同作業から離れた[347]。このことについて桑田は小林のアレンジャーやミュージシャンとしての才能を存分に評価しつつも﹁︵小林は︶危ないヤツと分かった﹂と語っているが、これは人間性を否定しているわけではなく、サザンの正規のメンバーを差し置いて小林に過度に頼ってしまうという意味がある[347][361]。これ以降の作品は自身によるプロデュースとアレンジで発売するようになった。12月には年越しライブを開催し、1994年からは桑田がソロ活動を始めた[356]。同年12月に日本武道館で開催されたAct Against AIDSイベントにサザンが出演した。この時から関口が休養から復帰し、久々にメンバーが6人揃っている[362]。 1995年5月に35枚目シングル﹁マンピーのG★SPOT﹂で本格的に6人での活動を再開した。6月に数量限定アルバム﹃HAPPY!﹄が発売され、2日間で70万枚が完売した。7月にフジテレビ系列ドラマ﹃いつかまた逢える﹄の主題歌に使用された36枚目シングル﹁あなただけを 〜Summer Heartbreak〜﹂が発売され、﹁エロティカ・セブン﹂以来のミリオンセラーとなった[330][363]。8月には2日間のみのライブ﹃ホタル・カリフォルニア﹄を開催。西城秀樹がゲスト出演し話題となった[364]。1996年5月に37枚目シングル﹁愛の言霊 〜Spiritual Message〜﹂を発売し、155万枚のヒットを記録した[注釈 51][320]。7月にはクラシック・ロック・テイストを取り入れた12枚目アルバム﹃Young Love﹄が発売された。アルバムは250万枚近くを売り上げ、オリジナル・アルバムとしては最大ヒットとなった[330]。アルバム発売直後には全国ツアー、12月には年越しライブを開催した[365]。 1997年には直ぐに13枚目アルバム﹃さくら﹄の製作に着手し、当時のデジタルのロックの融合にトライ、現代的な要素を盛り込んだ作品となった[366]。8月に39枚目シングル﹁01MESSENGER 〜電子狂の詩〜﹂、11月に40枚目シングル﹁BLUE HEAVEN﹂が発売され、12月には年越しライブを開催した[367]。20周年、ベスト・アルバム﹃海のYeah!!﹄リリース、大森の独立[編集]
1998年に入り、2月には41枚目シングル﹁LOVE AFFAIR 〜秘密のデート﹂を発売。デビュー20周年を迎えた6月25日にはベスト・アルバム﹃海のYeah!!﹄を発売して、累計480万枚を記録したことで自身最大ヒット作品となった[注釈 51][368]。8月にはアルバムを引っ提げ2日間のみのライブ﹃スーパーライブin渚園 "モロ出し祭り"﹄を開催した。10月にはアルバム﹃さくら﹄を発売し、120万枚を記録した[注釈 51][369]。1999年3月に43枚目シングル﹁イエローマン 〜星の王子様〜﹂を発売し、初のアリーナ・ドームツアー﹃Se O no Luja na Quites 〜素敵な春の逢瀬〜﹄を開催した。9月にはシークレットライブ﹃'99 SAS 事件簿in歌舞伎町﹄[370]、12月は年越しライブを開催した[365]。 2000年1月に44枚目シングル﹁TSUNAMI﹂を発売した[371]。この楽曲は当時放送されていたTBS系列バラエティ番組﹃ウンナンのホントコ!﹄のコーナー﹃未来日記III﹄のテーマソングとして使用され、300万枚近くを売り上げて﹁エロティカ・セブン﹂で記録した最高売上を更新した[330]。また、当時のオリコン歴代シングルランキングで3位にランクインし[372]、この年の第42回日本レコード大賞で大賞を受賞した[25]。8月には桑田の地元である茅ヶ崎市の地元住民の署名運動[注釈 61]によって、2日間の野外ライブ﹃サザンオールスターズ 茅ヶ崎ライブ﹄を開催した[374]。ライブに合わせて製作された45枚目シングル﹁HOTEL PACIFIC﹂を発売し、80万枚を超えるヒットとなった[330][375]。11月に46枚目シングル﹁この青い空、みどり 〜BLUE IN GREEN〜﹂とバラッドシリーズの第3弾﹃バラッド3〜the album of LOVE〜﹄が発売された[376]。アルバムは290万枚を売り上げ、バラッドシリーズでは最高売上を記録した[330]。その直後、大森が休養を発表し12月に開催された年越しライブを欠席した[377]。2001年から2002年までメンバーは今後のバンドのステップアップを目標にソロ活動を行った[378][86]。2001年8月に大森は正式に独立を発表しメンバーから脱退した[86]。以降はメンバーの補充を行わずグループとしては5人で活動している。当時のことを桑田は﹁サザンにとって痛みを伴う試練、精神的構造改革です﹂と語っていた[379]。25周年、2枚組オリジナル・アルバム﹃キラーストリート﹄リリース[編集]
2003年6月25日にデビューから25周年を迎え、それを記念してデビューシングルの復刻盤CD﹁勝手にシンドバッド 胸さわぎのスペシャルボックス﹂を発売し、25年越しにオリコン週間ランキングで1位を獲得した[380]。同年7月に47枚目シングル﹁涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜﹂を発売、直後に大規模な野外・スタジアムツアーを開催し、サザンでの活動が本格的に始まった[378]。2004年には、シングル3作﹁彩 〜Aja〜﹂﹁君こそスターだ/夢に消えたジュリア﹂﹁愛と欲望の日々/LONELY WOMAN﹂を発売して全てオリコン1位を獲得するなどヒットし、12月には年越しライブを開催した[378][381]。 2005年6月にデビューシングル﹁勝手にシンドバッド﹂から﹁TSUNAMI﹂までのシングル44作を12cmCD化して再発売された。7月4日付のオリコン週間シングルチャートではトップ100に44作全てがランクインし、松任谷由実が保持していた同一アーティストによるシングルTOP100内同時ランクイン数17作の記録を更新した[382]。同年8月には﹁ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2005﹂にサザンとして初出演した[383]。同年10月には﹃KAMAKURA﹄以来の2枚組オリジナル・アルバムで14枚目アルバムとなる﹃キラーストリート﹄を発売し、110万枚以上の売り上げを記録[330]。発売後に2度目のドームツアーが開催された[378]。2006年8月に52枚目シングル﹁DIRTY OLD MAN 〜さらば夏よ〜﹂を発売し、サザンとして﹃THE 夢人島 Fes.﹄に出演した。2007年1月にビクターとアミューズがサザンやソロの楽曲管理・配信などを行う合弁会社﹁タイシタレーベルミュージック﹂を設立した[384]。同年は桑田はシングル発売やツアーの開催、原は映画主題歌を書き下ろすなど、メンバーが個人で活動した[378]。30周年、活動無期限休止[編集]
2008年1月にメンバーは﹁サザンという看板に頼らないで、サザンの活動だけをあてにしないで視野を広げていこう﹂という方針を決め、5月19日に30周年に伴う53枚目シングル﹁I AM YOUR SINGER﹂の発売やライブなどの活動・プロモーションの発表と同時に、2009年以降はメンバー個々の自由な発想による音楽活動を展開するべくサザンとしての活動を無期限休止にすることを発表した[注釈 62][385]。この活動休止については、発表の当日にNHKの﹃おはよう日本﹄が報じたほか、民放各局でも報道や特集が大々的になされ、発表後には所属するアミューズの株価が大幅下落し、﹁サザンショック﹂と言われた[386][387]。また、発表直前の2008年5月12日の東京スポーツ紙上で﹁サザン解散か﹂などといった誤った報道がなされ、ファンおよび世間に動揺を与えることになった[388]。これを受け桑田は自身のラジオ番組で﹁︵サザンの︶解散は絶対にない﹂と断言し、憶測や解散説を一蹴した[73][389]。 2009年から各自がソロ活動を行う。2012年12月に、桑田とスタッフの間で35周年を迎えるにあたっての話が持ち上がったことがきっかけで、﹁ファンをはじめとした多くの人たちと、楽しめるときに大いに楽しもうじゃないか﹂とサザンの活動を再開をすることにメンバー5人の気持ちが合致した[注釈 63][390][391]。この活動休止期間は、2010年に桑田の食道がんによる休養と闘病、2011年に東日本大震災の復興支援のための﹁チーム・アミューズ!!﹂結成[42]や桑田の﹁宮城ライブ﹂の開催[392]などがあり、﹁これまでにない濃密な5年間﹂と振り返っている[390]。35周年、5年ぶりの活動再開[編集]
デビュー35周年の2013年6月25日に活動再開を発表[393]。同年8月に54枚目シングル﹁ピースとハイライト﹂を発売し、オリコンで首位獲得したことでシングルとして1980年代〜2010年代の4年代で首位獲得、国内グループとしては史上初の快挙となった[29]。同年8月10日から9月22日にかけて全国ツアー﹃灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!﹄を開始した。12月はツアーを映像化した作品を発売し、映像作品としても史上初の4年代首位獲得を記録した[394]。 2014年9月には55枚目シングル﹁東京VICTORY﹂を発売した。12月にはサザンの楽曲266曲がiTunes Storeでの配信を解禁され、日本を含む111カ国で配信を開始した。同時にmoraでも配信が開始された[395]。年末には年越しライブを開催。並行して31年ぶりで4度目となるNHK紅白歌合戦にシークレットゲストとして中継出演し、﹁ピースとハイライト﹂﹁東京VICTORY﹂を披露した[396]。 2015年3月には﹃キラーストリート﹄以来約10年振りとなる15枚目アルバム﹃葡萄﹄を発売[397]、アルバムでも4年代首位を達成した[398]。同年4月から8月にかけて全国ライブツアー﹃おいしい葡萄の旅﹄を開催[399]。2016年と2017年はサザンとしてシングル・アルバムの発売やライブは行われなかったが[396]、2017年に自身が初めてコマーシャルに出演した、アサヒ飲料﹃三ツ矢サイダー﹄にメンバー全員で再び出演した[400][注釈 64]。40周年、ベスト・アルバム﹃海のOh, Yeah!!﹄リリース[編集]
2018年に入り、6月15日にアルバム﹃葡萄﹄以来の新曲﹁闘う戦士たちへ愛を込めて﹂が自身初の配信シングルとして発売され[401]、続けて7月には2作目の配信シングル﹁壮年JUMP﹂も発売された[402]。8月に入り直ぐに﹃海のYeah!!﹄の続編ベスト・アルバム﹃海のOh, Yeah!!﹄が発売された[403]。このアルバムがオリコン週間ランキングで首位獲得したことにより、史上初の国内グループでデビュー40年を超えての首位獲得の快挙となった[397]。同年8月には﹁ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2018﹂にサザンとして13年ぶりに出演した[286]。年末には5度目となるNHK紅白歌合戦に特別枠として﹁究極の大トリ﹂で出演[注釈 65]、﹁希望の轍﹂﹁勝手にシンドバッド﹂を披露し、平成最後の紅白歌合戦を締め括った[405][406]。同番組の歌手別瞬間最高視聴率が45.3%[注釈 66]を記録し、出場歌手の中で最も高い視聴率を獲得した[407]。 2019年3月から6月にかけて、6大ドームを含む全11か所22公演の全国ツアー﹃“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!”だと!?ふざけるな!!﹄を開催した[403]。ライブでは新曲﹁愛はスローにちょっとずつ﹂が披露され、8月に3作目の配信シングルとして発売された[408]。12月にはサザンの楽曲や各メンバーのソロ楽曲も含め、全972曲のサブスクリプション型サービスによるストリーミング配信が解禁された[409]。 2020年に新型コロナウイルス感染症が流行して、芸能イベントや音楽ライブが中止となり大打撃を受けた[280]。その関係でスタッフ達の仕事が無くなったことを知った桑田は何か音楽で出来ることを考え、サザンとしては﹁Keep Smilin’〜“出来ることから”ちょっとずつ〜﹂をスローガンに掲げた特別企画を開始させ、デビュー42周年を迎えた6月25日には無観客配信ライブ﹃Keep Smilin’〜皆さん、ありがとうございます!!〜﹄を開催した[280]。このライブは感謝がテーマとなっており、ファンや400人のスタッフおよび新型コロナウイルス感染症を治療する医療機関への感謝を込めたライブになっている[410]。横浜アリーナで通常のライブと同様に大規模なステージを作り、ライブが行われた[411]。リハーサルスタジオおよび横浜アリーナ内ではアクリル板が配置され、メンバーや演者・スタッフの検温、消毒、マスク着用、ソーシャルディスタンス、桑田と女性ダンサーとの接触は行わないといった感染拡大防止対策を徹底した[280][412]。スタッフはマスクやフェイスシールドを着用した[413]。チケットはライブ当日まで販売しており、チケット購入人数は18万人、推定視聴者数は50万人ほどであり[414]、ライブの収益の一部はアミューズ募金を通じて、新型コロナウイルス感染症の治療や研究開発にあたる医療機関に役立てられた[410]。同年の大晦日に横浜アリーナで無観客年越しライブ﹃Keep Smilin’〜皆さん、お疲れ様でした!!嵐を呼ぶマンピー!!〜﹄が開催された[415]。前回とは違い、メンバーやスタッフの新型コロナウイルス感染症の防止や同年8月に松田が右肩の手術を受け復帰初のライブであることから、事前に収録したものが配信された[415]。 2021年、2022年はサザンとしてのシングル・アルバムの発売、ライブは行われておらず[416][417]、事実上の活動休止状態だが、活動休止などについてはメンバーから言及はされなかった。45周年、10年ぶりの茅ヶ崎ライブ、YouTubeでの最高記録を樹立[編集]
デビュー45周年の2023年6月25日の前日の6月24日に、桑田のラジオ番組﹃桑田佳祐のやさしい夜遊び﹄にて同年7月から3か月連続で新曲を配信リリースすること、同年秋に10年ぶりとなる茅ヶ崎公園野球場での﹃茅ヶ崎ライブ2023﹄を行うことを併せて報告した[418][419]。これに際して発表されたコメントや新曲﹁盆ギリ恋歌﹂﹁歌えニッポンの空﹂の歌詞は生まれ育った日本及び桑田の故郷である茅ヶ崎市への強い愛情が込められた内容になっている[418][420]。45周年を記念して開設された特設サイトでは後者の楽曲の歌詞を引用した﹁"ここが故ふる郷さと 歌えニッポンの空" サザンオールスターズ、参ります!!﹂というキャッチコピーが掲載された[421]。実際のライブ会場では4日間で7万2000人を動員し、9月30日と10月1日は全国約270の映画館でもライブ・ビューイングで生中継され、合わせて27万2000人もの動員数になった[196]。また、同ライブにおける事業費は本公演とライブ・ビューイングの合計でおよそ15億円、経済波及効果は神奈川県内でおよそ59億5600万円、全国で179億5700万円となった[422]。 また、デビュー45周年を迎えた2023年6月25日には公式YouTubeチャンネルにて﹃サザンオールスターズ45周年!!感謝の“45曲”ライヴ配信特番﹁それ、何年?そうねだいたいね﹂on YouTube﹄を急遽実施し、Twitterのトレンドには﹁#サザン45﹂をはじめ番組関連キーワードが10個以上、50位以内にランクインするなど、SNS上を席巻し、ライブ配信番組としてはYouTube上でリアルタイムで1位を記録したほか、YouTubeで公開された45周年ティザー映像は急上昇チャートで5位となるなど、各所で大きな盛り上がりを見せた。また、当日に告知され、かつ配信された映像は全て過去の映像であり、すでに作品化されたものと、放送されたものからセレクトされ、アーカイブ配信はしない形のその場限りの特番だったにも関わらず、番組自体の同時接続者数︵視聴者数︶は最大で18万人を超えるなど、歴代最高齢での最高記録を樹立する快挙を達成し、﹃国民的ロックバンド﹄と言われるほどのサザンの人気の健在ぶりと影響力の高さを改めて示すことになった[423][424]。評価[編集]
受賞[編集]
日本レコード大賞[編集]
年 | 作品 | カテゴリー |
---|---|---|
1979 | 10ナンバーズ・からっと | ベスト・アルバム賞 |
1981 | ステレオ太陽族 | '81アルバムベスト10 |
1982 | NUDE MAN | ベスト・アルバム賞 '82アルバムベスト10 |
1983 | 綺麗 | ベスト・アルバム賞 '83アルバムベスト10 |
1984 | 人気者で行こう | 優秀アルバム賞 |
1985 | KAMAKURA | 優秀アルバム賞 |
1990 | 真夏の果実 | 最優秀ロック・ボーカル賞 ロック・ゴールド・ディスク賞 |
Southern All Stars | 優秀アルバム賞 | |
1992 | 世に万葉の花が咲くなり | アルバム大賞 優秀アルバム賞 |
涙のキッス | ゴールド・ディスク賞 | |
2000 | TSUNAMI | 日本レコード大賞[503] 優秀作品賞[503] |
2014 | 東京VICTORY | 優秀作品賞 |
2015 | 葡萄 | 最優秀アルバム賞 |
2018 | 該当なし | 特別賞 |
日本ゴールドディスク大賞[編集]
年 | 作品 | カテゴリー |
---|---|---|
1990 | 該当なし | アーティスト・オブ・ザ・イヤー ベスト5・アーティスト・オブ・ザ・イヤー |
1991 | 該当なし | ベスト5アーティスト賞 |
稲村ジェーン | アルバム賞 ロック・フォーク部門(男性) | |
1993 | 該当なし | ベスト5アーティスト賞 |
涙のキッス | ベスト5・シングル賞 | |
1994 | 江ノ島 Southern All Stars Golden Hits Medley[注釈 69] | アルバム賞 企画部門 |
1999 | 海のYeah!! | ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー |
さくら | ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー | |
2000 | TSUNAMI | ソング・オブ・ザ・イヤー |
2001 | バラッド3 〜the album of LOVE〜 | ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー |
2004 | 涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜 | ソング・オブ・ザ・イヤー |
2005 | 君こそスターだ/夢に消えたジュリア | ソング・オブ・ザ・イヤー |
2006 | キラーストリート | ロック&ホップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー |
2009 | I AM YOUR SINGER | シングル・オブ・ザ・イヤー |
2019 | 海のOh, Yeah!! | アルバム・オブ・ザ・イヤー(邦楽) ベスト5アルバム(邦楽) |
日本有線大賞[編集]
年 | 作品 | カテゴリー |
---|---|---|
1978 | 勝手にシンドバッド | 新人賞[504] |
1979 | いとしのエリー | 有線音楽賞[504] |
1982 | 該当なし | 最多リクエスト歌手賞[504] |
匂艶 THE NIGHT CLUB | 有線音楽賞[504] | |
1993 | エロティカ・セブン EROTICA SEVEN | 有線音楽優秀賞[504] |
その他の賞[編集]
- SPACE SHOWER Music Video Awards
- 特別賞(1998年)
- BEST ART DIRECTION VIDEO「愛と欲望の日々」(2005年)
- ゴールデン・アロー賞
- 音楽賞(2000年)[505]
- JASRAC賞
- 金賞「TSUNAMI」(2001年)
- 菊池寛賞(2013年)[506]
- CDショップ大賞
- マエストロ賞 『葡萄』(2016年)
- マエストロ賞『海のOh, Yeah!!』(2019年)[507]
- MTV Video Music Awards Japan
- SAS Lifetime Achievement Award Japan(2018年)[508]
- 文化庁メディア芸術祭
- エンターテイメント部門 審査委員会推薦作品「闘う戦士たちへ愛を込めて」ミュージック・ビデオ (2019年)[509]
記録[編集]
オリコン[編集]
シングル記録[編集]
- シングル売上枚数:2535.2万枚(2019年9月現在)[注釈 70]
- シングル1位獲得数:16作品(歴代23位タイ・2018年9月現在)
- シングルTOP10獲得数:45作品(歴代14位タイ・2017年10月現在)
- 10位内獲得最多週数:253週(歴代1位・2014年現在)
- トップ100同時滞在最多数:44作品(歴代1位・2005年7月4日付)[513]
- 最長キャリア首位獲得記録数:36年2か月(グループ歴代1位・2014年現在)[29][514]
- 4つの年代(西暦)で首位獲得:1980年代 - 2010年代(歴代1位タイ)[29]
- 1980年代 「さよならベイビー」
- 1990年代 「ネオ・ブラボー」「涙のキッス」「エロティカ・セブン EROTICA SEVEN」「あなただけを 〜Summer Heartbreak〜」「愛の言霊 〜Spiritual Message〜」
- 2000年代「TSUNAMI」「勝手にシンドバッド[注釈 71]」「涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜」「彩 〜Aja〜」「君こそスターだ/夢に消えたジュリア」「愛と欲望の日々」「DIRTY OLD MAN 〜さらば夏よ〜」「I AM YOUR SINGER」
- 2010年代「ピースとハイライト」「東京VICTORY」
- シングルミリオン獲得数:5作品 (ミリオン・4作品/ダブルミリオン・1作品)(歴代5位タイ・2016年現在)[注釈 72][515]
- シングル歴代売上ランキング:4位「TSUNAMI」[372]
- CDシングル歴代売上ランキング:2位「TSUNAMI」
アルバム記録[編集]
- アルバム1位獲得数:17作品(歴代5位タイ・2016年9月現在)[516]
- 最長キャリア首位獲得記録数:40年2か月(国内グループ歴代1位)[397]
- 4つの年代(西暦)で首位獲得:1980年代 - 2010年代(歴代2位タイ・グループ歴代1位タイ)[397][517][518][519][注釈 73]
- 1980年代『タイニイ・バブルス』『ステレオ太陽族』『NUDE MAN』『綺麗』『人気者で行こう』『KAMAKURA』『すいか SOUTHERN ALL STARS SPECIAL 61SONGS』
- 1990年代『Southern All Stars』『稲村ジェーン』『世に万葉の花が咲くなり』『HAPPY!』『Young Love』『海のYeah!!』『さくら』
- 2000年代『バラッド3 〜the album of LOVE〜』『キラーストリート』
- 2010年代『葡萄』『海のOh, Yeah!!』
- 週間1位を獲得したアルバム作品の値段:『すいか SOUTHERN ALL STARS SPECIAL 61SONGS』(税込1万円[注釈 74]、歴代1位)[520]
- アルバム歴代売上ランキング:8位『海のYeah!!』
- アルバムミリオン獲得数:7作品 (ミリオン・4作/ダブルミリオン・2作/トリプルミリオン・1作)(歴代7位)
映像作品記録[編集]
- 最長キャリア首位獲得記録数:45年9か月(歴代1位・2024年4月現在)[521]
- 映像3部門同時連続1位獲得作品数:5作(歴代4位・2024年4月現在)[521]
- 5つの年代(西暦)で首位獲得:1980年代 - 2020年代(歴代1位・2024年現在)[521]
- 1980年代:『女神達への情歌 (報道されないY型の彼方へ)』
- 1990年代:『歌う日本シリーズ 1992〜1993 LIVE at YOKOHAMA ARENA 29th Dec.1992』
- 2000年代:『FILM KILLER STREET (Director's Cut) & LIVE at TOKYO DOME』『真夏の大感謝祭 LIVE』
- 2010年代:『SUPER SUMMER LIVE 2013 「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!」 胸熱完全版』『おいしい葡萄の旅ライブ –at DOME & 日本武道館-』『LIVE TOUR 2019 “キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!” だと!? ふざけるな!!』『21世紀の音楽異端児 (21st Century Southern All Stars Music Videos)』
- 2020年代:『茅ヶ崎ライブ2023』
ザ・ベストテン[編集]
- 16週以上ベストテン入りした曲:4位タイ「いとしのエリー」
- 100週以上ベストテン入りした歌手:歴代9位(120週)
- 10曲以上ベストテン入りした歌手:歴代13位タイ(14曲)
- 10週以上第1位を獲得した歌手:歴代9位(14週)
- 3曲以上第1位を獲得した歌手:歴代8位タイ(4曲)
ストリーミング認定[編集]
2019年12月20日、各配信サイトにてこれまでの全シングル・アルバムのサブスクリプション配信が開始した。日本レコード協会でストリーミング認定された楽曲は下記の通り[522]。
曲名 | 認定 |
---|---|
「TSUNAMI」 | シルバー認定(2021年6月) |
ゴールド認定(2022年2月) | |
プラチナ認定(2023年7月) | |
「真夏の果実」 | シルバー認定(2021年10月) |
ゴールド認定(2022年8月) | |
プラチナ認定(2024年1月) | |
「涙のキッス」 | ゴールド認定(2023年10月) |
「LOVE AFFAIR 〜秘密のデート」 | ゴールド認定(2024年1月) |
「いとしのエリー」 | ゴールド認定(2024年4月) |
作品[編集]
シングル
- 1978年: 勝手にシンドバッド
- 1978年: 気分しだいで責めないで
- 1979年: いとしのエリー
- 1979年: 思い過ごしも恋のうち
- 1979年: C調言葉に御用心
- 1980年: 涙のアベニュー
- 1980年: 恋するマンスリー・デイ
- 1980年: いなせなロコモーション
- 1980年: ジャズマン (JAZZ MAN)
- 1980年: わすれじのレイド・バック
- 1980年: シャ・ラ・ラ/ごめんねチャーリー
- 1981年: Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)
- 1981年: 栞のテーマ
- 1982年: チャコの海岸物語
- 1982年: 匂艶 THE NIGHT CLUB
- 1982年: Ya Ya (あの時代を忘れない)
- 1983年: ボディ・スペシャル II (BODY SPECIAL)
- 1983年: EMANON
- 1983年: 東京シャッフル
- 1984年: ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY)
- 1984年: Tarako
- 1985年: Bye Bye My Love (U are the one)
- 1985年: メロディ (Melody)
- 1988年: みんなのうた
- 1989年: 女神達への情歌 (報道されないY型の彼方へ)
- 1989年: さよならベイビー
- 1989年: フリフリ'65
- 1990年: 真夏の果実
- 1991年: ネオ・ブラボー!!
- 1992年: シュラバ★ラ★バンバ SHULABA-LA-BAMBA
- 1992年: 涙のキッス
- 1993年: エロティカ・セブン EROTICA SEVEN
- 1993年: 素敵なバーディー (NO NO BIRDY)
- 1993年: クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)
- 1995年: マンピーのG★SPOT
- 1995年: あなただけを 〜Summer Heartbreak〜
- 1996年: 愛の言霊 〜Spiritual Message〜
- 1996年: 太陽は罪な奴
- 1997年: 01MESSENGER 〜電子狂の詩〜
- 1997年: BLUE HEAVEN
- 1998年: LOVE AFFAIR 〜秘密のデート
- 1998年: PARADISE
- 1999年: イエローマン 〜星の王子様〜
- 2000年: TSUNAMI
- 2000年: HOTEL PACIFIC
- 2000年: この青い空、みどり 〜BLUE IN GREEN〜
- 2003年: 涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜
- 2004年: 彩 〜Aja〜
- 2004年: 君こそスターだ/夢に消えたジュリア
- 2004年: 愛と欲望の日々/LONELY WOMAN
- 2005年: BOHBO No.5/神の島遥か国
- 2006年: DIRTY OLD MAN 〜さらば夏よ〜
- 2008年: I AM YOUR SINGER
- 2013年: ピースとハイライト
- 2014年: 東京VICTORY
配信シングル
- 2018年: 闘う戦士たちへ愛を込めて
- 2018年: 壮年JUMP
- 2019年: 愛はスローにちょっとずつ
- 2023年: 盆ギリ恋歌
- 2023年: 歌えニッポンの空
- 2023年: Relay〜杜の詩
オリジナル・アルバム
- 1978年: 熱い胸さわぎ
- 1979年: 10ナンバーズ・からっと
- 1980年: タイニイ・バブルス
- 1981年: ステレオ太陽族
- 1982年: NUDE MAN
- 1983年: 綺麗
- 1984年: 人気者で行こう
- 1985年: KAMAKURA
- 1990年: Southern All Stars
- 1990年: 稲村ジェーン
- 1992年: 世に万葉の花が咲くなり
- 1996年: Young Love
- 1998年: さくら
- 2005年: キラーストリート
- 2015年: 葡萄
ライブ・コンサートツアー[編集]
年 | タイトル | 公演日・会場 |
---|---|---|
1978年 - 1979年 | サザンオールスターズデビューコンサート「胸さわぎ」 |
全9公演 1978年 |
1979年 | 春五十番コンサート |
全50公演 3月20日 平塚市民センター |
Further on up the road |
全42公演 9月22日 埼玉会館 | |
1980年 | サザンオールスターズがやってくる ニャー! ニャー! ニャー! |
全40公演 7月19日 田園コロシアム |
ゆく年・くる年コンサート | ||
1981年 | そちらにおうかがいしてもよろしいですか? |
全40公演 7月4日 茅ヶ崎市民文化会館 |
1982年 | 愛で金魚が救えるか? サザンオールスターズ Paa Pooツアー '82 |
全9公演 1月9日 福岡サンパレス |
1982年 - 1983年 | 青年サザンのふらちな社会学 ツアー THE NUDE MAN |
全57公演 1982年 |
1983年 - 1984年 | SASたいした発表会 私は騙された!!ツアー '83〜'84 |
全49公演 1983年 |
1984年 | 少年マガジンプレゼンツ 熱帯絶命!ツアー夏 「出席とります」 |
全6公演 7月20日 横浜スタジアム |
1984年 - 1985年 | 大衆音楽取締法違反 "やっぱりアイツはクロだった!" 実刑判決2月まで |
全50公演 1984年 |
1984年 | 縁起者で行こう | 12月31日 新宿コマ劇場 |
1985年 | 富士通スペシャル KAMAKURA TO SENEGAL SOUTHERN ALL STARS avec TOURÉ KUNDA |
|
1988年 | NISSEKI SUPER LIVE 100 真夏の夜の夢 サザンオールスターズプレゼンツ 1988大復活祭 |
全20公演 7月26日 西武ライオンズ球場 |
1989年 | サザンオールスターズ ハッピーニューイヤーズ'イブ いっちゃエ!'89 サザンde'90 | 12月31日 横浜アリーナ |
1990年 | Panasonic Cheers!! Southern All Stars Concert Tour 1990 夢で逢いまSHOW |
全27公演 2月28日 横浜アリーナ |
恒例!年越しライブ サザンオールスターズ 歌うサザンに福来たる | 12月31日 横浜アリーナ | |
1991年 | WOWOW MEETS Southern All Stars THE 音楽祭 1991 |
全10公演 8月14日 ナゴヤ球場 |
Coca-Cola Special サザンオールスターズ 闘魂!! ブラディ・ファイト 年越しLIVE |
全3公演 12月29日 横浜アリーナ | |
1992年 | 南天群星 北京で逢いましょう | |
1992年 - 1993年 | NTT DoCoMo PRESENTS サザンオールスターズ コンサートツアー "歌う日本シリーズ 1992〜1993" |
全40公演 1992年 |
1993年 - 1994年 | Victor PRESENTS サザンオールスターズ1993年末スペシャル 「しじみのお味噌汁」コンサート |
|
1995年 | サザンオールスターズ スーパー・ライブ・イン・横浜 ホタル・カリフォルニア |
全2公演 8月5日 横浜みなとみらい21 臨港パーク |
1996年 | KIRIN LAGER PRESENTS サザンオールスターズ スタジアムツアー 1996 「ザ・ガールズ万座ビーチ」 |
全15公演 8月4日 つま恋多目的広場 |
SOUTHERN ALL STARS 1996 年越しライブ in 横浜アリーナ 「牛」 |
全3公演 12月28日 横浜アリーナ | |
1997年 | サザンオールスターズ 年越しライブ 1997 「おっぱいなんてプー」 |
全4公演 12月27日 横浜アリーナ |
1998年 | 1998年 夏 サザンオールスターズ スーパーライブ in 渚園 "モロ出し祭り 〜過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ〜" | |
1999年 | 三菱電機 DIGITAL FESTA サザンオールスターズ 1999 「 |
全22公演 3月24日 宮城県総合運動公園総合体育館 |
サザンオールスターズ・シークレットライブ '99 SAS事件簿 in 歌舞伎町 |
全2公演 9月26日 LIQUIDROOM | |
SAISON CARD PRESENTS サザンオールスターズ 年越しLIVE 1999 「晴れ着 DE ポン」 |
全4公演 12月27日 横浜アリーナ | |
2000年 | サザンオールスターズ 茅ヶ崎ライブ |
全2公演 8月19日 茅ヶ崎公園野球場 |
サザンオールスターズ 年越しライブ '00-'01 「ゴン太君のつどい」 |
全4公演 12月27日 横浜アリーナ | |
2003年 | SAS応援団 presents サザンオールスターズ SUMMER LIVE 2003 「流石(SASが)だ真夏ツアー! あっっ!生。だが、SAS! 〜カーニバル出るバニーか!?〜」 ファンクラブ・スペシャルライブ |
全4公演 7月28日 Zepp Fukuoka |
JAL presents サザンオールスターズ SUMMER LIVE 2003 「流石(SASが)だ真夏ツアー! あっっ!生。だが、SAS! 〜カーニバル出るバニーか!?〜」 supported by WOWOW |
全6公演 8月16日 名古屋市国際展示場 特設野外ステージ | |
特別公演 サザンオールスターズ SUMMER LIVE 2003 「流石(SASが)だ真夏ツアー! あっっ!生。だが、SAS! 〜カーニバル出るバニーか!?〜」 in OKINAWA |
全2公演 9月6日 宜野湾海浜公園 野外劇場 | |
2004年 | SAS応援団 presents サザンオールスターズ 真夏の夜の生ライブ 〜海の日スペシャル〜 |
7月18日 ディファ有明 |
サザンオールスターズ 年越しライブ 2004-2005 「暮れのサナカ」 |
全4公演 12月27日 横浜アリーナ | |
2005年 | TOYOTA presents SOUTHERN ALL STARS Live Tour 2005 みんなが好きです! supported by RUSS-K |
全21公演 10月13日 広島文化学園HBGホール |
2008年 | au by KDDI presents サザンオールスターズ 「真夏の大感謝祭」 30周年記念LIVE supported by WOWOW |
全4公演 8月16日 日産スタジアム |
2013年 | WOWOW presents サザンオールスターズ SUPER SUMMER LIVE 2013 「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!」 supported by Volkswagen Golf |
全9公演 8月10日 日産スタジアム |
2014年 | サザンオールスターズ 年越しライブ2014 「ひつじだよ!全員集合!」 |
全4公演 12月27日 横浜アリーナ |
2015年 | WOWOW presents サザンオールスターズ LIVE TOUR 2015 「おいしい葡萄の旅」 |
全23公演 4月11日 愛媛県武道館 |
2018年 | サザンオールスターズ キックオフライブ 2018「ちょっとエッチなラララのおじさん」 |
全2公演 6月25日 NHKホール |
2019年 | WOWOW presents サザンオールスターズ LIVE TOUR 2019 「“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!”だと!? ふざけるな!!」 supported by 三ツ矢サイダー |
全22公演 3月30日 セキスイハイムスーパーアリーナ |
2020年 | サザンオールスターズ 特別ライブ 2020 「Keep Smilin' 〜皆さん、ありがとうございます!!〜」 | 6月25日 横浜アリーナ(配信ライブ) |
サザンオールスターズ ほぼほぼ年越しライブ 2020 「Keep Smilin' 〜皆さん、お疲れ様でした!! 嵐を呼ぶマンピー!!〜」 supported by SOMPOグループ |
12月31日 横浜アリーナ(配信ライブ) | |
2023年 | サザンオールスターズ 「茅ヶ崎ライブ2023」 powered by ユニクロ |
全4公演 9月27日 茅ヶ崎公園野球場 |
その他イベント[編集]
年 | タイトル | 公演日[注釈 80]・会場 |
---|---|---|
1976年 | Better Days第2回定例コンサート[注釈 81] | 目黒区民センター |
1977年 | East West'77 | 中野サンプラザ |
1978年 | Live at 日立Lo-Dプラザ | 2月11日 日立Lo-Dプラザ |
学園祭コンサート |
全17公演 大学17か所 | |
1979年 | JAPAN JAM[注釈 82] |
全3公演 8月4日 江の島特設会場 |
グンゼ・ニューミュージック共和国[注釈 83] | 10月11日 東京郵便貯金会館 | |
1980年 | JAPAN JAM 2 |
全2公演 8月16日 横浜スタジアム |
1982年 | ALL THAT サザンオールスターズ | 3月5日 大阪厚生年金会館 |
FM長崎開局記念コンサート | 10月上旬 長崎市公会堂 | |
1983年 | オールナイトニッポンスーパーフェス'83 ASAHI BEER JAM | 7月24日 西武ライオンズ球場 |
NAGOYA SUMMER JAM '83 | 7月29日 ナゴヤ球場 | |
'83 JAM JAM スーパーロック・フェス | 7月30日 大阪南港フェリーターミナル前広場 | |
北海道スーパー・ジャム '83 | 8月6日 真駒内屋外競技場 | |
年越しライブ「俺たち今年も縁起者!」[注釈 84] | 12月31日 渋谷ライブ・イン | |
1985年 | 国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW | 6月15日 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 |
1997年 | SOUTHERN ALL STARS SUMMER SPECIAL 01MESSAGE[注釈 85] | 8月24日 ビクタースタジオ |
1998年 | FINAL COUNTDOWN SESSION 「来ればわかる!!」 〜NISSIN POWER STATION〜 | 6月6日 日清パワーステーション |
2003年 | サザンオールスターズ SPECIAL LIVE IN 建長寺 | 6月28日 建長寺 |
2005年 | ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2005 | 8月7日 国営ひたち海浜公園 |
2006年 | THE 夢人島 Fes.2006 WOW!! 紅白! エンタのフレンドパーク Hey Hey ステーション …に泊まろう! |
全2公演 8月26日 浜名湖ガーデンパーク |
2018年 | ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2018 | 8月12日 国営ひたち海浜公園 |
出演[編集]
テレビ番組[編集]
●サザンの勝手にナイトあっ!う○こついてる︵1984年4月7日 - 9月、日本テレビ︶ - コント番組。三宅裕司ら劇団スーパー・エキセントリックシアターの劇団員と共演。[525][526] ●いい加減にします!︵1984年10月6日 - 1985年3月30日、日本テレビ︶ - 準レギュラー。上記の後身番組。ラジオ番組[編集]
●電撃わいどウルトラ放送局︵1979年4月 - 1980年3月、ラジオ関東︶CM[編集]
●メンバーが複数人出演のみ記載。出演年 | 企業名 | プロモーション商品など | テーマ |
---|---|---|---|
1979年 | 日清食品 | 日清焼そばU.F.O. | N/A |
1979年〜1980年 | ヤマザキビスケット | チップスター | N/A |
1980年 | アサヒ飲料 | 三ツ矢サイダー | N/A |
2017年 | 夏とサザンとサイダーと | ||
2018年 | 三ツ矢andサザン2018 | ||
1981年 | アシックス / モンクレール | ダウンジャケット | N/A |
1982年 | 日産自動車 | パルサー | N/A |
1982年 | 松下電器 (現:パナソニック) |
ヘッドホンステレオ World Way | N/A |
1985年 | TDK[注釈 86] | カセットテープ AD | N/A |
富士通 | 富士通テレフォン | N/A | |
大塚製薬[注釈 86] | オロナミンCドリンク | N/A | |
1992年 | NTTドコモ[注釈 87] | N/A | N/A |
1996年 | 麒麟麦酒 | ラガー | N/A |
1998年 | 三菱電機 | Pedion | N/A |
2003年 | 日本航空 | N/A | FLY! JAL! '03 |
2004年 | N/A | FLY! JAL! '04 Spring、FLY! JAL! '04 Summer | |
2004年〜2006年 | トヨタ自動車 | N/A | MORE THAN BEST |
2008年 | 資生堂 | N/A | サマーキャンペーン |
KDDI | au LISMO | 「LISMO Recommend サザンオールスターズ」キャンペーン | |
2013年 | フォルクスワーゲン | ゴルフ | N/A |
三井住友銀行 | N/A | NEVER STOP CHANGING | |
2015年 | WOWOW | N/A | N/A |
2023年 | ユニクロ[527] | ヒートテック | N/A |
NHK紅白歌合戦出場歴[編集]
年度 | 放送回 | 回 | 曲目 | 出演順[注釈 88] | 対戦相手 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1979年 | 第30回 | 初 | いとしのエリー | 7/23 | 大橋純子 | |
1982年 | 第33回 | 2 | チャコの海岸物語 | 7/22 | Sugar | |
1983年 | 第34回 | 3 | 東京シャッフル | 15/21 | 青江三奈 | |
2014年 | 第65回 | 4 | ピースとハイライト〜東京VICTORY | 特別企画 | (対戦相手なし) | トリ前、シークレットゲスト |
2018年 | 第69回 | 5[注釈 89] | 希望の轍〜勝手にシンドバッド | 特別企画 | (対戦相手なし) | 「究極の大トリ」 |
関連書籍[編集]
- 『勝手にシンドブック』(ベップ出版、1979年)
- 『ただの歌詩じゃねえか、こんなもん』(桑田佳祐著、エッセイつき歌詞集、新潮社、1984年) ISBN 4-10-135301-8
- 『ケースケランド』(桑田佳祐著、集英社、1984年) ISBN 4-08-780079-2
- 『ロックの子』(桑田佳祐著、インタビュー構成萩原健太、講談社文庫、1987年) ISBN 4-06-184043-6
- 『ブルーノート・スケール』(桑田佳祐著、ロッキング・オン、1987年) ISBN 4-947599-13-8
- 『ただの歌詩じゃねえか、こんなもん'84-'90』(桑田佳祐著、上記の同名作品の続編、新潮社、1990年) ISBN 4-10-135302-6
- 『突然ですがキリギリス―サザンオールスターズ音楽青春物語』(関口和之著、集英社文庫、1991年) ISBN 4-08-749719-4
- 『娘心にブルースを』(原由子著、ソニーマガジンズ、1998年) ISBN 4-7897-1284-2
- 『地球音楽ライブラリー サザンオールスターズ』(萩原健太・大畑幸子・太田綾子・佐伯明・前田祥丈著、株式会社アミューズ監修、TOKYO FM出版、1999年) ISBN 4-88745-034-6
- 『地球音楽ライブラリー サザンオールスターズ 改訂版』(株式会社アミューズ監修、上記の同名作品に新作などを追加した新装版、TOKYO FM出版、2005年) ISBN 4-88745-135-0
- 『クワタを聴け!』(中山康樹著、集英社新書、2007年) ISBN 4-08-720380-8
- 『やっぱり、ただの歌詩じゃねえか、こんなもん 桑田佳祐 言の葉大全集』(桑田佳祐著、上記の同名作品の続々編、新潮社、2012年)ISBN 978-4-10-332831-5
- 『サザンオールスターズ 1978-1985』(スージー鈴木著、2017年、新潮新書)ISBN 978-4106107245
- 『サザンオールスターズ公式データブック 1978-2019』(株式会社リットーミュージック出版、2019年)ISBN 978-4-8456-3361-6
- 『桑田佳祐論』(スージー鈴木著、2022年、新潮新書)ISBN 4106109549
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
●桑田佳祐﹃ただの歌詩じゃねえか、こんなもん﹄新潮社、1984年5月。ISBN 978-4101353012。 ●桑田佳祐﹃ポップス歌手の耐えられない軽さ﹄文藝春秋、2021年10月。ISBN 978-4163914497。関連項目[編集]
サポートメンバー、関係者[編集]
- キーボード・ピアノ・シンセサイザー
- 奥慶一・国本佳宏・小林武史・藤井丈司・門倉聡・曽我淳一
- ギター
- 小倉博和・佐橋佳幸・斎藤誠
- ベース
- 根岸孝旨・美久月千晴
- パーカッション
- 三沢またろう
- コーラス
- EPO・平松八千代・清水美恵・佐藤嘉風・TIGER
- ブラス・ホーン・ストリングス
- スペクトラム (日本のバンド)・新田一郎 (ミュージシャン)・山本拓夫・村田陽一・金原千恵子
- アレンジャー
- 八木正生・桑野聖・中西俊博・宮川泰・島健
- その他
- Z団・小林克也・萩原健太・トミー・スナイダー・岩本えり子・宮治淳一・中西正樹
映画・ドラマ[編集]
会社・その他[編集]
- JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント
- アミューズ
- タイシタレーベル - SPEEDSTAR RECORDS内のプライベートレーベル。
- サザン通り商店街
- サザンビーチちがさき
- 茅ヶ崎サザン芸術花火
- 1978年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手
外部リンク[編集]
- SOUTHERN ALL STARS OFFICIAL SITE
- サザンオールスターズ応援団 - ファンクラブ会員サイト
- サザンオールスターズ - アミューズ
- サザンオールスターズ - YouTubeチャンネル