Wikipedia:井戸端/subj/調査投票を多数決として編集決定に用いようとすることについて
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調査投票を多数決として編集決定に用いようとすることについて
Wikipedia:調査投票の方法には﹁ウィキペディアは多数決主義ではありません。合意点を見つける主要な方法は議論であって、投票(vote)ではありません︵投票が全てではないを参照︶。解決が困難な場合には、調査投票が合意形成の補助として行われるかもしれません。しかし、その場合も投票結果が決定と見なされないように、注意して使う必要があります。﹂とあるのにもかかわらず、それに真っ向から反する、﹁票数の多い方を項目名として採用します。﹂という投票がノート:アイスレーベンで行われようとしています。このようなことは不適当と考えますが、皆様はいかがお考えでしょうか。なお、ノート:アイスレーベン/改名議論#投票開始の提案で事前にも反対を表明しており、決して合意にもとづく投票ではありません。--T6n8︵会話︶ 2015年7月14日 (火) 13:00 (UTC)
議論に基づく合意形成が困難な場合には、誰かがいつまでも﹁こんなのは認めない﹂と主張し続けることになるのは仕方のない……むしろ︵合意形成が無理というほどの事態なのですから︶当然のことです。議論による解決がもはや非現実的となれば投票も仕方ありませんし、彼らに投票をさせることになった責任の一端は議論の参加者であるT6n8さんにもあるのです。投票が嫌だとゴネる暇があるのでしたら、全員︵または過半数︶を説得できる素晴らしい解決策なり演説でも考えてください。--Hisagi︵会話︶ 2015年7月14日 (火) 13:26 (UTC)
コメント - 方針・ガイドラインの類ではWP:NOTDEMOCRACYという考えがある一方で、WP:DRでは︵合意形成の次の段階として︶投票というステップを設けています。私個人は︵説得が下手な割に︶投票という手段について否定的で、相手が許す限りはあえて投票を避けてグダグダやったりするのですが、どこまで合意形成のステップで頑張るかは人それぞれでしょう︵各人の許容範囲および議論の状況次第︶。過去の実績から言っても、合意形成が難しい際の手段の一つとして投票という方法で解決を図る時があることは確かです︵Wikipedia:投票#過去に実施された投票のリンク先を参照︶。
井戸端では過去にも同種の話題が出ていますので、Category:井戸端の話題/投票やCategory:井戸端の話題/合意形成あたりも参考になると思います︵特にWikipedia:井戸端/subj/投票と合意形成、Wikipedia:井戸端/subj/投票の拘束力、Wikipedia:井戸端/subj/ウィキペディアは多数決主義?あたり︶。--ButuCC+Mtp 2015年7月14日 (火) 18:08 (UTC)
コメント 既に、記事名の移動の差し戻しのような過激な行動を取りWikipedia:コメント依頼/T6n8その2#第3者コメントで厳しい指摘を諸兄から受け、その後も問題解決のため皆で膨大な労力を費やし9か月もノートで議論を続けても、実は合意形成する意志など最初から一切無かった事をノート:アイスレーベン/改名議論#解決へ向けてで表明したT6n8さんが、まだ議論が尽くされていないと主張するのですか。﹁合意点を見つける主要な方法は議論﹂の意義を完全に否定したのはT6n8さんではありませんか。相手を疲弊させ議論断念に追い込んで思い通りにするのが目的だったなら、その手に載るわけにもいきません。
T6n8さんが投票を認めないといった行動に出るのは予想通りです。移動の差し戻しをしたのは、いったん改名されてしまえば﹃アイスレーベン﹄への再改名の合意が取れる見込みが無いので既成事実作り、改名議論中も﹃ルターシュタット・アイスレーベン﹄の方が優勢で強硬に反対しているのは実質T6n8さん一人、投票にも調査投票にもT6n8さん一人が絶対反対、仕切りなおして意見表明期間中も﹃ルターシュタット・アイスレーベン﹄の方が有利、これで投票となれば改名となる公算が高い、だからどんな手段を使ってでも改名阻止するためには、投票に反対するしかない。いったい、ドイツPJは簡単なドイツ語の記事ひとつ翻訳できないT6n8さんが独裁する場でしょうか。
ところで7月14日13:26にHisagi さんにここで指摘を受けた約3時間後、14日16:15(UTC)に202.224.70.140で意見表明がなされました。意見表明期間経過後の書き込みとして除去されていますが、非常に特徴的な意見でした。
●過去に活動履歴なし、いきなりややこしい議論に参入。
●常人にはすべてを読んで理解しろというのも苦痛な長さの過去議論にも精通しており、議論に参加していた誰かとしか思えない。
●Wikipedia のルールに関してトップレベルの知識がある。有力執筆者でも普通はここまでは知らず、いかにも﹁ルールを盾にした議論を中心に活動している利用者﹂による意見。
●﹁当方は地図地名事典の類で用例が多くその他の調査でも冠無しが多かった﹂という文面ですが
●一人称に﹁当方﹂を使う
●日本語資料に基づく用例を調査済
●曖昧さ回避にも反論している (T6n8 さんは改名阻止を目的に曖昧さ回避のページを書き換えた実績あり)
こうなりますと、以前の議論でもノート:アイスレーベン/改名議論#T6n8さんはIPでも書いていますか?と尋ねているのですが、未だ回答は頂いておりませんが、今回も﹁T6n8さんはログアウトしてIPでも意見表明しましたか?﹂と尋ねた方が良さそうですね。通りすがりの人間が﹁投票か。自分も何か役立てば﹂と興味を持って書いていったというレベルの内容ではなく、むしろ﹁これを T6n8 さん以外の誰が書けるのか﹂というレベル。とりわけ、すぐに日本語資料から用例を示して意見を言えるのが特徴的です。
なお以前の議論は過去ログ化されましたが、編集はすべての利用者に許可されていますし、﹁投票﹂の説明に﹁投票に際してはノート:アイスレーベン/改名議論およびこのページの上記の#意見表明のいずれか、または両方を参考にして下さい。﹂と汲平さんが明記しているので、T6n8 さんも﹁ノート:アイスレーベン/改名議論﹂で存分に、素晴らしい解決策・演説を書き加える事ができますし、それが投票に際して参考とされ行動に影響を与える事もあるでしょう。--114.181.36.77 2015年7月15日 (水) 04:08 (UTC)
反論はありますがノートへしときます。--202.224.70.140 2015年7月16日 (木) 03:11 (UTC)
コメントコメント依頼が出ていた時に見た限りですと確か﹁正式名称vs用例の多い方﹂という論争であり、互いに﹁用例が少ない/正式名称ではない﹂という反論自体は無かったものと考えます。つまり互いに相手の主張の根拠を認めていて且つ互いの価値観の相違に基づいた﹁優先順位の相違﹂により意見が分かれているだけの状態でした。それは既に議論が尽きている状態であり、新たな論点が出ない限り続けても互いに自己の主張の根拠を繰り返し述べるだけの水掛け論にしかならない状態です。しかも今見ると水掛け論が高じて個人攻撃にまで至っている様子。流石に此処まで事態が発展しているのなら多数決も已む無しなのではないでしょうかね。
ただ、今見たら﹁用例が多い﹂に対して﹁相対的に多いだけで絶対数は少ない︵=定訳となるほどではない︶﹂という反論がされていますね。これはどちらかと言うと、﹁用例が多い﹂のが事実ならば当然にそちらの方が多数派から支持されるはずですので、寧ろ逆に積極的に多数決に賛成するはずのところではないかと考えます。﹁空論を弄して自説を曲げない輩に現実を思い知らせてやる﹂ぐらいの勢いで。それが井戸端にまでやってきて﹁ウィキペディアは多数決ではない﹂と唱えるのは少々不自然に思えます。
さて、私の意見ですが。一般に多数決が不適切であることには異論はありません。ですが一般的ではない状況下では適切な場合もあると考えます。﹁一般的ではない状況下﹂とは幾つかあり、理想的なそれは議論が尽きて﹁互いに相手の主張の根拠を正しいと認めた上で互いに反対している場合﹂であり、不本意なそれの一つとして﹁合意を形成する意思の無い議論参加者が居る場合﹂があると考えます。
wikipediaは、圧倒的大多数である閲覧者の為の百科事典です。圧倒的大多数が良く知っている表記方法でないのならば、調べる過程で明らかとなるであろう正式名称を用いることに妥当性があります。ですがきっとその多数決で﹁圧倒的大多数が良く知っている表記方法﹂であることが明らかとなるでしょう。そうなれば正式名称派だって再考するものと考えます、本当に﹁用例が百科事典の記事名として適切であるほどに多い﹂のであれば、ですが。
世界最狂の魔法使いCray-G︵会話︶ 2015年7月15日 (水) 05:05 (UTC)
●まーうっかりUTCとJST勘違いして大ポカしてしまったんですけどね、結局コメントしたとおり最終的には個人の好みなんですよ、あたしゃ正式名称も通称もどちらでもOKと考えてるけど検索結果やら旅行書やら地図やら世界遺産での扱いやら見て﹁ある程度用例があり通称のほうがかなり優位なら通称でかまわんのではないか﹂って考える、ただメジャーな地名じゃないから正式名称選ぶってのもわからんでもないです︵メジャーマイナーで決めるのはどうかという疑問はさておき︶。一言いうとすればこーいうどちらがベターか決める案件でどちらかがベストと言ってしまうのはバランス感覚が危ういです、考え方の固執はいずれ︵現状で︶衝突をおこすもととなるだけです。おにーさんは投票否定する精神も自分がIPで活動しながら他のIPが出てくると靴下疑う精神も、もーこれナニヲ考エテイルノカワカラナイです。--202.224.70.140 2015年7月15日 (水) 05:57 (UTC)
●投票を提案し、事実上作業を行っている 汲平︵会話︶です。言いたいことは山ほどありますが、すでに皆様からのコメントにある通りで多言は要しないように思います。T6n8さんが何の議論もなく﹁ルターシュタット・アイスレーベン﹂から﹁アイスレーベン﹂に強引な移動を行って以後9か月の間議論を眺めておりましたが、議論は膠着し、双方新たな論拠を示すこともできず、最後には議論の体を成さなくなっていました。みかねて折衷案を提案しましたが、これも否定されました。投票が好ましい方法ではないことは承知しておりますが、今回の提案はやむを得ない状況での提案でした。T6n8さんから投票に対しても、多数を結論とすることに対しても、確かに反対という言葉はうかがっておりますが、ではこの議論をどう収束させるつもりなのか、対案を頂戴することはできませんでした。事ここに至っては、Wikipedia:論争の解決 ステップ4投票の方法を採ることはやむを得ないと判断しました。--汲平︵会話︶ 2015年7月15日 (水) 11:35 (UTC)
●Wikipedia:論争の解決ステップ4投票の実施についてはやむを得ないと考えられるかもしれませんが、そこに書かれている﹁調査投票の方法の原則に従って﹂を無視していては、実質的にWikipedia:論争の解決ステップ4投票に従っていることにはならないというのが問題です。実際に多くの方の意見が出て来れば意義がありえますが、単に数名の賛成による多数であれば、それは腕ずくで解決するというのと変わりありません。また、汲平さんの当初提案では、投票期間は一ヶ月でしたが、特に短くすべきという議論があったわけでもないのに、投票開始にあたって、半分以下の14日間として投票を実施せんとしているのも﹁より広いユーザー、コミュニティから中立的な意見を頂戴すること﹂と整合しないです。これまでのところでは、新たにCaserioさんとXx kyousuke xさんの意見が出たという点では新たな意見の頂戴にある程度成功しているとも評価できますが、多数決に妥当性が生じるわけではありません。--T6n8︵会話︶ 2015年7月16日 (木) 10:08 (UTC)
一ヶ月でも二週間でも大差は出ないとおもいますがね。そもそも脱線に脱線を繰り返しているんだから改名賛成派にしろ維持派にしろ一度論点整理して仕切りなおして賛意反意まとめるぐらいはしておけと思います。何度も繰り返しますが結局は方針上グレーゾーンな案件でどちらにもある程度の妥当性があり絶対的な同意は得られない案件なので投票もやむなしです、ゴルディアスの結び目のごとく性急な解法ですがね。--202.224.70.140 2015年7月16日 (木) 11:36 (UTC)
Wikipedia:調査投票の方法#調査投票の手順の2.には予め決定するべき項目として﹁投票結果の集計方法は?︵最多数をとったものを選ぶか、3分の2以上などのラインを設定するか︶﹂とあり、多数決は完全に否定されているものではありません。私も投票がベストな方法とは思っておりません。上記の通りやむを得ない方法であると自覚しています。投票での多数決に不満であれば、どのようにこの議論を収束させるつもりなのか対案をお示し下さい。投票期間については完全な私のミスです。申し訳ありません。修正して参ります。--汲平︵会話︶ 2015年7月16日 (木) 11:41 (UTC)
●Wikipedia:論争の解決のために、投票は正当な手段として認められています。論争の相手との話し合いや、第三者の議論も尽くされていますから、ノート:アイスレーベンについて、議論を尽くしても合意に至るのが難しい場合に該当するでしょう。投票のステップに進むのは妥当です。--ぽてから︵会話︶ 2015年7月16日 (木) 01:05 (UTC)
●意思決定は合意形成による、とはその通り。しかし、合意形成はゴネ得のことではないし、妥協案や歩み寄りが示されても対案を示すでもなしに反対しか言わず、つまりは合意形成に協力する意思のないギロン参加者がいる以上、不必要なコミュニティの消耗を避けるためにも投票は正当です。思い返せば、ゴネ得を目指した輩ばかりが跋扈したあげくに何万バイトもの容量のノートが形成され、それでいて記事に寄与するところがゼロであった、どこぞのノートみたいなのがまともであるはずがないでしょうが。件のノートよろしく、目的外利用者と靴下が沸いてくる異常事態をまねくより、よほど正常な運営というものでしょう。だいたい記事の改名・移動にあたって、通常とるべき提案も合意形成もなしに独断専行をした利用者が合意形成軽視といって他の利用者を批判するのは、矛盾とかなんとかの域をこえて滑稽というものでしょう。--ikedat76︵会話︶ 2015年7月16日 (木) 12:00 (UTC)--ikedat76︵会話︶ 2015年7月16日 (木) 16:38 (UTC)
●上で述べている方々といくらか被りますが、確かに多数決では押し切るのは一般論として好ましくありませんが、少数者のゴネ得を許すというのはそれはそれで違うと思います。そのようなゴリ押しではない、というのであれば議論終息のための代案が示されるべきでしょうが、それが無いのであれば、投票をもって決めるというのは止むを得ないように思います。そもそもノート:アイスレーベン#意見表明を拝見する限り、ほとんど孤軍奮闘にしか見えなかった﹁アイスレーベン﹂側を支持する意見が複数ついており、その限りでは新しい事態の動きはどちらか一方だけを利する形ではないように見えます。しかし、そのように事態が動いてもなお﹁ルターシュタット・アイスレーベン﹂を支持する側が多数となるのであれば、それを受け入れるのが筋ではないでしょうか。というか、その流れで多数意見を覆して少数意見の側を結論として押し通す︵あるいは代案のないままダラダラと議論を続け、結果的に少数意見の側のみを一方的に利する状態で固定する︶ことにいかなる正当性を見出しうるのか、少なくとも私には根拠が思いつきません。--Sumaru︵会話︶ 2015年7月16日 (木) 15:29 (UTC)
●投票で決めるべきではないです。
●︵不満を述べている御当人の意見と重なりますが︶﹁多数決主義ではない﹂と前置きしつつ、揉めに揉めた場合には最後の手段として︵少数の一方が是認しない︶投票に頼るというのであれば、それは多数決主義であることと結局なにが違うのでしょうか。﹁多数決主義でない﹂とは、要するに意見表明者の夥多で意見の妥当性を決定しないということです。同意見の者がより多くいるということは、他の利用者が意見の妥当性を勘案する材料の一つにはなるでしょうが、それ以上のものとして取り扱うべきではありません。﹁解決が困難な場合には、調査投票が合意形成の補助として行われるかもしれません。しかし、その場合も投票結果が決定と見なされないように、注意して使う必要があります。﹂と、Wikipedia:調査投票の方法に非常に慎重な書かれ方がされていること、Wikipedia:論争の解決の﹁ステップ4: 投票﹂は﹁調査投票の原則に従って﹂と書かれていることにもっと留意すべきです。
●﹁少数者のゴネ得﹂という言い方が出ていますが、﹁多数決主義でない﹂というWikipediaの宣言を無視している・乃至軽視しているようにしか取れません。多数決主義でない以上、対立している意見の両陣営の意見は多数派か少数派かに関わらず、差し当たり同等と見なさなければなりません。両陣営がどちらも譲っていない以上、相手の説得に失敗してなお﹁ゴネ﹂ているのはどちらも同じなのです。一方がオルタナティブを提示し、もう一方が提示しなかった、ということから後者を問題視することも不当です。両者の意見が対称的な性質のものとは限らず、したがってオルタナティブが両者に公平であるとも限らなければ、両者の意見や考え方が同様にオルタナティブを提示できることが可能な性質のものとは限らないからです。﹁少数者のゴネ得﹂という言い回しは、こうしたバイアスを考慮せずに﹁少数派は譲るべき﹂という結論をひそかに先取していることを端的に示していると考えます。
●少数派の意見に問題があることをコミュニティとして認めるのであれば、その意見の前提や論理展開に無理があったり間違ったりしていることを指摘するという方法を取るべきです。﹁少数派﹂以外の誰もが彼らのそうした問題をはっきり認めているにも関わらず、ごく少数の当人だけがそれを認めていない、ということであれば、それは彼らが︵少なくともその議題に限っては︶排除される正当な理由を構成すると考えます。その場合も利用者コメント依頼などの手続きを取り慎重に議論しなければなりません。この件はその段階を経てそのような明確な合意が得られなかった、ということなのだと思いますが、それであればWikipedia:論争の解決に書かれているように、現時点では解決の方法はありません。問題・議論が起こる前の状態に記事を戻たうえで、︵議論に割かれるコミュニティのリソースを問題視するのであれば︶議論を停止して状況が変わるまで塩漬けにするのが最善です。
●今回の場合、上のようにすると少数派のT6n8さんに利する形になるのだと思いますが、これはたまたまであり、記事が最初に﹁ルターシュタット・アイスレーベン﹂だったのであればそちらのほうに戻すべき、ということになっていたでしょう。T6n8さんの改名差し戻しが強引であった、という意見が見られますが、反対意見が出ていたにも関わらず、その時点での相手の意見変化の有無を確認をせずに改名を実行したHTTHさん[1]にも同等の問題があり、この点どちらのほうがより問題であったか、といったことは問えないように思えます。結局のところ、照準に定めるべきは﹁記事の状態にとってどうか﹂なのであり、﹁あるWikipedia利用者にとって得か・損か﹂ではないはずです。この議論が非常に揉めているのは、魔法使いを自称している方が説明しているとおりなのであれば両者の意見の正当性が﹁記事の状態﹂という観点からは微差であることに起因していると思います。問題点が微差なのであれば、大多数の利用者や閲覧者にとってはどちらであろうと大きな問題は起こりません。それであれば少数の意見者のほうをゴネ得として排除する方はなく、﹁多数決主義ではない﹂という宣言を守る処置を取るべきです。--Toedlefts︵会話︶ 2015年7月16日 (木) 23:31 (UTC)
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