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ことわざパロディは、ことわざをもじって、面白く、可笑しくしたものである。
もともとがリズムを持った口調のよい言葉なので、その良さと言葉の置き換えによる意味の変化、あるいはその内容の変さが笑いに繋がる。漫才やコントで使われる他、新聞記事の見出し等に使われることもある。
﹁1960年代には日本のSF作家の間でも流行った﹂と筒井康隆が記しており、その時の産物のひとつ﹃狂気の沙汰も金次第﹄は彼の作品中にも何度か使われている。ちなみに、星新一のそれが秀逸であった由[1]。
2008年に発刊された文藝春秋の日本語特集号では、詩人の森真紀が創作したことわざパロディが紹介されている[2]。なお、森真紀はことわざパロディの専門書である﹃悪妻盆に帰らず﹄︵まどか出版、2004年︶、﹃日本語ごっこ﹄︵まどか出版、2005年︶も執筆している[2]。
ことわざパロディの例[編集]
※括弧内はもとになったことわざ
●天才は忘れた頃にやってくる・天災と逃げ馬は忘れた頃にやってくる︵天災は忘れた頃にやってくる︶[注 1]
●命あってのもの︵命あっての物種︶[注 2]
●損して徳とれ︵損して得とれ︶[注 3]
作品タイトルでは、﹃花より男子﹄︵花より団子︶、﹃渡る世間は鬼ばかり﹄︵渡る世間に鬼はなし︶などがある。
なお、厳密にはことわざパロディとは異なるが、たとえば﹁赤信号 みんなでわたればこわくない﹂︵ツービート︶[注 4]は標語の形を踏襲しつつ内容は異質な物である。ちなみに、これをさらにもじったものに﹃ひとりで渡ればあぶなくない﹄︵森毅の著書のタイトル。1989年、筑摩書房︶がある。
(一)^ 競馬の格言の一つでもある。一例:︻訃報︼サニーブライアン[リンク切れ] - 競馬サロン ◇ ケイバ茶論。
(二)^ パロディを本気で誤用する者もいる。﹁ものだね﹂で一つの単語である。
(三)^ もともとは、パロディのほうが元になっていたという説もある。経革広場[リンク切れ]
(四)^ 交通安全標語のパロディとなっている。ツービート﹃ツービートのわッ毒ガスだ―ただ今、バカウケの本﹄ベストセラーズ︵ワニの本︶、1980年、2-3頁。
- ^ 最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人(下)』(新潮文庫)、P.159~162
- ^ a b 森真紀「悪妻盆に返らず - ことわざパロディの愉しみ」『文藝春秋SPECIAL』季刊秋号2008年No.6、文藝春秋、116-117頁。