アウグステ・フォン・ヘッセン=カッセル
オーガスタ・オブ・ヘス=カッセル Augusta of Hesse-Kassel | |
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ケンブリッジ公爵夫人オーガスタ | |
出生 |
1797年7月25日 神聖ローマ帝国 ヘッセン=カッセル方伯領、カッセル、ルンペンハイム宮殿 |
死去 |
1889年4月6日(91歳没) イギリス、ロンドン、セント・ジェームズ宮殿 |
配偶者 | ケンブリッジ公アドルファス |
子女 |
ジョージ オーガスタ メアリー・アデレード |
家名 | ヘッセン=ルンペンハイム家 |
父親 | ヘッセン=カッセル=ルンペンハイム方伯フリードリヒ |
母親 | カロリーネ・ポリクセネ・フォン・ナッサウ=ウジンゲン |
アウグステ・フォン・ヘッセン=カッセル︵独‥Auguste Wilhelmina Louisa von Hessen-Kassel, 1797年7月25日 - 1889年4月6日︶は、イギリス王族・ケンブリッジ公アドルファス︵ジョージ3世の七男︶の妃。英語名オーガスタ・オブ・ヘス=カッセル︵Princess Augusta of Hesse-Kassel︶。
生涯[編集]
アウグステは、ヘッセン=カッセル=ルンペンハイム方伯フリードリヒと妃カロリーネ・ポリクセネ・フォン・ナッサウ=ウジンゲンの末娘として、カッセルのルンペンハイム宮殿で生まれた。 1818年5月7日、21歳のアウグステは、カッセルで又従兄にあたる43歳のケンブリッジ公アドルファスと結婚した。同年から1837年まで、ケンブリッジ公はハノーファー王国の副王に任命されたため、夫妻はハノーファーへ移り住んだ。アドルファスの姪にあたるヴィクトリアが即位した際、サリカ法を採るハノーファー王国は同君連合を解消し、アドルファスの兄カンバーランド公アーネスト・オーガスタスがハノーファー王エルンスト・アウグストとして即位した。そのため、夫妻はイギリスへ帰国した。一家は最初キューのケンブリッジ・コテージで暮らしたが、のちにセント・ジェームズ宮殿へ移り住んだ。子女[編集]
アウグステとアドルファスの間には3子が生まれた。
●ジョージ︵1819年 - 1904年︶ - ケンブリッジ公。サラ・フェアブラザーと貴賤結婚。
●オーガスタ︵1822年 - 1916年︶ - メクレンブルク=シュトレーリッツ大公フリードリヒ・ヴィルヘルムと結婚。
●メアリー・アデレード︵1833年 - 1897年︶ - テック公フランツ・パウルと結婚。ジョージ5世妃メアリー・オブ・テックら4子を生んだ。