アレクサンドル・スヴェチン
表示
アレクサンドル・アンドレーヴィッチ・スヴェチン︵ロシア語: Александр Андреевич Свечин、1878年8月17日 - 1938年7月29日︶は、ロシア帝国、ソビエト連邦の軍人。ロシア帝国軍時代は少将。
経歴[編集]
オデッサ出身。父は将軍。軍歴[編集]
●1897年 - ミハイロフ砲兵学校卒業 ●1903年 - 参謀本部アカデミー卒業 ●1904年~1905年 - 日露戦争に従軍 ●1905年~1914年 - 参謀本部と参謀本部総局で勤務 ●1914年 - 最高司令官本部附属委任将校 ●1915年 - 連隊長 ●1917年 - 師団長 ●1917年7月 - 第5軍参謀長 ●1917年9月 - 北部戦線参謀長赤軍[編集]
1918年3月から赤軍に入隊し、スモレンスク地区軍事指導官となった、1918年8月~11月、全ロシア参謀総長。1918年11月から労農赤軍参謀本部アカデミー︵後のフルンゼ軍事大学︶の教授。1918年~1921年の間、第一次世界大戦の経験研究に関する戦史委員会議長を兼任する。 1927年に上梓した﹃戦略﹄︵Стратегия︶において作戦術という概念を提唱しており、これは後の縦深戦略理論の礎となった[1][2]。 1938年の大粛清最中、ソビエト連邦最高裁判所で有罪判決を受ける。7月29日、モスクワ州コムナルカで射殺され、埋葬された。[3] 1956年9月8日に名誉回復。彼の名前はアレクサンドル・ソルジェニーツィンの連作小説﹃赤い車輪﹄にも登場する。出典[編集]
- ^ Angstrom & Widen 2021, pp. 87–94.
- ^ 葛原 2021, pp. 60–71.
- ^ “СВЕЧИН АЛЕКСАНДР АНДРЕЕВИЧ”. 2021年8月30日閲覧。