アーシューラー
アーシューラー︵アラビア語: عَاشُورَاء, ʿāshūrāʾ, アーシューラー(ッ)、ペルシア語: عاشورا, Âshurâ︶は、ヒジュラ暦︵イスラーム暦︶ムハッラム月︵1月︶10日を指すアラビア語由来の名称。
またそこから転じて、この日に行われる宗教行事を指す場合もある。
カルバラーの墓廟で追悼行事に参加する人々
イラク国内外からカルバラーに集まった信徒ら
一方、シーア派の信徒の間でアーシューラーはイマーム・︵アル=︶フサインが殉教した日として特に重要視されている。ムハンマドの死から50年後、ヒジュラ暦61年アーシューラーの日︵ユリウス暦680年10月1日︶に、初代イマームアリーと預言者の娘ファーティマの次男であり、シーア派の人々から第3代イマームとみなされる︵アル=︶フサインが、現在のイラク、カルバラー付近の戦場でウマイヤ朝の軍隊によって殺害された︵カルバラーの戦い︶。シーア派の説によれば、︵アル=︶フサインは、彼を指導者として推戴することを望むシーア派の人々の求めに応じ、父アリーの旧本拠地クーファに向かう途上、これを阻止しようとするウマイヤ朝カリフのヤズィード1世の手にかかって殺されたということになっている。このためシーア派の人々は、︵アル=︶フサインをウマイヤ朝の手にかけさせてしまったことを哀悼し、タアズィヤと呼ばれる殉教追悼行事を行うようになった。
アーシューラーのタアズィヤでは、︵アル=︶フサインの殉教を哀悼する詩の朗読や、殉教したときの様子を再現する宗教劇が上演され、人々は︵アル=︶フサインの死を大声で喚き、涙を流して嘆き悲しむ。さらに、︵アル=︶フサインの棺を模した神輿が担ぎ出されたり、人々が鎖で自分の体を鞭打って哀悼の意を表現するなど、熱狂的な儀礼が繰り広げられる。
宗教的な感情が最高潮を迎えるアーシューラーの日は、シーア派社会のエネルギーが爆発する日であり、イラン革命においてもアーシューラーの日に行われたデモが大きな影響力を持った。反権力闘争に繋がりかねないとして、湾岸諸国などスンナ派政府の国家では、当局によってアーシュラーが弾圧されることもある。