イェニチェリ

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鉄砲で武装したイェニチェリ。軽装で甲冑などは身につけず、腰にはヤタガンと呼ばれる刀を帯びている。

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関連作品[編集]

映画

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ イスラム法では本来奴隷はよそ者か戦争捕虜の異教徒に限られていたので、基本的に主人以外に地縁や血縁の後ろ盾がないことから主人に謀反を起こしにくいとされ、オスマン帝国に限らず、しばしばグラームマムルークといった奴隷(解放奴隷含む)による軍団が作られていた。(小笠原(2018)p.45-46
  2. ^ なお、本来のイスラム法は異教徒であっても自国の支配地域から奴隷を徴収は本来はよくない事であったが、オスマン帝国ではあまり守られていなかった。(小笠原(2018)p.69
  3. ^ ティマールは「定められた任地の税を取り立てそこの治安を守る」という仕組みのため、ティマールの任地の税収は国の懐に入らなかった。一方正規兵でもイェニチェリ、また非正規兵のレヴェント・セクバンという兵達は現金で給料をもらうので彼らが増加したことで政府は現金収入確保が必要になった。(小笠原(2018)p.161
  4. ^ ムスタファ1世が重祚で2回廃位されているので9人中5名。
  5. ^ オスマン帝国のシステム上、スルタンは男の皇族がいない場合は廃位させられない。

出典[編集]

  1. ^ a b c 林佳世子『オスマン帝国の時代』(世界史リブレット, 山川出版社, 1997年11月)、40-43頁
  2. ^ 小笠原(2018)p.170
  3. ^ 小笠原(2018)p.162
  4. ^ 小笠原(2018)p.172-173
  5. ^ 小笠原(2018)p.211-222、229・230
  6. ^ 小笠原(2018)p.230-232

参考文献[編集]

  • 小笠原弘幸『オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史』中公新書、2018年。ISBN 978-4-12-102518-0 

関連項目[編集]