イゾンツォ川
イゾンツォ川 | |
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スロベニア・コバリード付近 | |
延長 | 138 km |
平均流量 | 172 m³/s |
流域面積 | 3,400 km² |
水源 | トリグラウ山 |
水源の標高 | 876 m |
河口・合流先 | アドリア海 |
流域 |
スロベニア イタリア |
イゾンツォ川︵イゾンツォがわ、イタリア語: Isonzo︶あるいはソチャ川︵ソチャがわ、スロベニア語: Soča︶は、スロベニア西部からイタリア北東部にかけて流れ、アドリア海に注ぐ川である。
イゾンツォ川流域では歴史上多くの戦いが行われた︵イゾンツォの戦い︶。とくに第一次世界大戦中の1915年から1917年にかけて、イタリア戦線における激戦の舞台となったことでも知られる。
イゾンツォ川/ソチャ川
上流側約2/3がスロベニア領内︵96km︶、下流側1/3がイタリア領内︵43km︶を流れる。19世紀以降は全域がオーストリア帝国領内を流れていたが、第一次世界大戦後はイタリア領内を流れる川となった。現代の国境線は、第二次世界大戦後にイタリアとユーゴスラビアの間に引かれた線がもとになっている︵ヴェネツィア・ジュリア参照︶。
名称[編集]
イタリア語、スロベニア語以外では以下の名称を持つ。 ●フリウリ語: Lusinç ●ラテン語: Aesontius, Sontius または Isontius ドイツ語でも Isonzo と記されるが、歴史的には Sontig とも呼ばれた。地理[編集]
流路[編集]
ジュリア・アルプス山脈最高峰のトリグラウ山︵2,864m︶の西側、トレンタ谷 (Trenta (valley)) の標高876mの地点に源流がある。 流域には、上流よりボヴェツ︵伊: プレッツォ︶、コバリード︵伊: カポレット︶、トールミン︵伊: トルミノ︶、カナル︵伊: カナーレ・ディゾンツォ︶、プラーヴ︵伊: プラーヴァ︶、ノヴァ・ゴリツァ︵スロベニア領︶およびゴリツィア︵イタリア領︶などの都市がある。 モンファルコーネ郊外︵行政上はスタランツァーノとグラードの境界︶で、アドリア海に注ぐ。歴史[編集]
詳細は「ヴェネツィア・ジュリア」を参照
1915年5月、「未回収のイタリア」の回収を目指してオーストリア=ハンガリー帝国に宣戦を布告したイタリア王国は、6月に当時オーストリア領であったイゾンツォ川流域に進攻した(第一次イゾンツォの戦い)。重要都市ゴリツィアの占領を目指したものであったが、戦線は膠着し、イゾンツォ戦線では前後12度にわたる会戦が繰り返された。12度目の会戦となる1917年10月のカポレットの戦いにおいて、ドイツ軍の援助を受けたオーストリア軍はイタリア軍を潰走させ、イゾンツォ川流域を完全に占領した。イタリアがこの地域を奪回するのは、1918年にオーストリアが休戦した後の事である。一連の戦いで、100万人以上のイタリア軍とオーストリア軍兵士が死んだ。
カポレットの戦いは、アーネスト・ヘミングウェイの小説『武器よさらば』でも描かれている。スロベニアのコバリードにはこの戦いとヘミングウェイを展示のテーマとした博物館がある。
環境[編集]
その水の色は「エメラルドの美しさ」と謳われることもある。
生物[編集]
イゾンツォ川上流部には、マスの一種 Salmo trutta marmoratus (マーブルトラウトとも呼ばれる)が生息することでも知られている。この魚は、アドリア海に注ぐ河川の固有種であるが、二回の世界大戦の戦間期に土着でないマスが流入したため、今では危機に瀕している。
外部リンク[編集]
- イゾンツォ川のマス(英語)
- 第一次大戦のイゾンツォの戦い(英語)
- 第一次大戦の戦場の地図(英語)