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インソムニウム︵Insomnium︶は、フィンランドのメロディック・デスメタルバンドである。
1997年にフィンランド東部の街ヨエンスーで結成。1999年に1stデモ﹃Demo '99﹄、2000年に2ndデモ﹃Underneath the Moonlit Waves﹄を製作した。2001年にヴィレ・ヴァンニ (G)が加入し、イギリスのキャンドルライト・レコードと契約。
2002年に1stデビューアルバム﹃In The Halls Of Awaiting﹄をリリースした。その後、2004年に2ndアルバム﹃Since The Day It All Came Down﹄をリリース。
2006年に3rdアルバム﹃Above The Weeping World﹄をリリースし、フィンランドの総合CD週間チャートで9位にランクインした[1]。2週間TOP50入りした[1]。翌2007年に、日本でも、同アルバムの日本盤がリリースされた。2009年秋に4thアルバム﹃Across The Dark﹄をリリース。同アルバムは、フィンランドの総合CD週間チャートで5位にランクインし、2週間TOP50入りした[2]。また、﹁FINNISH METAL AWARD﹂のベスト・バンド、ベスト・アルバムに選出された[3]。
4thアルバムリリース後、センチュリー・メディア・レコードに移籍。2011年に5thアルバム﹃One For Sorrow﹄をリリースする。同アルバムは、フィンランドの総合CD週間チャートで6位を記録し、3週間TOP50入りした[4]。また、ドイツのCDチャートでも95位を記録している[4]。同アルバムのプロデューサーはダーク・トランキュリティ、ディメンション・ゼロで活動するダニエル・アントンソンが務めた[3]。
2001年からおよそ10年間不動のラインナップで活動していたが、2011年10月31日、ヴィレ・ヴァンニが外科医に専念するため脱退し[3]、オムニアム・ギャザラムのギタリスト、マルクス・ヴァンハラ (G)が加入することが発表された[5]。また、オムニアム・ギャザラムとの兼ね合いで、スケジュールに都合がつかない場合があり、その際には、ヴィレ・フリマンが参加していたエンター・マイ・サイレンスのツォーマス・ヤッピネンがサポートギタリストとして参加することも併せて発表された。
2012年1月にアヴァロン・レーベルから、﹃One For Sorrow﹄の日本盤がリリースされることとなった。2014年に6thアルバム﹃Shadows of the Dying Sun﹄をリリース。同アルバムは、フィンランドの総合CD週間チャートで最高2位を記録、計7週間TOP50入りを果たした[6]。同アルバムは、ドイツで最高18位、オーストリアとスイスでは最高33位を記録するなど躍進の一枚となった[6]。
2015年のツアーでは、多忙のヴィレ・フリマンに代わってライヴセッションを起用することが多かった。5月には、ヘッドライナーとして2回目の来日をし大阪、東京でライヴを行ったが、この際はプレッシャー・ポインツ等で活動するカリ・オッリがギタリストを務めた。北アメリカツアーの際には元アーチ・エネミーのニック・コードルがヴィレに代わってライヴセッション参加する予定だった[7]が、ツアー前にニーロ・セヴァネンが近親者の急病により離脱し、元アビスマル・ダウンのマイク・ベアーがライヴセッションとして参加した[8]。これにより北アメリカツアーはバンドメンバー4名中2名がライヴセッションを起用しての公演となった[8]。更に10月に行われたヨーロッパツアーでは、ヴィレに代わって元ソナタ・アークティカ、現ケインズ・オファリングのヤニ・リーマタイネンがライヴセッションとして加わっている[9]。
2016年に7thアルバム﹃Winter's Gate﹄をリリース。同アルバムは、約40分の楽曲1曲のみで構成されるという実験的なアルバムとなった。同アルバムは、フィンランドの総合CD週間チャートで1位を獲得[10]。初の週間チャート1位の獲得であった。その一方で、TOP50入りは合計5週間と前作には及ばなかった[10]。
2019年7月中旬、8thアルバム﹃Heart like a Grave﹄のリリースを発表[11]。同時に3人目のギタリストとして、以前ライヴ・サポートとして参加していたヤニ・リーマタイネン (G) が正式に加入することが発表された[11]。メンバーを増やすこととなった原因は、中心メンバーのヴィレ・フリマンがヨーク大学の講師であるため、長期ツアーに参加できないことが多かったためである[11]。このため、3人目のギタリストを正式に加入させることとなり、元々ツアーメンバーとして参加経験のあるヤニ・リーマタイネンに白羽の矢が立ったという[11]。この発表の中で、ヴィレ・フリマンは、ヨーク大学での仕事が忙しくなる一方で、インソムニウムの活動もより大きなものとなったため、双方に100%の力を注ぐことが不可能なことが分かったと述べており、加えて時間が取れる時にはバンド活動には参加するとも述べている[11]。2023年に9thアルバム﹃Anno 1696﹄をリリース。
2024年2月、公式フェイスブックでヤニ・リーマタイネンの解雇が発表された[12]。発表の中で、長期間リーマタイネンと連絡が取れなくなっており、バンドメンバーもリーマタイネンの現況が分からなくなっていることが原因とされた[12]。併せて今後は4人組に戻り、予定されているライヴには予定通り参加し、リーマタイネンが出演する予定だったパートには、フリマンの他、リーマタイネンが音信不通になってからライヴセッションを務めていたブランドン・エリス︵ザ・ブラック・ダリア・マーダー、元アーシス他︶や、ニック・コードル︵オムニアム・ギャザラム、元アーチ・エネミー、元アーシス他︶が引き続き出演することが発表された[12]。