イーゴリ・クルチャトフ
イーゴリ・ヴァシリエヴィチ・クルチャトフ︵И́горь Васи́льевич Курча́тов, Igor Vasilyevich Kurchatov, 1903年1月12日 - 1960年2月7日︶は、ソ連の核物理学者、ソ連の原子爆弾開発プロジェクトの責任者。
実験装置とクルチャ卜フ
クルチャトフとゲオルギー・フリョロフは、1930年代にウランの連鎖的な核分裂反応と原子炉の設計に関する基本的なアイデアを考え出した。1942年にはクルチャトフは﹁数キログラムのウランの核を破壊することで、20,000トンのトリニトロトルエン(TNT)を爆破するのに匹敵するエネルギーが得られる﹂と予言し、この予想は、トリニティ実験によって実際に証明された。
クルチャトフ死後の1963年に発行されたソ連の切手
1960年にモスクワで死去。遺体はモスクワの赤の広場のレーニン廟脇に埋められた。