エルゼ・ラスカー=シューラー
エルゼ・ラスカー=シューラー︵Else Lasker-Schüler, 1869年2月11日 エルバーフェルト︵現ヴッパータール市の一部︶ - 1945年1月22日 エルサレム︶はドイツ出身の詩人。エルバーフェルトの裕福なユダヤ教徒の家庭に生まれた。父アーロン・シューラー︵Aaron Schüler︶ は銀行家であった。
ユダヤ系の医師であるヨーナタン・ベルトルト・ラスカー︵チェス選手エマーヌエール・ラスカーの兄︶と結婚し、一児を出産するが、離婚。その後ベルリンで文学活動に入る。同年、ヘルヴァルト・ヴァルデン︵Herwarth Walden︶の名前で知られたユダヤ教徒のゲーオルク・レーヴィン︵Georg Lewin︶と結婚。
表現主義的な抒情詩のほか、小説、戯曲をも作った。文学的出発は自然主義・ユーゲントシュティールの時代に属するが、抒情詩では、神・民族・肉親・異性等への愛をテーマとし、自然や宇宙にも通うような、深い憧憬と女性的感性によって赤裸に歌っている。現実と幻想が溶け合ったメルヘン風の散文作品とともに、内面表象において新境地を開いた。
西方ユダヤ人としての苦悩と、人類和解への悲願が、生涯の行動と表現の根本動機でもあり、作品には、豊かな想像力と、ユダヤ教に対する深い敬慶とが示されているという。
夫ヴァルデンには雑誌﹃シュトゥルム︵Sturm︶﹄誌の創刊の契機を与えた。
奇行とエピソードに富む文士でもあったとも言われ、作中男性人物のオリエント風の衣装で闊歩したり、尊敬していた放浪の詩人・ペーター・ヒレ︵Peter Hille︶に倣って定住生活習慣をやめる、などしたことが知られる。
1932年、クライスト賞を受賞。1933年、ナチス政権の確立と共にイスラエルの地に帰還し、エルサレムに永住。
エルゼが生まれ育ったBriller Viertelの家
●冥府の川 Styx, 1902年︵詩集︶
●ヘブライのバラーデ Hebräische Balladen, 1913年︵詩集︶
●私の青いピアノ Mein blaues Klavier, 1943年︵詩集︶
●ヴッパー川 Die Wupper, 1908年︵戯曲︶
●わが奇跡 1911年︵詩集︶
●ヘブライ人の土地 Das Hebräerland, 1937年︵散文︶
●創作作品と文書 Dichtungen und Dokumente, 1951年︵散文︶
他に散文作品が多数ある。
作品[編集]
脚注[編集]
外部リンク[編集]