エレナ・ウラジーミロヴナ
エレナ・ウラジーミロヴナ Елена Владимировна | |
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ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家 | |
エレナ・ウラジーミロヴナ | |
出生 |
1882年1月17日 ロシア帝国 サンクトペテルブルク |
死去 |
1957年3月13日(75歳没) ギリシャ王国 アテネ |
配偶者 | ニコラオス・ティス・エラザス |
子女 |
オルガ エリサヴェト マリナ |
父親 | ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ |
母親 | マリア・パヴロヴナ |
エレナ・ウラジーミロヴナ︵ロシア語: Елена Владимировна, ラテン文字転写: Elena Vladimirovna, ギリシア語: Ελένη Βλαδιμήροβα της Ρωσίας, 1882年1月17日 - 1957年3月13日︶は、ロシア大公女。ギリシャ王子ニコラオスの妻。
ニコラオスとエレナ夫妻。3人の娘たち、オルガ、エリサヴェト、マリ ナ。1908年頃
2人の間には3女が生まれた。
●オルガ︵1903年 - 1997年︶ - 1923年にユーゴスラビア王子パヴレ・カラジョルジェヴィチ︵アレクサンダル1世の従弟。のち摂政︶と結婚し、3子をもうけた。
●エリサヴェト︵1904年 - 1955年︶ - 1934年にドイツ・バイエルン州の大地主・実業家カール・テオドール・ツー・テーリンク=イェッテンバッハ伯爵と結婚し、2子をもうけた。
●マリナ︵1906年 - 1968年︶ - 1934年にイギリス王族であるケント公ジョージと結婚し、3子をもうけた。現ケント公エドワードは長男。
一家はその後、1917年のロシア革命、不安定なギリシャの政情の煽りを受け、一時フランスでの生活を余儀なくされた。
フランス滞在中、エレナはロシア難民のための慈善活動に没頭した。特に児童福祉である。ギリシャからの亡命、ロシア皇族としての収入の停止などで所持金はわずかで、一家はつましく暮らさざるをえなかったが、優雅に振る舞っていたという。エレナの目を見張るような宝石コレクション、ニコラオス自身が制作した芸術作品を切り売りして彼らは生計を立てていた。彼らの財政状況をさらに悪化させたのは、3人の娘たちを王族・貴族と結婚させたことにも原因があった。
1938年、ニコラオスが心臓発作で急死した後、エレナはギリシャへ帰国。第二次世界大戦中もとどまり、1957年にアテネで死去した。