ガスパール・ド・コリニー
ガスパール2世・ド・コリニー Gaspard II de Coligny | |
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シャティヨン領主 | |
出生 |
1518年2月16日 フランス王国、シャティヨン=コリニー |
死去 |
1572年9月24日(54歳没) フランス王国、パリ |
配偶者 | シャルロット・ド・ラヴァル |
ジャクリーヌ・ド・モンベル・ダントルモン | |
子女 |
ルイーズ フランソワ シャルル ベアトリス |
家名 | コリニー家 |
父親 | コリニー伯・シャティヨン領主ガスパール1世 |
母親 | マリー・ルイーズ・ド・モンモランシー |
宗教 | キリスト教カルヴァン派 |
ガスパール2世・ド・コリニー︵Gaspard de Coligny, 1518年2月16日 - 1572年9月24日[1]︶は、16世紀フランスの貴族。プロテスタント派の闘将としてユグノー戦争を戦ったが、1572年のサン・バルテルミの虐殺で殺害された。シャティヨン・コリニーの領主であった。