グラハム・ヘンリー
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グラハム・ヘンリー︵Sir Graham William Henry, KNZM, 1946年6月8日 - ︶は、ニュージーランド出身のラグビー指導者。2004年から2011年までラグビーニュージーランド代表︵オールブラックス︶ヘッドコーチ。名前の発音は﹁グラハム﹂より﹁グレァム﹂に近い。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/37/Graham_Henry_28_March_2011_Twickenham.jpg/220px-Graham_Henry_28_March_2011_Twickenham.jpg)
グラハム・ヘンリー︵2011年3月撮影︶
高校教師
クライストチャーチ生まれ。クライストチャーチの名門クライストチャーチ・ボーイズハイスクール︵CBHS︶卒業。1969年オタゴ大学教育学ディプロマコース修了。オークランド・グラマー・スクール、ケルストン・ボーイズ・ハイスクールに勤務。教員として地理と体育を教え、ラグビーとクリケットを指導する。1979年マッセー大学教育学部卒業。ケルストン・ボーイズ・ハイスクール副校長、1987年から1996年まで同校の校長を務める。1996年にプロラグビーコーチへ転身するため教員生活から引退する。
オークランド・ラグビー・フットボール協会コーチ
1992年から1997年まで、オークランド州ラグビー代表ヘッドコーチを務めニュージーランド州代表選手権︵NPC︶では1993年から1996年の4年連続優勝。スーパー12︵現在のスーパー14︶ブルースヘッドコーチを兼任し1996年、1997年優勝、1998年準優勝の成績を残す。
ウェールズ代表ヘッドコーチ
1998年8月、ラグビーウェールズ代表ヘッドコーチに就任。当時、ウェールズラグビー史上最高年俸でのヘッドコーチ就任は大きな話題となる。就任後は低迷していたウェールズ代表の立て直しに成功しブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズヘッドコーチを兼任。同チーム初となる外国人ヘッドコーチに就任しチームを指揮する。2002年、ウェールズ対アイルランド戦で大敗しウェールズ代表ヘッドコーチを辞任。通算成績は36戦22勝1分13敗。
ニュージーランド代表アシスタントコーチ
ニュージーランドへ帰国後、オークランド州代表コーチ︵2002年 - 2003年︶、2003年にブルースコーチに就任︵このときの役職は技術アドバーザー︶。ジョン・ミッチェルオールブラックスヘッドコーチのアシスタントに就任︵フォワード担当︶。ラグビーワールドカップ2003でのオールブラックス準決勝敗退を受けミッチェルは辞任。ミッチェルの後任としてオールブラックスヘッドコーチに昇格。
ニュージーランド代表ヘッドコーチ
●2004年シーズン
2004年にW杯勝利国イングランドと対戦し2勝するもトライネイションズでは4戦2勝2敗の成績で3位︵最下位︶に終わる。
●2005年シーズン
トライネイションズ4戦3勝1敗で優勝。2005年度IRB年間最優秀監督賞を受賞。
●2006年シーズン
トライネイションズ6戦5勝1敗で優勝。ヨーロッパ遠征︵北半球遠征︶4戦全勝。テストマッチ13戦12勝1敗の成績で終える。2006年度IRB年間最優秀監督賞、IRB年間最優秀チーム︵ニュージーランド代表︶、キャプテンを務めたリッチー・マコウがIRB年間最優秀選手に選出され最高のシーズンを終える。
●2007年シーズン
ラグビーW杯を迎えたこのシーズンも順調な戦歴を重ねテストマッチ3戦3勝、トライネイションズ4戦3勝1敗で優勝。ニュージーランド代表はラグビーワールドカップ2007優勝国本命といわれ、予選プール4戦全勝で1位通過。しかし、決勝トーナメント準々決勝対フランスに敗れ敗退。この結果を受け、ニュージーランドラグビー協会(NZRU)はヘンリーの後任人事に着手すると発表。NZRUはヘンリーを含む4人の次期監督候補と面談し同年12月6日ヘンリーの留任を決定。2009年シーズン終了までの契約延長に合意した。2004年 - 2007年シーズンまでの通算成績48戦42勝6敗。この留任人事については莫大な遠征費やワールドカップでの惨敗など賛否両論の議論は絶えない。
●2008年シーズン
トライネイションズ6戦4勝2敗で優勝、ブレディスローカップ4戦3勝1敗で優勝。ミッドイヤー・ラグビーテストマッチシリーズ︵北半球遠征︶ではスコットランド、アイルランド、ムンスター、ウェールズ、イングランドと対戦しグランドスラム︵全勝︶達成。IRB年間最優秀監督賞受賞。
●2009年シーズン
トライネイションズ6戦3勝3敗︵対南アフリカ戦全敗︶で2位︵1位は南アフリカ︶、ブレディスローカップ4戦4勝で優勝。対フランス戦3戦2勝1敗、対イタリア戦2戦2勝、対イングランド戦1戦1勝、対ウェールズ戦1戦1勝、対バーバリアンズ戦1戦1敗。同年7月、NZRUと2011年ワールドカップ終了までの契約延長に合意。
●2010年シーズン
2011年ワールドカップを翌年に控えたこの年、前哨戦にあたるスタインラガーシリーズ3戦3勝︵対アイルランド1勝、対ウェールズ2勝︶、トライネイションズ6戦6勝1位︵優勝︶、ブレディスローカップ4戦3勝1敗、英国遠征︵イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズ遠征︶ではオールブラックス史上3度目、ヘンリー自身2度目のグランドスラム︵全勝︶を達成。IRB年間最優秀監督賞、IRB年間最優秀チーム賞を受賞しシーズンを終える。
●2011年シーズン
シーズン開幕戦となるフィジー・テストでフィジーに勝利。トライネイションズ4戦2勝2敗で2位、2011年ワールドカップは予選プールから決勝戦まで全勝で終え24年ぶりにエリス杯を獲得。IRB年間最優秀監督賞︵5度目︶、IRB年間最優秀チーム賞︵ラグビーニュージーランド代表︶を受賞。同年11月1日、NZRUとの契約更新を待たず、オールブラックスヘッドコーチ職からの勇退を発表。2004年シーズンから2011年シーズンまでの通算成績は103戦88勝15敗、勝率85.4%。同年11月26日開催のラグビーオーストラリア代表対バーバリアンズヘッドコーチに指名され、トゥイッケナム・スタジアムで指揮を執るも11対60で敗戦。
●ポストシーズン
オールブラックスヘッドコーチ勇退後はラグビーイングランド代表ヘッドコーチ就任が噂されたが、2012年2月、ニュージーランドラグビー協会︵NZRU︶との間でラグビー指導者へコーチング指導を担当するメンター契約を帰結。NZRUとの契約期間は2013年末までの非常勤契約。2013年4月にラグビーアルゼンチン代表アドバイザーに就任し実質的なアシスタントコーチを務めた︵契約は2014年3月まで︶。2014年シーズンから古巣ブルースのテクニカルアドバイザーに就任。
来歴[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/37/Graham_Henry_28_March_2011_Twickenham.jpg/220px-Graham_Henry_28_March_2011_Twickenham.jpg)
人物[編集]
自ら“ラグビー選手としては平均的”という選手生活を送り、ラグビーニュージーランド代表︵オールブラックス︶に選出されたことはない。過去に幾度となくオールブラックスヘッドコーチ就任の噂が立ち、ヘッドコーチ候補にも上がったが落選し続けた[1]。オールブラックス選出経験がなく、オールブラックスヘッドコーチを務めたのは、ジョン・ハートに続き2人目。 カンタベリー州︵1965年 - 1966年︶とオタゴ州︵1967年 - 1968年︶選出のクリケット選手として活躍した期間がある。 ローウィン夫人との間に2男1女。妻のローウィンは元ネットボール選手で現在は指導者。1999年11月にネットボールウェールズ代表チームのコーチに就任。競技種目は異なるも夫婦でウェールズ代表チームを指導した。2002年8月までウェールズ代表でコーチを務めた。 教員生活は25年に及び、マッセー大学のインタビューに対し﹁教員として学生を指導をすること、人材育成に関われることはオールブラックスコーチを務めるより大切なこと﹂﹁学問とスポーツをバランスよくこなす事がスポーツ選手として、人間として成長するために必要﹂と答えている[2]。 2011年12月、ラグビー界への貢献により、エリザベス2世からニュージーランド・メリット勲章ナイトの勲位を授与され、サー(Sir)の称号を得る。 日本ラグビー界との接点 日本の早稲田大学ラグビー蹴球部臨時コーチとして1989年と2002年に来日指導をしている。早稲田大学ラグビー蹴球部の印象について、﹁早稲田の選手たちは非常に優秀。知的で練習熱心。教えていて楽しい。﹂とのコメントを残している。1989年当時、早稲田大学の選手だった清宮克幸も指導を受けた。脚注[編集]
- ^ NZRUは海外のラグビー協会に所属した人物のヘッドコーチ就任を認めない協会規定を持つ
- ^ マッセー大学ニュース 2011年7月21日