ジークフリート・パルム
ジークフリート・パルム | |
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生誕 | 1927年4月25日 |
出身地 | ドイツヴッパータール |
死没 | 2005年6月6日(78歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | チェリスト |
担当楽器 | チェロ |
ジークフリート・パルム︵Siegfried Palm, 1927年4月3日 - 2005年6月6日︶はドイツのチェリスト[1]。
パルムと交流があった作曲家カールハインツ・シュトックハウゼン ( 1980年)
1927年4月25日、バルメン︵現ヴッパータール︶に生まれる[2][3]。当地のオーケストラで首席チェロ奏者を務めた父親から、6歳の頃より手ほどきを受けた[2][3]。そして14歳のとき、ソリストとしてデビューした。
18歳でリューベック市立管弦楽団の首席チェロ奏者に就任し、その2年後の1947年からは北ドイツ放送交響楽団の首席チェロ奏者を務め、1962年までの15年間在籍した[2]。その間、1951年から1962年にかけて、ベルンハルト・ハマンが主催するハマン弦楽四重奏団のメンバーとして現代音楽を演奏した[2][3][4]。また、1950年から1953年にはザルツブルクとルツェルンでエンリコ・マイナルディのマスタークラスを受講している[4]。
1962年には、ケルン放送交響楽団のチェロ奏者およびケルン音楽院の教授に就任し、1972年には学長に任命されて1978年まで務めた[2]。なお、ケルンでは作曲家のカールハインツ・シュトックハウゼンと交流を深めた[4]。
ケルン以外でも教鞭をとっており、ストックホルム王立音楽院の客員教授や、ダルムシュタット現代音楽祭の講師を務めた[2]。さらにはオランダやアメリカでも指導を行なっている[2]。なお、ケルン放送交響楽団は1968年に退団した[3]。
1975年にはベルリン・ドイツ・オペラの総監督として招聘された[5]。1976年からは、オペラ演出も手がけ、ベルリン・ドイツ・オペラでヒンデミットの︽カルディヤック︾やオッフェンバック作品などのプロダクションを手がけ、1980年ごろまで演出家としての活動に力を入れていた。なお、1977年から当地のベルリン芸術大学の教授を務めた[4]。
1981年ごろから、チェロの演奏活動を再び活発化させ、1982年から1988年まで国際現代音楽協会の理事を務めた。フレッヘンにて没。