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デミウルゴス︵デーミウールゴス、Δημιουργός、dēmiourgós、英: Demiurge︶は、プラトンの﹃ティマイオス﹄に登場する世界の創造者である。
ギリシア語では﹁職人・工匠﹂というような意味である。プラトンは物質的世界の存在を説明するために、神話的な説話を記した。この言葉と概念はグノーシス主義において援用され、物質世界を創造した者、すなわち﹁造物主﹂を指すのにデミウルゴスの呼称を使用した。
神学的思想[編集]
﹃ティマイオス﹄に記されている神話は、超越的な善なる創造神であるデミウルゴスが、自身の似姿としての宇宙を創造したというものであるが、この考え方は、ユダヤ教の思想家であるアレクサンドリアのフィロンや、異端ともされたキリスト教思想家のオリゲネスに影響を与えた。﹃ティマイオス﹄に記されている比喩的な寓話は、﹃旧約聖書﹄と調和性を持つのではないのかと彼らは考えた。
グノーシス主義[編集]
他方、グノーシス主義の創造神話においても、ウァレンティノスの系統の世界起源論では、デミウルゴスは﹁造物主﹂で、まさにイデア世界に相当するプレーローマのアイオーンを模倣して、この世と人間を創造したことになる。
しかし、グノーシス主義の思想や世界観に明らかなように、この世と人間は、いかに考えても不完全な存在にしか見えない。イデアの模造であるとしても、それが完全であるならば、この世も人間も完全に近いか完全な存在であるはずである。然るに、経験や現象が教えることは世界と人間の不完全さであり、﹁悪﹂の充満するこの世である。
そうであれば、デミウルゴスの創造が不完全なのであり、イデアの模造がかくも不完全で、悲惨で崩壊する儚いものである根拠は、模倣者の能力の欠如と、愚かさにあるとしか云いようがない。
不完全を完全にしていくのが、今のこの世の姿である。現在も創造の最中である、ということ。
グノーシス主義[編集]
ヤルダバオート[編集]
グノーシス主義では、﹃旧約聖書﹄に登場するヤハウェと名乗っているデミウルゴスを、固有名で﹁ヤルダバオート﹂と呼んでいた。﹃旧約聖書﹄において愚劣な行為を行い、悪しき行いや傲慢を誇示しているのは、﹁偽の神﹂﹁下級神﹂たるヤルダバオートであるとした。
ヤルダバオートはデミウルゴスであり、また﹁第一のアルコーン﹂である。愚劣な下級神はアルコーンと呼ばれるが、ヤルダバオート以外にも多数存在し、それはデミウルゴスが生み出した者で、地上の支配者である。アルコーンはしかし、愚かで傲慢な下級の神であるが、人間にとっては恐るべき存在でもある。
デミウルゴスや諸アルコーンが愚劣な﹁下級の神﹂というのは、あくまで完全なるアイオーンやプレーローマの至高者に比較しての話である。人間の悲惨さの原因である﹁肉体﹂や﹁心魂﹂はデミウルゴスの創造したものなれば、人間はこれらの部分ではアルコーンの支配下にある。
人間がデミウルゴスや諸アルコーンに優越するのは、ただその内部にある﹁霊﹂︵cf. en:Pneumatic (Gnosticism)︶においてのみである。そしてこの内なる﹁霊﹂こそは﹁救済﹂の根拠である。
ポイマンドレース[編集]
グノーシス主義の神話では、デミウルゴスが水に映った﹁至高なる者﹂︵ソピアーの像またはアイオーンの像︶を自己の映像と錯覚して人間を創造するということになっている。
これと同じ筋書きの神話が﹃ヘルメス文書﹄のなかの﹃ポイマンドレース︵英語版︶﹄に記されている。これもおそらくプラトンを起源にしていると考えられるが、﹃ポイマンドレース﹄が述べている内容は、グノーシス主義の創造神話に他ならない。
関連項目[編集]
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神話 |
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前グノーシス主義 |
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初期グノーシス主義 |
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シリアとエジプトのグノーシス主義 |
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ペルシアのグノーシス主義 |
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中世のグノーシス主義 |
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現代におけるグノーシス主義 |
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グノーシス文書 |
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グノーシス主義福音書 |
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関連項目 |
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