ナムジョン
ナムジョン︵Nam Jung、漢字表記‥娜木鍾、? - 1674年︶は、清の太宗ホンタイジの側室。元はチャハル部のリンダン・ハーンの妻。モンゴル・ホルチン部の出身。姓はボルジギト︵博爾済吉特︶氏︵Borjigit hala︶。父はアバガ部のドルジ・エチケ・ノヤン。
生涯[編集]
初め、リンダン・ハーンに嫁ぎ、福晋︵8人の大福晋の一つ︶となった。女子を1人産んだ。 1634年、リンダン・ハーンはチベット遠征に出発し、青海に入ろうとしたが、その途上シャラ・タラの草原で病死した。リンダン・ハーンが不在のモンゴルでは、ホンタイジ率いる後金軍がフヘ・ホトを占領した。その時、ナムジョンは妊娠中であった。翌年春、男子を1人産んだ。同年3月、ナムジョンは後金に降って、ホンタイジと政略結婚し、側室となった。 崇徳元年︵1636年︶、西麟趾宮貴妃(wesihun amba fujin)に封ぜられた。順治9年︵1652年︶10月、皇考懿靖大貴妃に尊封された。康熙13年︵1674年︶11月20日、北京で薨去した。子女[編集]
リンダン・ハーンとの間に1男1女をもうけた。 ●淑済︵1643年、徳参済旺の息子と結婚した︶ ●アブナイ ホンタイジとの間に1男1女をもうけた。- 固倫端順長公主
- ボムボゴル(襄親王)
出典[編集]
- 『清史稿』
- 『尊封懿靖大貴妃冊文』