ノート:ヴァイオリン
この「ヴァイオリン」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2005年6月10日 | 秀逸な記事の選考 | 不通過 |
バロック弓について[編集]
演奏方法について具体的に書いてある楽器記事は初めてでしょうか、興味深いです。 ところで、バロック時代の弓の形状だと多重音が弾きやすいので対位的な曲を演奏するのに適するというような説明を見たことがありますが、ぜひその辺も解説していただけるといいなあ、と。sphl 08:28 2003年10月22日 (UTC)
記事名について[編集]
この項、﹁ヴァイオリン﹂が表記として適当な気がします。実際、世の中の半数以上は﹁ヴァイオリン﹂となっているようです。Wikipedia に 'V' のカタカナ表現は、﹁ヴァ﹂か﹁バ﹂かという方針はあるのでしょうか? Tapio 10:40 2003年11月3日 (UTC)
過去にWikipedia:井戸端/臨時分室2で議論があり、その結果﹁原語表記を用いる﹂を原則としつつも、一般化した慣用表記を尊重するというのが暗黙のルールになっていそうです。但し、人名についてはWikipedia:スタイルマニュアル#カタカナで書く名前、Wikipedia:記事名の付け方#人名に書かれています︵後者は﹁アラブおよびその他のイスラム系の人名についての記事名ルール案﹂ですが︶。
しかし、人によって﹁正式﹂﹁一般的﹂﹁慣用﹂などの解釈が分かれうるので意見の対立があるのも事実です。Wikipedia:記事名の付け方を改訂すべきですね。
ところで、バイオリンかヴァイオリンかです。個人的にはヴァイオリンを支持しますが、REDIRECTで混乱無く済む限りは、記事名の表記にはそれほど拘らないのが私のスタンスです。また、恒例のGoogleチェックだと両者拮抗しています。
音楽趣味誌では殆どヴァイオリンではないかと思いますが、音楽教育誌では違うかもしれません︵済みません推測です︶。新聞・テレビではバイオリンが普通ですし、﹁ヴァ﹂と書く人でも日常的な発音は﹁バ﹂と言っているのではないかとも思います。︵しかしNHKも音楽番組の担当アナウンサーが明らかに﹁ヴァ﹂の発音をすることもあります︶。
一応、現状知るところを列挙しました。他のかたのご意見も頂戴ということで、議論への参加お願いします。sphl 10:16 2003年11月4日 (UTC)
しばらく放ったままにしておいたのですが、﹁バイオリン﹂の記事中でも﹁ヴァイオリン﹂という表記があるなど望ましくありません。
(1)当ページにリンクしている他の記事を見ると、﹁ヴァイオリン﹂からリダイレクトされている数の方が多いようです。
(2)また、Google で検索すると、﹁+ヴァイオリン﹂約258,000、﹁+バイオリン﹂約230,000で、﹁ヴァイオリン﹂がやや優勢です。
以上の理由から﹁ヴァイオリン﹂に統一しようと思いますが、反対意見はございますでしょうか?
Tapio 11:52 2004年1月12日 (UTC)
手元の高校教科書はヴァイオリンです。
Wikipediaの中にはウ濁について指針が見られませんね。
私自身は普段V音の表記にウ濁を使っているつもりですが、たとえばvalveをヴァルヴとは書かないし、オクターブをオクターヴとは書かない。WagnerやWienはワーグナー、ウィーンです。
ヴァイオリン属をバイオリン属とは書きにくいし、ビオラはもっとです。個人的な意見としてはヴァイオリンに統一してほしいです。compUT/OSer 03:18 2004年1月13日 (UTC)
ちなみに、リンクリストは、ヴァイオリンのリダイレクトのほうが多くなっています。compUT/OSer 03:35 2004年1月13日 (UTC)
1978年の文部省の﹁教育用音楽用語﹂は﹁バイオリン﹂﹁ビオラ﹂です。
井戸端BBSにも議論があります。参考まで。Tsk 16:43 2004年1月15日 (UTC)
議論し出すときりがないですね。﹁ヴァイオリン﹂は同意が得られても﹁ヴィオラ﹂は同意が得られないのかな? Googleでも﹁ビオラ﹂がやや多数派です。言語の綴りが推定しやすいという意味では、ウ濁表記が良さそうですが。
ドイツ語のWに付いては、濁らない表記が正しくないにしても多数派のようです。
Tapio 11:15 2004年1月16日 (UTC)
結局ヴァイオリンになっちゃいましたね....compUT/OSer 13:58 2004年1月27日 (UTC)
- 情報 >Google で検索すると、「+ヴァイオリン」約258,000、「+バイオリン」約230,000で、「ヴァイオリン」がやや優勢
- いまさら蒸し返すつもりは毛頭ないですが、Google検索では2021年4月現在で、「"バイオリン"」では約17,200,000件、「"ヴァイオリン"」では約8,520,000件となっており、倍以上の差をつけてバイオリンが優勢です。17年間の情報の蓄積には驚くばかりです。単なる情報提供ですので、改名希望ではありません。--直蔵(会話) 2021年4月14日 (水) 03:25 (UTC)
秀逸な記事について[編集]
Wikipedia:秀逸な記事# あと一歩の記事に載っています。もうちょっとがんばって金管楽器においつきませう!compUT/OSer 13:58 2004年1月27日 (UTC)
ペルナンブーコについて[編集]
﹁フェルナンブーコ﹂ではなくて﹁ペルナンブーコ﹂といいます。それはブラジルの州の名前です。--以上の署名のないコメントは、189.105.131.169︵会話/Whois︶さんが 2008年10月19日 (日) 03:03 (UTC) に投稿したものです。
﹁フェルナンブコ﹂と書かれているのを、佐々木ヴァイオリンの本だったか︵記憶おぼろげ、未確認ですみません︶で、みた事があります。
また、ドイツの筆記用具メーカ﹁ファーバーカステル社﹂で、この素材を使ったボールペンがあります。この製品紹介では、﹁ペルナンブコ﹂と読んでいます。
綴りは、﹁PERNAMBUCO﹂なので、日本語表記する場合は﹁ペルナンブコ﹂あるいは﹁ペルナンブーコ﹂が自然な気もします。--以上の署名のないコメントは、112.138.235.35︵会話/Whois︶さんが 2010年6月1日 (火) 12:44 (UTC) に投稿したものです。
記事内容全般について[編集]
色々付け足してみました。
気づいた点をいくつか。
●歴史を書きましたが、﹁音楽の歴史﹂がまだ不十分な気がします。
●そもそも歴史や構造の話で﹁ヴァイオリン族﹂とどの程度分けるのかを考えないといけませんね。それを言い出すと﹁演奏のしかた﹂まで持っていかれますが。
●民俗音楽からの観点が欲しいのですが、残念ながら私は全然知らないです。おそらく書き出すとこれだけでかなりの量になるので、別項のほうが良いと思います。
●構造の項目に肝心の﹁本体の構造﹂がありませんが、これは写真がないと厳しいかも。コモンズの写真に番号とかつけて解説できればいいのですが・・・。
●﹁ヴァイオリンの弦﹂の前版で﹁歴史的にガット弦が用いられてきたため、他の素材で作られた弦はガット弦に近い音色のものほど高価である﹂とありましたが、因果関係に疑問があるのでとりあえずコメントアウトしました。実際﹁ガット弦に近い=いい音﹂だとは思うのですが。
●弓の項目で、フェルナンブーコとブラジルウッドは同一なので修正。グラスファイバーは噂でしか知らないのですが、どのくらい普及しているものですかね。
●音響構造がないとさすがにまずいだろう、ということで、とりあえずはさんでみました。位置や内容など修正していただければ幸いです。
●フラジオレットとハーモニクス、どちらが正式名称か。どちらかは俗語だったような気も。
たらこ 2005年4月4日 (月) 13:32 (UTC)
追加で。
●ビブラートの項で﹁ビブラートは高音側にかけてはならない﹂とあった件について。確かにこの話は演奏家サイドではよく耳にする話︵というか、﹁常識﹂か?︶ですが、理論的にどこまでしっかりしたものなのか。どうなんでしょうね。たらこ 2005年4月4日 (月) 13:55 (UTC)
ハーモニクスは倍音の意味ですから、正しい表現です。フラジオレットは、そういう名前の管楽器があって、それに似た音がするところから付けられた名前。まあ、どっちが俗語かと言われたら後者ですが、それを俗語と言ってしまっていたら、じゃあ、コンピュータのマウスはどうするんだ、ということにもなり、いいんじゃないでしょうか。
ヴァイオリン属︵族︶とのかき分けは、正しい書き方をすれば4楽器に共通のことはすべてヴァイオリン属、2楽器以上に共通でさらに残りの楽器にも類似のことがあればヴァイオリン属。のこりはヴァイオリン、なのでしょうが、代表格であるヴァイオリンに書けるだけ書いてしまって、残りをヴァイオリン属に書くと言うこともできます。コントラバスのところに[[ヴァイオリン]]も参照と書けばいいことです。あまり気にしないで書きやすいところに書くのでいいのではないでしょうか。--っ [Café] [Album] 2005年4月5日 (火) 00:29 (UTC)
なるほど、ありがとうございます。
●フラジオレットの語のほうは個人的にはあまり使われない印象をうけますが、どうでしょう? 英語版もハーモニクスになっているので﹁ハーモニクス︵フラジオレット︶﹂のような感じにしたいのですが、﹁それはお前のわがままだろう﹂などありましたらお願いします。まあ、どっちでもいいと言えばどっちでもいいですね。
●他項目との書き分けですが、よく考えたらもっと記事を埋めてから検討しても大丈夫ですよね。どうもです。たらこ 2005年4月5日 (火) 14:40 (UTC)
ひょっとしたらハーモニクスは英語でよく使われ、フラジオレットはイタリア語でよく使われる、のかもしれません。--っ [Café] [Album] 2005年6月16日 (木) 09:14 (UTC)
質、量ともに秀逸とするに十分な記事だと思うのです。気になるのは奏法のあたりで﹁奏法﹂﹁特殊奏法﹂﹁ビブラート﹂﹁フラジオレット﹂﹁ピッツィカート﹂といった記事との切り分けがもう少しできないかなということです。特にフラジオレットについては同名の記事よりも詳しい内容が書かれていたりしてアンバランスな印象です。これらの記事との切り分けがすっきりできればよりよい記事になるように思います。--汲平 2005年6月16日 (木) 07:40 (UTC)
フラジオレットは、ヴァイオリンに独特の物ではないですから、﹁ヴァイオリンのフラジオレットの奏法﹂をどこに書くか、と言うことになると思います。--っ [Café] [Album] 2005年6月16日 (木) 09:14 (UTC)
奏法はもう少しコンパクトにしたいですね。フラジオレットはヴァイオリンの奏法で特に重要というわけでもないので、フラジオレットの中に﹁ヴァイオリンのフラジオレット奏法﹂を移して記事内容を調整するのが良いと思います。ビブラートは真ん中の文を削ればすっきりするのではないでしょうか。ピチカートは現状でもそう違和感は無いと思います。たらこ 2005年6月22日 (水) 13:34 (UTC)
あと、難しいですが、分解図があったほうが良いかもしれませんね。知らない人が構造の項を読んだときに力木の位置などがわからないと思うので。たらこ 2005年6月22日 (水) 13:38 (UTC)
中学生が見ても分かるように写真を何点か追加しました。たらこさんの要望には応えられませんでしたが。Hareno 2005年6月22日 (水) 15:35 (UTC)
……﹁中学生が見ても分かるように﹂は皮肉ですか? そもそもこの分野に於いて"分かる分からない"は、学年は関係ないと思います。 湘新特快 2005年6月23日 (木) 09:25 (UTC)
言葉が足りず、失礼しました。皮肉を言うつもりはありません。そもそも皆さんの年齢を知りません。私の言いたかったことは、まとまった文章には必ず対象読者、想定読者があるということです。百科事典の対象読者を考えると、特定の項目について何ら専門知識を期待してはならない︵できない︶と考えております。分からないことについて調べるというのが百科事典の目的ですから。ヴァイオリンでいえば、実物を一度も見た︵触った︶ことがなく、どうやって音を出すのか、そもそもギターとはどこが違うのか、なぜチェロのように似た楽器が色々あるのか、こういった疑問に答えて欲しいのです。小学校に上がる前からヴァイオリンを習っている子供たちもいますが、ここでは専門教育を受けていない層という意味で﹁中学生﹂という言葉を使いました。率直に﹁ヴァイオリンに触れたことがない方が﹂と書けば良かったと思います。Hareno 2005年6月23日 (木) 18:50 (UTC)
記事全般について[編集]
関連書として石井弘氏の著書が載っていますが、あの本は一般的な読み物的には良いとしても、ヴァイオリンのことをきちんと知りたいと思う人に推薦できる図書かといわれると、ちょっと違うような気がします。
﹁指導者・研究者﹂欄に、﹁奏者としてのほうが有名な人物は除外。﹂とありますが、ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティとルイ・シュポーアは19世紀前半の代表的なヴィルトゥオーゾの一人ですし、しかも作曲家としても著名でした。
﹁奏者(ヴァイオリニスト)﹂欄に、﹁クラシック音楽についてはクラシック音楽の演奏家一覧を参照のこと。﹂とありますが、主立った演奏家の名前ぐらいはピックアップして紹介しても良いと思います。というのは、あの一覧からヴァイオリン奏者を探し出すのは大変ですし、、現在のリストの中から主要な演奏家が誰かを知ることも大変です。また、﹁クラシック音楽については﹂と言いながら、クラシック音楽以外のヴァイオリニストの名が書かれていないのもいかがでしょうか。
﹁日本におけるヴァイオリンの歴史﹂欄に、﹁17世紀中頃にはすでにヴィオラ・ダ・ブラッチョが日本に伝わっていたようである。﹂とありますが、日本の南蛮文化の黄金期は16世紀であって、本稿の文面からだと、江戸時代に日本にヴァイオリン属が流入しているように読めます。これは、出島を通じてヴァイオリンも日本に入ったということでしょうか? -- 間久部緑郎 2006年1月9日 (月) 10:50 (UTC)
﹃誰がヴァイオリンを殺したか﹄については、私も同意見です。
関連人物についてはとりあえず整理してみただけなので、いい案があればそれに従って進めてもらえると助かります。クラシック以外についても加筆をお願いしたいところです。
﹁日本における~﹂は16世紀の間違いでした、すみません。なおヴィオラ・ダ・ブラッチョとヴァイオリン属ではここでは一応区別して考えてあります。
たらこ 2006年1月11日 (水) 15:15 (UTC)
拝見させて頂きました。[編集]
ヴァイオリンの構造や演奏方法から歴史までまとめてあってとてもすばらしい記事ですね。 同時に思ったのが、この項目ではクラシック音楽におけるヴァイオリンについて書かれているようですが、 今やヴァイオリンはクラシックのみならず多方面で活躍する楽器であるわけで、そろそろ他分野におけるヴァイオリンについての記事を作っても良いかと思ったのですが、いかがでしょうか?--オーブン 2007年1月9日 (火) 07:46 (UTC)
出典について[編集]
なんでも、出典を求めるのは、アラシの一つの形ではないでしょうか? あるいは、紙の本に対する信仰なのかもしれません。出典を要求するだけの意見に反対します。 青葉五月 2010年5月2日 (日) 15:29 (UTC)
ヴァイオリンの奏法の部分について一部編集させていただいた者です。
まず、ヴァイオリン奏法の記述が誰が記述しても確実に”独自研究”に当たる事は、絶対に避けられない事実です。
これは、ヴァイオリンの奏法のみに関して確実に言える事ですが、”正確な演奏の基準と言うものを記した書籍など存在しない”という事をまずご理解していただきたい。
ありとあらゆる人によって様々な練習方法、演奏方法が紹介されている書籍は、数多あり、それはどれもが多種多様です。系譜を辿っていたとしても、その途中に独自に開発された手法等もあり、”絶対的なもの”と言うものが存在しません。
その事を十分ご理解していただけたうえで、 私が過去に練習や指導の参考にしてきた書籍は、”Violin Playing as I teach it”などのLeopold Auer著の書籍だと言う事を示しておきます。
要出典をつける事には否定は致しませんが、明らかに自明なもの、例えば、ヴァイオリン音楽-形成のクラシック音楽の、
” 19世紀になると名人芸的技巧がヴァイオリン曲の中心的要素とされ、高度な演奏技術を見せつける曲が多く出た。その極限がパガニーニである[要出典] ”
にまで出典を求めるのは、どうかとも思います。(19世紀初期当時の正確な状況が確実に分かる書籍を出典として示せというのはどう考えてもおかしいです。歴史を記した書や数多くの人により言い伝えられた事が正確なものかなんて一体誰が証明できるというのでしょうか?)
特に、奏法の基本姿勢の、 ” 右手による弓の操作をボウイング(bowing)と呼び、単純ながら熟練を必要とする[要出典]。 ”
これなどもはや自明の理であり、要出典をつける意図が全く理解できかねます。--203.202.219.196 2009年4月19日 (日) 17:10 (UTC) ﹁ヴァイオリン奏法の記述が誰が記述しても確実に”独自研究”に当たる事は、絶対に避けられない事実です﹂﹁19世紀初期当時の正確な状況が確実に分かる書籍を出典として示せというのはどう考えてもおかしいです。歴史を記した書や数多くの人により言い伝えられた事が正確なものかなんて一体誰が証明できるというのでしょうか?﹂――まったく合意のできない主張です。まずは﹁独自研究は載せない﹂﹁検証可能なことだけ書く﹂をよくお読みください。出典が示せない=独自研究なら、あなたが奏法を記す必要はありませんし、﹁極限はパガニーニ﹂﹁単純ながら熟練を必要とする﹂﹁ボウイングは呼吸と同じ﹂などと記す必要はありません。あなたの執筆・編集は、方針を読んだものとは考え難いものです。 なお、項目に限定されない編集の場合は、項目別に何度も編集するのではなく、記事を一括で編集することをお薦めします。また、︵︶を半角で入力するのはご遠慮ください。--Wikied 2009年4月19日 (日) 19:18 (UTC)
”﹁独自研究は載せない﹂﹁検証可能なことだけ書く﹂をよく読んでください。”との事ですが、﹁信頼できる情報源﹂﹁﹁真実かどうか﹂ではなく﹁検証可能かどうか﹂﹂一度こちらを良くお読みになってください。そして、これらと﹁独自研究は載せない﹂が矛盾している内容を含んでいる事、﹁信頼できる情報源﹂と、﹁信頼できる資料﹂、﹁﹁真実かどうか﹂ではなく﹁検証可能かどうか﹂﹂が自信に対しても矛盾を含んでいる事に十分留意して下さい。 以上を踏まえた上で、過去の歴史を記述する上において信頼できる情報源の証明が不可能な事が、自明の理である事をご理解ください。過去の歴史において信頼できる情報源として扱われている文献は、過去の人物による﹁一次情報源﹂︵出来事の参加者やその出来事の目撃者によって作られたドキュメント︶で、それらを”信頼できる出版元”として扱えるのであれば、﹁信頼できる資料﹂、﹁﹁真実かどうか﹂ではなく﹁検証可能かどうか﹂﹂と矛盾する事になります。それでもかつ、﹁独自研究は載せない﹂﹁検証可能なことだけ書く﹂に基づき、﹁信頼できる情報源﹂の提示を求める必要性があるのだとすれば、それはそれ自身によって相互に矛盾を引き起こします︵要は、これらの公式な方針における各種の定義が曖昧かつ自己矛盾を含んでいるのです︶。出典を明示してもその信頼性の保障が無いが、しかしそれ無しでは、記事が成り立たないと言う事が上記3つの相互矛盾に当たります。そして、それらの記事の殆んどは、﹁事実﹂の”その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述”に基づいているものが多く、多くの同種の記事が二次情報源が示されていないにも関わらず、それに対して出典が求められていない事から、一次、二次情報源が乏しい、またはその信頼性の保障が曖昧な過去の歴史関係の記事を編集するにおいて、そうした”グレー”な部分を含まなければ成り立たないという事は、自明です。 少なくともヴァイオリンの奏法や出生については、様々な研究者があらゆる仮説を唱えていますが、依然それは仮説でしか無く研究者の文献の間でも大まかに合致する所もあれば、意見が分かれている所も幾つかあります︵*︶。ですので、”この文献があるからこれが正しい”と記載する事は、﹁何が排除されるか﹂の”発表済みの情報の個人的分析や解釈、そして自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する論証や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・合成するようなことも排除します。”に該当する事になります︵上記から分かるようにこれも矛盾を含んでいます︶。しかし、その部分の記述は、大抵の過去の歴史関係の同種の記事において根幹を成すものである場合が多く、その部分を削除してしまうと、記事そのものが成り立たなくなる︵意味を成さなくなる︶という事が多いのです。︵これから分かるように﹁独自研究は載せない﹂は自己矛盾します。︶例えば、﹁極限はパガニーニ﹂﹁単純ながら熟練を必要とする﹂﹁ボウイングは呼吸と同じ﹂は、﹁事実﹂の”その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述”であり、”事実や、意見についての事実は主張してください。”に当たるという事です。︵そして、これが”検証可能性”、”独自研究は載せない”、”信頼できる情報源”の矛盾だと言う事です。︶ ︵*︶本文の参考文献を参照してください。
その事を十分ご理解していただけたうえで、 私が過去に練習や指導の参考にしてきた書籍は、”Violin Playing as I teach it”などのLeopold Auer著の書籍だと言う事を示しておきます。
要出典をつける事には否定は致しませんが、明らかに自明なもの、例えば、ヴァイオリン音楽-形成のクラシック音楽の、
” 19世紀になると名人芸的技巧がヴァイオリン曲の中心的要素とされ、高度な演奏技術を見せつける曲が多く出た。その極限がパガニーニである[要出典] ”
にまで出典を求めるのは、どうかとも思います。(19世紀初期当時の正確な状況が確実に分かる書籍を出典として示せというのはどう考えてもおかしいです。歴史を記した書や数多くの人により言い伝えられた事が正確なものかなんて一体誰が証明できるというのでしょうか?)
特に、奏法の基本姿勢の、 ” 右手による弓の操作をボウイング(bowing)と呼び、単純ながら熟練を必要とする[要出典]。 ”
これなどもはや自明の理であり、要出典をつける意図が全く理解できかねます。--203.202.219.196 2009年4月19日 (日) 17:10 (UTC) ﹁ヴァイオリン奏法の記述が誰が記述しても確実に”独自研究”に当たる事は、絶対に避けられない事実です﹂﹁19世紀初期当時の正確な状況が確実に分かる書籍を出典として示せというのはどう考えてもおかしいです。歴史を記した書や数多くの人により言い伝えられた事が正確なものかなんて一体誰が証明できるというのでしょうか?﹂――まったく合意のできない主張です。まずは﹁独自研究は載せない﹂﹁検証可能なことだけ書く﹂をよくお読みください。出典が示せない=独自研究なら、あなたが奏法を記す必要はありませんし、﹁極限はパガニーニ﹂﹁単純ながら熟練を必要とする﹂﹁ボウイングは呼吸と同じ﹂などと記す必要はありません。あなたの執筆・編集は、方針を読んだものとは考え難いものです。 なお、項目に限定されない編集の場合は、項目別に何度も編集するのではなく、記事を一括で編集することをお薦めします。また、︵︶を半角で入力するのはご遠慮ください。--Wikied 2009年4月19日 (日) 19:18 (UTC)
”﹁独自研究は載せない﹂﹁検証可能なことだけ書く﹂をよく読んでください。”との事ですが、﹁信頼できる情報源﹂﹁﹁真実かどうか﹂ではなく﹁検証可能かどうか﹂﹂一度こちらを良くお読みになってください。そして、これらと﹁独自研究は載せない﹂が矛盾している内容を含んでいる事、﹁信頼できる情報源﹂と、﹁信頼できる資料﹂、﹁﹁真実かどうか﹂ではなく﹁検証可能かどうか﹂﹂が自信に対しても矛盾を含んでいる事に十分留意して下さい。 以上を踏まえた上で、過去の歴史を記述する上において信頼できる情報源の証明が不可能な事が、自明の理である事をご理解ください。過去の歴史において信頼できる情報源として扱われている文献は、過去の人物による﹁一次情報源﹂︵出来事の参加者やその出来事の目撃者によって作られたドキュメント︶で、それらを”信頼できる出版元”として扱えるのであれば、﹁信頼できる資料﹂、﹁﹁真実かどうか﹂ではなく﹁検証可能かどうか﹂﹂と矛盾する事になります。それでもかつ、﹁独自研究は載せない﹂﹁検証可能なことだけ書く﹂に基づき、﹁信頼できる情報源﹂の提示を求める必要性があるのだとすれば、それはそれ自身によって相互に矛盾を引き起こします︵要は、これらの公式な方針における各種の定義が曖昧かつ自己矛盾を含んでいるのです︶。出典を明示してもその信頼性の保障が無いが、しかしそれ無しでは、記事が成り立たないと言う事が上記3つの相互矛盾に当たります。そして、それらの記事の殆んどは、﹁事実﹂の”その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述”に基づいているものが多く、多くの同種の記事が二次情報源が示されていないにも関わらず、それに対して出典が求められていない事から、一次、二次情報源が乏しい、またはその信頼性の保障が曖昧な過去の歴史関係の記事を編集するにおいて、そうした”グレー”な部分を含まなければ成り立たないという事は、自明です。 少なくともヴァイオリンの奏法や出生については、様々な研究者があらゆる仮説を唱えていますが、依然それは仮説でしか無く研究者の文献の間でも大まかに合致する所もあれば、意見が分かれている所も幾つかあります︵*︶。ですので、”この文献があるからこれが正しい”と記載する事は、﹁何が排除されるか﹂の”発表済みの情報の個人的分析や解釈、そして自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する論証や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・合成するようなことも排除します。”に該当する事になります︵上記から分かるようにこれも矛盾を含んでいます︶。しかし、その部分の記述は、大抵の過去の歴史関係の同種の記事において根幹を成すものである場合が多く、その部分を削除してしまうと、記事そのものが成り立たなくなる︵意味を成さなくなる︶という事が多いのです。︵これから分かるように﹁独自研究は載せない﹂は自己矛盾します。︶例えば、﹁極限はパガニーニ﹂﹁単純ながら熟練を必要とする﹂﹁ボウイングは呼吸と同じ﹂は、﹁事実﹂の”その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述”であり、”事実や、意見についての事実は主張してください。”に当たるという事です。︵そして、これが”検証可能性”、”独自研究は載せない”、”信頼できる情報源”の矛盾だと言う事です。︶ ︵*︶本文の参考文献を参照してください。
それとは別に、私自信、ヴァイオリンの記事において出典を示してほしいと思う部分が幾つかありましたが、それには、{{要出典}}や{{要出典範囲}}は貼付されずに、他の部分に大量に貼付されているのが気になりました。利用者‐会話:Wikied#出典要求の仕方でsergeiさんに指摘されているように、大量の記述に対して出典を要求する場合には{{出典の明記}}などのテンプレートを用い、詳細はノートにおいて議論して頂ける様お願い致します。--203.202.219.196 2009年4月20日 (月) 21:01 (UTC)
自明、自明とおっしゃいますが、合意しかねます。仮に何らかの矛盾が基本的な方針にあったとしても、出典を示さない根拠とはなりえません。誰も、“この文献があるからこれが正しい”とはいっていません。
﹁例えば、﹁極限はパガニーニ﹂﹁単純ながら熟練を必要とする﹂﹁ボウイングは呼吸と同じ﹂は、﹁事実﹂の”その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述”﹂とのことですが、その判断は妥当なものでしょうか。甚だ疑問です。ボウイングに関していえば、例えば﹁ボウイングはヴァイオリン演奏にとって重要﹂とあるなら共通認識といえるでしょう︵記載に値するかは別問題ですが︶。しかし、これが単純云々、﹁呼吸と同じ﹂といわれると独自性を感じずにはいません。パガニーニに関しても、代表的なヴィルトゥオーゾとはいえても、﹁極限﹂が出典不要の共通認識といえるのかは疑問です︵また、仮に極限という見解があっても、記事との関連性や﹁大言壮語はしない﹂から、必要な記述とは思われません︶。
出典の信憑性を検証するにしても、出典が明示されなければ始まりません。今回の主張は、出典を示さないための曲解にしか見えないというのが正直なところです。
当方との見解の相違が解消できない可能性もあるので、他の方の意見を待ちたいと思います。
︵前回に引き続いて恐縮ですが、独自の表記――例えば引用符の終点と終点を合わせる︵”・・・”︶――は改めていただきたくお願いします。︶--Wikied 2009年4月21日 (火) 11:24 (UTC)
Wikiedさんは、﹁例えば、﹁極限はパガニーニ﹂﹁単純ながら熟練を必要とする﹂﹁ボウイングは呼吸と同じ﹂は、﹁事実﹂の”その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述”﹂とのことですが、その判断は妥当なものでしょうか。甚だ疑問です。との事ですが、203.202.219.196さんが示された参考文献は参照なさいましたか?比較的入手しやすい部類なので、その判断は妥当なものでしょうか。甚だ疑問です。とおっしゃる前にまず、幾つかの文献を当たってみるのが賢明でしょう。しかし、これが単純云々、﹁呼吸と同じ﹂といわれると独自性を感じずにはいません。パガニーニに関しても、代表的なヴィルトゥオーゾとはいえても、﹁極限﹂が出典不要の共通認識といえるのかは疑問です︵また、仮に極限という見解があっても、記事との関連性や﹁大言壮語はしない﹂から、必要な記述とは思われません︶。そう思われるのでしたら、{{要出典}}や{{要出典範囲}}を大量に用いるのではなく、ご自身で改稿なされるか、削除依頼をなされてはいかがでしょうか?Wikiedさんは、203.202.219.196さんに指摘されている、大量の記述に対して出典を要求する場合には{{出典の明記}}などのテンプレートを用い、詳細はノートにおいて議論して頂ける様お願い致します。について何も返答しておられない様ですが、どの様にお考えですか?--163.51.20.52 2009年4月21日 (火) 12:10 (UTC)
把握できた限りの出典を提示。
パガニーニの曲が超絶技巧を要する事、単純な動作であるがボウイングが熟練を要する事は、著名とされる人物の著書に同様な記載されている事柄なので﹁事実﹂の”その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述”﹂として差し支えないと思います。Wikiedさんは、こちらを一度良くお読みになってください。自分が知らないからといって、その主題が﹁事実﹂の”その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述”﹂かどうか妥当ではないと考えるのはいかがな物でしょうか。自分が知らないから出典要求を出しているという感じが否めません。
その他削除するにしても、一旦ノートでの議論、削除依頼をお願い致します。--210.1.178.28 2009年4月25日 (土) 23:26 (UTC)
ヴァイオリン音楽の形成のコメントアウトについて。[編集]
当時斬新だった、輝かしい技巧によって独奏ヴァイオリンを最大限際立たせる様に作曲<ref>ハーモニクス、ダブル・ハーモニクス、アルペッジョ・ディ・ピッツィカーティ、効果的な音響が考慮された左手ピッツと弓による素早い連携、重音奏法︵ダブル・ストップ︶の長いパッセージによる音響効果技法、素早いパッセージの中の音響効果技法、Sul Gにおけるメロディ構成方法、10度の和音、スタッカート・ヴォラン︵フライイング・スタッカート︶やリコシェ・サルタート等の跳弓、高速連続アルペジオ、上昇から半音階の急激な下降をするアルペジオ、等</ref>をだらしない文章でない様に編集できる方、編集加筆をお願い致します。
編集意図[編集]
コメントアウトした者です。念のため、当方の編集意図を記しておきます。 上記、﹁輝かしい技巧﹂や注による具体的な奏法などの羅列を、210.1.178.28氏の主観、独自研究と判断しました。特に後者は、出典不要の共通認識とするには無理のある具体性と思われます。また、パガニーニに関する記述を過剰修飾するもので、記載の必要性に乏しいと考えました。--Wikied 2009年4月26日 (日) 12:49 (UTC) ”あなた独自の見解”でコメントアウトや削除をなさる前に利用者‐会話:Wikied#荒らし行為をやめてください。で再三申し上げています様にまずノートにて議論してください。出典不要の共通認識とするには無理のある具体性これはあなた独自の見解による判断で中立的な観点とは言い難いです。論争相手との合意がうまくいかない場合は、他の人々に問題を公表することで、合意を目指す方法があります。Wikipedia:論争の解決#ステップ1: 回避が失敗した論争についてはコメント依頼にお知らせ下さい︵参考: 中立的な観点、正確さに疑問がある記事︶。このときも、エチケットと中立的な観点に従うことを忘れないで下さい。--Gluhen 2009年4月26日 (日) 16:29 (UTC)再コメントアウトについて[編集]
Normal氏によって、WP:Vを満たさない記述が復帰されました。文章としても冗長で、不適切と考え再度コメントアウトしました。 異論のある場合は、編集内容の要約としてではなく、ノートにて意見表明していただきたくお願いいたします。--Wikied 2010年9月5日 (日) 13:26 (UTC) WP:Vの改善を求める行動はコメントアウトではなくnowiki>[要出典]</nowiki>。表現の仕方を問題にするなら自身で書き直すか{{wikify}}や{{大言壮語}}。いずれにしろ利用者:Wikiedのだらしない行動を正当化するものではないですね。--Normal 2010年9月5日 (日) 14:05 (UTC) WP:Vに関しては、執筆者の210.1.178.28氏が1年以上対応できないでいるので、タグをつける必要はないでしょう。したがって削除します。 脚注の位置を差し戻されているようですが、当方の変更は他の記事に倣ったものです。--Wikied 2010年9月5日 (日) 14:14 (UTC) 210.1.178.28氏以外記事の編集ができないわけでもなく、出典が探せないわけでもありません。当然利用者:Wikiedにも可能。WP:Vを重視するならなぜ自分で探さないのでしょうか?それに210.1.178.28氏が撤退したのは、参考文献を確認しないまま210.1.178.28氏を疲弊させた利用者:Wikiedによるもの。それを﹁210.1.178.28氏が1年以上対応できないでいるので﹂とか人事のように言うとは、どういう神経してるんでしょうか? 脚注の位置は、出典情報を重視していない他の記事に倣ったということですが、それをするくらいならいっそのこと出典が皆無な他の記事に倣えば良かったのでは?--Normal 2010年9月5日 (日) 14:30 (UTC) それではいい方を変えましょう。﹁210.1.178.28氏以外記事の編集ができないわけでもなく、出典が探せないわけでも﹂ないにもかかわらず、WP:Vについて1年以上改善が見られないので、記載する理由がありません。編集の可能性を口実にするのは詭弁でしょう。 どういう神経云々については、WP:Vにある﹁掲載を希望する側﹂ではないということです。 脚注の位置については意味不明なご意見ですが、貴方のように拘泥はしません。--Wikied 2010年9月5日 (日) 14:43 (UTC) コメントアウトのまま1年放置したのではそれは出典つけてもらえなくて当然でしょう。まあ、﹁いい方に変える﹂とのことですので{{要出典}}つけて1年以上改善を見られないときは削除という方向に変えてもらえるということですね。 掲載を希望する側でなければ何をやってもいいと考える神経をされているということですか。大した神経ですな。 脚注について、拘らないなら出典情報を軽視する方向に最初から拘らなければいいだけの話でしょう。--Normal 2010年9月5日 (日) 14:53 (UTC) ︵インデント戻す︶詭弁にとどまらず、読解に難があるようなので補足します。文脈から判読できますが、﹁良い方に変える﹂の誤植ではなく﹁言い方を変える﹂なので誤解なきよう。 ﹁掲載を希望する側でなければ何をやってもいいと考える﹂だの﹁出典情報を軽視する方向﹂だの、根拠のない敵対︵?︶はご遠慮いただきたいものです。 具体例の執筆者当人が出典を示さない時点でWP:Vに反するのはほとんど自明で、Normal氏の詭弁は明らかに思われますが、妥協案としてタグの設置から1か月待ちます。それでもWP:Vが満たされない場合は、公式方針に則って編集します。詭弁はご遠慮くださいますようお願いいたします。--Wikied 2010年9月7日 (火) 15:42 (UTC) なるほど、単に言葉遊びをしただけだったわけですね。仮にも管理行動をされるかたがその手のつまらないごまかしをされるはずが無いと予断を持っていたもので読み間違えてしまったようですね。まあ言葉遊びにしろ、その無意味さについては前回コメントで指摘していますし、それに対しての反論も無いようですね。1ヶ月間コメントアウトで隠さずに明記した状態で待たれるとのこと。本来始めっからそうされるのが当然のものを妥協案云々とは、まあ利用者:Wikiedの行動としては改善が図られたというところか。 ﹁﹁掲載を希望する側でなければ何をやってもいいと考える﹂だの﹁出典情報を軽視する方向﹂だの、根拠のない敵対︵?︶﹂と言われていますが、210.1.178.28氏に対し行ってきた行動とそれを指摘されても﹁WP:Vにある﹁掲載を希望する側﹂ではないということです。﹂とそれを恥じることの無い態度を受けてのものであることが文脈から読み取ることが出来なかったということですね。さすが、人の読解力不足を指摘されるだけあって大した読解力をお持ちですな。 私の詭弁云々のところは、利用者:WikiedがWP:Vを満たさないものは削除しなければいけないかのように思い込まれているところからくるものでしょう。基本的な考え方については利用者:Wikiedのコメント依頼に書いておきました。その素晴らしい読解能力を駆使してしっかりとご確認下さい。 ところで利用者:Wikiedは﹁具体例の執筆者当人が出典を示さない時点で﹂と言っているが本当に示さなかったのでしょうか?この記事の履歴には210.1.178.28氏が出典の提示をしたのに対し、利用者:Wikiedは[あたかもそれが存在しないかのような行動を続け、210.1.178.28氏はそれを取り消す一連の記録が残されている。またそれと同時にノートで163.51.20.52氏が﹁Wikiedさんは、﹁例えば、﹁極限はパガニーニ﹂﹁単純ながら熟練を必要とする﹂﹁ボウイングは呼吸と同じ﹂は、﹁事実﹂の”その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述”﹂とのことですが、その判断は妥当なものでしょうか。甚だ疑問です。との事ですが、203.202.219.196さんが示された参考文献は参照なさいましたか?比較的入手しやすい部類なので、その判断は妥当なものでしょうか。﹂との質問に利用者:Wikiedは無回答なまま、﹁﹁輝かしい技巧﹂や注による具体的な奏法などの羅列を、210.1.178.28氏の主観、独自研究と判断しました。特に後者は、出典不要の共通認識とするには無理のある具体性と思われます。﹂とあたかも出典提示が存在しなかったかのような発言をされている。利用者:Wikiedは本当に210.1.178.28氏が提示した出典を確認した上で出典が示されていないと言っているのでしょうか?--Normal 2010年9月8日 (水) 14:10 (UTC)節順序について[編集]
節の順序についてですが、Wikipedia:レイアウトの指針に沿った順番に並べ替えました︵差分︶。もしなんらかの特別な理由によりこのガイドラインで定められた原則とは異なる順番にしたほうがいいという方がいらっしゃいましたら、理由を説明した上でお願いします。--貿易風 2010年9月6日 (月) 13:23 (UTC)- 賛成 外部リンクが出典の一部を果たしている場合でしたら、参考文献の中に埋め込むか参考文献の次におくのが望ましいでしょうが、今並べられている外部リンクはそういった類のものではないようですので、レイアウトの指針に従うのが順当なところかと思われ、貿易風さんに賛成します。--Normal 2010年9月6日 (月) 15:32 (UTC)
外部リンク修正[編集]
編集者の皆さんこんにちは、
「ヴァイオリン」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月23日 (土) 02:01 (UTC)