17世紀
千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 16世紀 - 17世紀 - 18世紀 |
十年紀: |
1600年代 1610年代 1620年代 1630年代 1640年代 1650年代 1660年代 1670年代 1680年代 1690年代 |
17世紀︵じゅうしちせいき、じゅうななせいき︶は、西暦1601年から西暦1700年までの100年間を指す世紀。
17世紀の歴史[編集]
この時代のヨーロッパでは小氷期による世界レベルでの寒冷化が原因で17世紀の危機と呼ばれる混乱が生じ、各国で飢饉、戦争、内乱が相次いだ。この結果、イギリスでは清教徒革命と名誉革命が起きて議会政治が、フランスではルイ13世によって絶対王政が確立された。この混乱を免れたオランダは自由貿易により大いに栄えた。ロシア帝国の前身となるロシア・ツァーリ国は未だ西欧化を受けていなかったが、旧宗主国のモンゴル帝国の後継政権諸国を下しつつ東方に勢力を伸ばし、本格的にシベリアで世界最大の版図を築いた。東欧はポーランド・リトアニア共和国が未だ強勢を保ったが、ロシア・ツァーリ国はこの圧力を次第に跳ね返し、ウクライナを奪うことになる。やがてこの動きはスウェーデンとロシアの挟撃によって東欧が西欧とロシアの従属的な地位に転落していく流れを生む。 ヨーロッパから現在における北アメリカ大陸への永久移民が入植した。また、西インド諸島でのプランテーション経営に多くの労働力を必要としたことから、北アフリカ諸地域から黒人奴隷が盛んに連れて来られるようになった︵奴隷貿易、三角貿易︶。さらに、イギリス・オランダなどが東インド会社を設立するなど、ヨーロッパ諸国はアジア、新大陸である現南北米地域との間で交易を活発にした。 アジアでは西アジア︵トルコ︶のオスマン帝国、南アジア︵インド︶のムガル帝国と大帝国が繁栄し、後者では皇帝シャー・ジャハーンが文化を保護し、壮麗なタージ・マハルが建設された。だが、17世後半、オスマン帝国は第二次ウィーン包囲に失敗し、その後に続く大トルコ戦争でもヨーロッパ諸国に敗れ、1699年にカルロヴィッツ条約でヨーロッパ側の領土の大規模割譲を強いられた。一方、ムガル帝国は皇帝アウラングゼーブのもと、それまでの融和路線を事実上打破する形で厳格な宗教政策を取り帝国を統治しようとしたが、マラーターの英雄シヴァージーに幾度となく抵抗された。シヴァージーの死後、アウラングゼーブはデカン戦争で帝国の最大領土を実現したが、マラーター王国との泥沼の戦いに入り、諸地方の反乱が起きるなど帝国は分裂の傾向を隠せずにいた。 東アジアでは建州女直から出たヌルハチが女真系諸国を統一して後金を興し、次のホンタイジの代で北元を征服して国号を大清国︵ダイチン・グルン︶と改め、さらに次代の順治帝は内紛で自壊した明を接収して元の北帰以来続いていたモンゴル高原と中国本土の対立する一種の南北朝時代を解消した。大清国は17世紀後半には康熙帝の登場により最盛期を迎えた。日本では16世紀末の関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康による江戸幕府が開かれ、第2代将軍秀忠の頃になると鎖国政策がとられるようになった。この政策は約240年に渡り続くことになる。17世紀の科学革命[編集]
微分積分学と光学、万有引力などの諸法則・定理を発見したアイザック・ニュートン、望遠鏡を使用して月の表面に凸凹があることや木星に衛星があること、天の川が無数の星の集合であることなど天体に関する様々な発見により天文学に大きく貢献したガリレオ・ガリレイ、惑星の軌道が楕円であることなど天体の運行法則に関するケプラーの法則の提唱やルドルフ表を作り地動説のほうが精密に惑星の運行を計算できることを明示したヨハネス・ケプラーなど科学的な発見が相次ぎ、科学哲学上にも大きな影響を与えたことから科学革命と呼ばれている。 誰にでも検証可能な方法によって自説の正しさを証明するという、科学的方法が用いられるようになったのもこの時期からである。魔女狩りのピークと衰退[編集]
ヨーロッパで15世紀から広がり始めた魔女狩りが、16世紀の終わりから17世紀の中頃にかけてピークを迎えた。一方で、17世紀末には急速に衰退しており、魔女裁判で極刑を科すケースもほとんど見られなくなっている。魔女狩りにより、ヨーロッパ全体で15世紀から18世紀までの間に最大4万人が処刑されたものと考えられている。その他の地域では、北アメリカの植民地でも数は少ないが魔女狩りの例がある︵セイラム魔女裁判など︶。できごと[編集]
1600年代[編集]
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●1601年
●海禁政策をとっていた明王朝下で、マテオ・リッチが北京入城を果たし住居を得る。
●イングランド女王エリザベス1世の寵臣エセックス伯が反逆罪で死刑に処せられる。
●イングランド女王エリザベス1世の﹁黄金演説﹂。
●エリザベス救貧法の制定。
●ロシア大飢饉︵ - 1603年︶。
●蘇州で織傭の変。
●佐渡金山が開山する。
●1602年
●オランダが世界初の株式会社である東インド会社を設立︵オランダ東インド会社︶。
●また同時期に世界初の常設証券取引所としてアムステルダム証券取引所が設置される
●本願寺が西本願寺︵七条堀川︶と東本願寺︵七条烏丸︶に分裂。
●イエズス会宣教師マテオ・リッチが﹁坤輿万国全図﹂を作成する。
●陽明学左派の思想家李卓吾が投獄され、獄中で自殺。
●1603年
●イングランド女王エリザベス1世死去によりテューダー朝断絶。
●スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世として即位し、ステュアート朝による両国の同君連合が成立。
●フルダ魔女裁判︵ - 1606年︶。
●ロシアで帝位僭称者偽ドミトリー1世が出現。
●徳川家康が初代将軍となり、江戸幕府が成立。現存する京都二条城が完成する。
●イエズス会により﹃日葡辞書﹄本編が刊行される。出雲阿国が北野天満宮でかぶき踊りを演じる
●1604年
●顧憲成が無錫で東林書院を復興する。
●朱印船貿易の制度が確立される。生糸輸入に関する糸割符が導入される。
●イエズス会士ジョアン・ロドリゲスにより﹃日本語大文典﹄が出版される︵ - 1608年︶。
●フランス国王アンリ4世によりフランス東インド会社が設立される。
●1605年
●イングランドのガイ・フォークスらが、国王ジェームズ1世らの爆殺を企てるも失敗︵火薬陰謀事件︶。
●マテオ・リッチが﹁開封のユダヤ人﹂の存在についてイエズス会本部に報告する。
●徳川秀忠が江戸幕府第2代将軍となる。
●1606年
●オランダ人ウィレム・ヤンツがヨーロッパ人として最初にオーストラリア西海岸に到達。
●シク教5代目グルのアルジュンがムガル帝国の弾圧を受け死亡する。
●儒学者林羅山とイエズス会日本人修道士不干斎巴鼻庵との﹁地球論争﹂。
●1607年
●イングランドが北アメリカ大陸のジェームズタウンに入植成功。
●アンリ4世がフランス王とウルヘル司教を共同大公とする勅令を出しアンドラ公国が成立。
●パリのセーヌ川にかかるポンヌフが完成する。
●教皇パウルス5世が恩寵と自由意思をめぐるドミニコ会とイエズス会の論争停止を命じる。
●1608年
●フランスがカナダのケベック植民地︵ヴィル・ド・ケベック︶を形成する。
●朝鮮国王宣祖が死去、息子の光海君が即位し、異母弟永昌大君を謀殺し、その母の仁穆王后を廃し幽閉する︵廃母殺弟︶。
●1609年
●己酉約条。 島津氏による琉球王国侵攻︵琉球侵攻︶。
●池田輝政による改修で現存する姫路城天守閣が完成する。
●猪熊事件。
●スペインでのイスラム教徒︵モリスコ︶追放令。
●フーゴー・グロティウスの﹃海洋自由論﹄が刊行される。
●ヘンリー・ハドソンによるマンハッタン島︵現ニューヨーク︶の発見。
1610年代[編集]
詳細は「1610年代」を参照
●1610年
●フランス国王アンリ4世が暗殺される。息子のルイ13世が即位し、王母マリー・ド・メディシスが摂政を務める。
●ガリレオ・ガリレイ﹃星界の報告﹄出版。
●1611年
●後陽成天皇が譲位し、第108代後水尾天皇が即位。
●神聖ローマ皇帝ルドルフ2世が退位させられ、弟のマティアスが即位する。
●スウェーデン王グスタフ・アドルフ︵獅子王︶が17歳で即位。
●イングランドで﹃欽定訳聖書﹄︵ジェームズ王訳︶が出される。
●1612年
●ミーニンとポジャールスキー公の指揮するロシア軍がポーランド軍をモスクワ・クレムリンから追放。
●名古屋城落成。岡本大八事件で有馬晴信が処刑される。大鳥逸平と配下のかぶき者300余名が処刑される。
●1613年
●ロシア皇帝にミハイル・ロマノフが推戴され、ロマノフ朝が成立。
●伊達政宗が支倉常長ら慶長遣欧使節を送る。 大久保長安事件。
●1614年
●大坂冬の陣。
●王母マリー・ド・メディシスによるブロワの三部会。
●以後1789年のフランス革命直前まで100年余にわたり全国三部会は開催されず。
●1615年
●大坂夏の陣により、徳川家康が豊臣氏を滅ぼす︵元和偃武︶。
●武家諸法度︵元和令︶により、反逆・殺害者の追放や城郭修理の報告などが定められる。一国一城令が定められる。禁中並公家諸法度が定められる。
●慶長遣欧使節がスペイン王フェリペ3世や、ローマ教皇パウルス5世と謁見。
●明で皇太子常洛の暗殺未遂事件︵梃撃の案︶。
●1616年
●ヌルハチが後金︵清の前身︶を建国し、初代皇帝となる。
●徳川家康が死去、久能山に葬られる。家康の六男忠輝が改易される。
●オスマン皇帝アフメト1世によりイスタンブールのスルタンアフメト・モスク︵ブルー・モスク︶が完成する︵1609年 - ︶。
●1617年
●フランス元帥コンチーノ・コンチーニ暗殺、ルイ13世の母后マリー・ド・メディシスの失脚。
●徳川家康が日光に改葬され、天海の奏上で﹁東照大権現﹂の称号を得る。
●1618年
●ベーメンでプラハ窓外投擲事件。この事件をきっかけに三十年戦争が始まる︵ - 1648年︶。
●ヴァルテッリーナ戦争︵ - 1637年︶。
●ヨーハン・ジギスムントのもとでプロイセン公国とブランデンブルク選帝侯国が同君連合となる。
●デウリノの和約でポーランドの領土が最大に広がる。
●探検家ウォルター・ローリーの処刑。
●ドルトレヒト会議にて改革派教会からアルミニウス主義︵レモンストラント派︶が排斥される︵ - 1619年︶。
●1619年
●サルフの戦いで、後金のヌルハチが明に勝利する。
●董氏の奴変。
●神聖ローマ皇帝フェルディナント2世が即位。ベーメンではフェルディナントに代わりプファルツ選帝侯が王に選ばれる。
●オランダ東インド会社がバンテン王国からジャカルタを獲得しバタヴィア要塞を建設。
●万里小路事件。
1620年代[編集]
詳細は「1620年代」を参照
●1620年
●フランシス・ベーコンが﹃ノヴム・オルガヌム﹄を刊行する。
●ピルグリム・ファーザーズがメイフラワー号でイングランドから北米のニューイングランド地方へ永久移民。
●白山の戦い︵ビーラー・ホラの戦い︶でベーメン王フリードリヒ1世︵冬王︶が敗北し亡命。
●明の泰昌帝が第15代皇帝に即位、在位1か月で死去のため毒殺の疑いがもたれる︵紅丸の案︶。
●天啓帝が第16代皇帝に即位し、泰昌帝の李選侍︵西李︶が新帝から引き離される︵移宮の案︶。
●徳川秀忠の娘の和子︵後の東福門院︶が後水尾天皇に入内する。
●1621年
●オランダ西インド会社が設立される。
●エチオピア皇帝スセニョス1世がカトリックに改宗︵ - 1632年︶。
●1622年
●長崎でキリシタン55名が処刑される︵元和の大殉教︶。
●宇都宮城釣天井事件。
●サファヴィー朝のアッバース1世がホルムズ島をポルトガルから奪回する。
●オスマン皇帝オスマン2世︵ゲンチ︶がイェニチェリ軍団に殺害される。
●ジェームズタウンの虐殺。
●1623年
●越前国福井藩主松平忠直が改易される、徳川家光が江戸幕府第3代将軍となる。
●朝鮮で西人派の政変により光海君が廃位され、綾陽君李倧が擁立されて仁祖として即位︵仁祖反正︶。
●オスマン皇帝ムラト4世が即位。母后キョセム・スルタンが摂政として国政を担当。
●アンボイナ事件。
●1624年
●リシュリューがフランスの宰相となる。
●オランダ東インド会社が台湾にゼーランディア城(安平古堡)を造営する。
●1625年
●ブレダの開城。
●パリのポール・ロワイヤル修道院が創設される。
●フーゴー・グローティウスの﹃戦争と平和の法﹄が刊行される。
●東林書院が閉鎖され、東林党の楊漣や左光斗が処刑される。
●イエズス会士アルヴァロ・セメドが西安近郊にて﹁大秦景教流行中国碑﹂を実見し報告する。
●天海により天台宗関東総本山の東叡山寛永寺が開山。
●1626年
●蘇州で開読の変。王恭廠大爆発。
●寧遠の戦いで明が後金に勝利。
●紅夷大砲で負傷したヌルハチが死去し、ホンタイジが第2代皇帝として即位。
●教皇ウルバヌス8世がサン・ピエトロ大聖堂の献堂式を行う。
●バンベルク魔女裁判︵ - 1631年︶。
●1627年
●丁卯胡乱。
●明の天啓帝が死去し、宦官魏忠賢が処刑される。
●フランスでラ・ロシェル包囲戦︵ - 1628年︶。フランス宰相リシュリューがヌーベルフランス会社を設立。
●マントヴァ継承戦争︵ - 1632年︶。
●神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の命により、天文学者ヨハネス・ケプラーが﹁ルドルフ表﹂を作成。
●春日局の宮中参内に伴う金杯事件。
●1628年
●イングランド議会が権利の請願を採択。バッキンガム公が暗殺される。
●明の崇禎帝が第17代皇帝に即位。
●華北陝西での大飢饉から各地で農民反乱(李自成の乱・張献忠の乱に発展)。
●1629年
●紫衣事件により沢庵宗彭らが流罪にされる。後水尾天皇が譲位し、第109代明正天皇が即位。
●イングランド王チャールズ1世が議会を解散し、以後11年間議会は開催されず︵ - 1640年︶。
●フランスでアレスの勅令が発せられ、プロテスタントの軍事的権利が剥奪される。
●アチェ国王イスカンダル・ムダのマラッカ遠征がポルトガルに撃退される。
1630年代[編集]
詳細は「1630年代」を参照
●1630年
●マクデブルクの戦い︵マクデブルクの惨劇︶。
●オランダがポルトガル領ブラジルのレシフェを占領︵ - 1654年︶。
●明の崇禎帝の命で袁崇煥が処刑され、内閣大学士の銭龍錫が失脚する。
●山田長政が暗殺され、アユタヤ日本人町が焼き払われる。
●諏訪大社下社春宮の近辺に万治の石仏が建立される。
●フランスで﹁欺かれし者の日﹂事件。
●1631年
●フランス母后マリー・ド・メディシスが再失脚。
●ベールヴァルデ条約が結ばれ、フランスとスウェーデンの軍事同盟成立。
●ブライテンフェルトの戦いで、スウェーデン国王グスタフ2世アドルフが皇帝軍に大勝。
●1632年
●リュッツェンの戦いで、スウェーデン国王グスタフ2世アドルフが戦死。
●王女クリスティーナが女王となり、オクセンシェルナが摂政として補佐する。
●ガリレオ・ガリレイが﹃天文対話﹄を刊行する。
●カンボジアに到達した森本右近太夫一房がアンコール・ワット回廊に墨書を書き残す。
●黒田騒動。
●1633年
●ガリレオ・ガリレイがローマ教皇庁から有罪の判決を受け終身刑を言い渡される。
●ハイルブロン同盟結成。
●料羅湾海戦で、ハンス・プットマンス率いるオランダ東インド会社海軍が鄭芝龍率いる明海軍に勝利。
●長崎のキリスト教徒弾圧で、中浦ジュリアンが殉教、クリストヴァン・フェレイラ︵沢野忠庵︶が棄教する。
●対馬藩国書改竄問題が起こる︵柳川一件︶。
●1634年
●長崎に出島造成。
●将軍家光の弟である駿河大納言徳川忠長が切腹を命じられる。
●鍵屋の辻の決闘︵伊賀越えの仇討ち︶。
●後金のホンタイジが都の瀋陽を盛京︵ムクデン︶と改称。
●神聖ローマ帝国軍総司令官アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインが暗殺される。
●ネルトリンゲンの戦いで皇帝軍がスウェーデン軍らハイルブロン同盟に勝利。
●フランスの﹁ルーダンの悪魔憑き事件﹂で司祭ユルバン・グランディエが処刑される。
●1635年
●アカデミー・フランセーズ創設。
●モンゴル帝国︵チャハル部︶のエジェイが後金に降伏。
●ボルジギン氏のモンゴル帝国が途絶え、元朝伝来の玉璽が後金にわたる。
●武家諸法度改正︵寛永令︶により、参勤交代の制度化と大型船建造が禁止が盛り込まれる。幕府が日本人の渡航と海外からの帰国を禁止する。
●フランス人デスナンビュックがセントクリストファー島からマルティニック島に上陸しこの地をフランス領とする。
●1636年
●ホンタイジが国号を後金から大清に、女真を満洲に改める。
●1607年からこの年までの清の記録は満州語による﹃満文老檔﹄にまとめられる。
●丙子の乱で清が朝鮮に攻撃。
●寛永通宝が鋳造される。
●明銭に替わる本格的な通貨鋳造であり、全国的な流通が実現された。
●日光東照宮の﹁寛永の大造替﹂により陽明門や本殿・拝殿が整備される。
●コサックのイヴァン・モスクヴィチンがロシア人として始めてシベリアを横断しオホーツク海に到達する。
●ハーバード大学がアメリカ最古の大学として創立される。
●1637年
●島原の乱︵ - 1638年︶。
●朝鮮が降伏し、清と三田渡の盟約を締結。明に代わり清の皇帝を認める︵大清皇帝功徳碑︶。
●オランダでチューリップ・バブル事件。
●ルネ・デカルト﹃方法序説﹄刊行。
●ピエール・コルネイユの悲喜劇﹁ル・シッド﹂の上演により﹁ル・シッド論争﹂が起きる。
●1638年
●清が理藩院を設置。
●ライン川沿いのブライザッハ要塞がフランス軍に占領され﹁スペイン街道﹂が寸断される。
●1639年
●フランス人イエズス会士たちがカナダの宣教拠点﹁ヒューロン族の国における聖母マリア︵サント・マリ・オ・ペ・デ・ユーロン︶﹂を設置。
●スコットランドで主教戦争が起こり、﹁三王国戦争︵広義の清教徒革命︶﹂に拡大する。
●日本へのポルトガル船の寄港を禁止する。
1640年代[編集]
詳細は「1640年代」を参照
●1640年
●ポルトガル独立戦争︵喝采戦争 - 1668年︶で、ジョアン4世が即位しブラガンサ朝が成立する。
●カタルーニャで収穫人戦争︵ - 1659年︶。
●イングランドで短期議会、長期議会。
●寛永の大飢饉︵ - 1643年︶。
●1641年
●イングランドで議会の大諫奏。星室庁と高等宗務官裁判所が廃止される。トン税・ポンド税・船舶税が廃止される。
●オランダ商館を平戸から長崎出島に移す。
●1642年
●清教徒革命︵ - 1660年︶。三次にわたるイングランド内戦︵ - 1651年︶が始まり第一次イングランド内戦が勃発︵ - 1646年︶。
●グーシ・ハーンがチベットを再統一し、ダライ・ラマ5世との協力関係を樹立。
●1642年の黄河大洪水︵開封大洪水︶。
●フランスでサン=マール侯爵の陰謀事件。フランス宰相リシュリュー死去。
●1643年
●明正天皇が譲位し、第110代後光明天皇が即位。
●イエズス会宣教師ジュゼッペ・キアラらが筑前国に上陸するも幕府に捕縛される。
●清のホンタイジが死去、フリン︵順治帝︶が第3代皇帝として即位。
●クーバット・イワノフがロシア人として初めてバイカル湖に到達。
●フランス国王ルイ13世死去。ルイ14世が即位し、母后アンヌ・ドートリッシュが摂政、ジュール・マザランが宰相となる。
●1644年
●明清交替。
●李自成が北京を陥落させる。崇禎帝が自殺し明朝滅亡。
●山海関の守将呉三桂が清軍に降伏し、清軍が入関する。
●一片石の戦いで李自成を退去させ、清の摂政王ドルゴンと続いて順治帝が北京に入城。
●李自成軍が西安に逃亡。清が漢民族に対する薙髪令を出す。
●越前国の廻船船員竹内藤右衛門・国田兵右衛門らが満州︵韃靼︶に漂着、清朝支配の北京に連行される︵﹃韃靼漂流記﹄︶。
●マーストン・ムーアの戦い。
●1645年
●ネイズビーの戦い。カンタベリー大主教ウィリアム・ロードが処刑される。
●オスマン帝国とヴェネツィア共和国とのクレタ戦争︵ - 1669年︶。
●ダライラマ5世がラサのポタラ宮殿建設に着手︵ - 1695年︶。
●明の弘光帝の南京政権が崩壊、揚州大虐殺。嘉定大虐殺。湖北省通城県九宮山で李自成が殺害される。
●1646年
●ポルトガル国王ジョアン4世が植民地ブラジルをブラジル公国に昇格させる。
●ヴィジャナガル王国の都ヴェールールがビジャープル王国に包囲され陥落。
●明の隆武帝の福州政権が崩壊。張献忠が四川省塩亭県鳳凰山でホーゲの清軍に射殺される。
●1647年
●ナポリでマサニエッロの反乱。
●明の紹武帝の広州政権が崩壊。
●1648年
●ムガル帝国でタージ・マハル竣工︵1632年 - ︶。
●﹁狂人皇帝﹂と呼ばれたオスマン皇帝イブラヒムが廃位され殺害される。息子のメフメト4世が即位。
●ロシア人探検家セミョン・デジニョフがユーラシア大陸最東端のチュクチ半島デジニョフ岬に到達。
●モスクワの塩一揆により皇帝アレクセイの親政が始まる。
●フメリニツキーの乱によりポーランド・リトアニアからウクライナ・コサックが離脱。
●プラハの戦いとスウェーデン軍のプラハ略奪。
●ヴェストファーレン条約により三十年戦争終結︵ヴェストファーレン体制︶。
●オランダとスイスの独立が承認される。スウェーデン・プロイセン・フランスの領土拡大。
●フランスでフロンドの乱︵ - 1653年︶。
●第二次イングランド内戦。
●プライドのパージ。長期議会の議員が軍により大勢追放、残った議員でランプ議会を形成。
●1649年
●チャールズ1世処刑。イングランド共和国誕生︵ - 1660年︶。
●第三次イングランド内戦︵ - 1651年︶。
●オリバー・クロムウェル、アイルランドへ上陸し征服活動開始︵クロムウェルのアイルランド侵略︶。
●明の遺臣黄宗羲が江戸幕府に反清の援軍要請︵日本乞師︶のため長崎を訪れる。
●ビジャープル王国がタンジャーヴールを征服しヴィジャヤナガル王国を滅ぼす
●ロシア人によりオホーツクに砦が建設され、極東地域で太平洋に面した最初の入植地となる。
1650年代[編集]
詳細は「1650年代」を参照
●1650年
●ダンバーの戦いで、クロムウェル率いるイングランド軍がデイヴィッド・レズリー率いるスコットランド軍に勝利。
●ヤアーリバ朝がポルトガルからマスカットを奪回しオマーン全土を回復。
●インド洋全域を商業圏とし東アフリカ海岸部を勢力下に置く︵オマーン海洋帝国、1696年〜︶。
●広州で庚寅の劫。摂政王ドルゴン死去。
●琉球王尚質の命により羽地朝秀が﹃中山世鑑﹄を編纂、琉球王国初の正史となる。
●1651年
●徳川家光死去、徳川家綱が江戸幕府第4代将軍となる。
●刈谷藩主松平定政の所領返上の申し出と改易。
●慶安の変による由井正雪一派の処刑。
●末期養子の禁が緩和される。
●順治帝の命により摂政王ドルゴンの爵位が剥脱され、同母弟アジゲらが粛清される。
●ロシア系コサックの一派がアムール川畔にアルバジン砦を建設する。
●イングランドが航海条例を制定。ウスターの戦いでイングランド軍がチャールズ1世の息子チャールズ2世を撃退。
●トマス・ホッブズの﹃リヴァイアサン﹄が刊行される。
●ローマのナヴォーナ広場と付随する﹁四大河の噴水﹂が完成する。
●オスマン皇帝メフメト4世の祖母キョセム・スルタンが、皇帝の母トゥルハン・ハティジェに倒される。
●1652年
●第一次英蘭戦争︵ - 1654年︶。
●承応の変。若衆歌舞伎が禁止され、以後は野郎歌舞伎として許される。
●北京で清の順治帝がダライ・ラマ5世と会見する。
●1653年
●クロムウェルがランプ議会︵長期議会︶を解散し、ベアボーンズ議会を招集する。
●﹁統治章典﹂が制定され、クロムウェルが護国卿に就任。
●モスクワ総主教ニーコンの教会改革が始まる。
●オランダ人ヘンドリック・ハメルらが済州島に漂着。以後13年間李氏朝鮮に幽閉される︵﹃朝鮮幽囚記﹄︶。
●1654年
●後光明天皇が死去し、第111代後西天皇が即位。
●中国人僧隠元隆琦が日本に来訪する。
●オランダのデルフトで火薬庫大爆発。
●スウェーデン女王クリスティーナの退位、従兄弟のカール10世が王位を継承。
●レーゲンスブルク帝国議事堂の前で、オットー・フォン・ゲーリケが﹁マクデブルクの半球﹂実験を行う。
●1655年
●北東欧の覇権をめぐる北方戦争が起こる︵ - 1661年︶。
●スウェーデン軍のワルシャワ占領により、ポーランドの﹁大洪水時代﹂始まる︵ - 1660年︶。
●前スウェーデン女王クリスティーナがカトリックに改宗しローマに定住。
●イギリス海軍がスペイン領ジャマイカを占領。
●ピエモンテ渓谷のワルドー派虐殺。
●後水尾院の命で比叡山麓に修学院離宮が造営される。
●1656年
●キョプリュリュ・メフメト・パシャがオスマン帝国大宰相に就任し改革を断行︵キョプリュリュ時代の始まり︶。
●フランスで一般施療院令が出され、男性用のビセートル病院と女性用のサルペトリエール病院が創設される。
●バルーフ・デ・スピノザがアムステルダムのユダヤ人共同体からヘーレム︵破門︶を受ける。
●1657年
●明暦の大火︵振袖火事︶。大火の死者の供養のため両国回向院が建立される
●水戸藩主徳川光圀の命により﹃大日本史﹄の編纂が始まる︵ - 1906年︶。
●イングランドで﹁統治章典﹂が廃止され﹁謙虚な請願と勧告﹂が制定される。
●オリヴァー・クロムウェルがイングランドからのユダヤ人追放令︵1290年 - ︶を解除。
●1658年
●ムガル皇帝シャー・ジャハーンが幽閉され、帝位継承争いに勝利したアウラングゼーブが即位。
●フランソワ・パリュとピエール・ランベール・ド・ラ・モットによりパリ外国宣教会が組織される。
●ポルトガル領セイロンをオランダが占領︵オランダ領セイロン︶。
●スウェーデン軍が﹁氷上侵攻﹂でデンマーク首都コペンハーゲンを包囲し、ロスキレ条約を締結。
●護国卿オリヴァ-・クロムウェルが死去、息子のリチャード・クロムウェルが護国卿となる。
●1659年
●ピレネー条約の締結でスペインの没落が決定的となる。
●フランスがセネガルに植民地サン=ルイを建設。
●中国人儒学者朱舜水が日本に来訪する。
1660年代[編集]
詳細は「1660年代」を参照
●1660年
●ブレダ宣言からイングランドで王政復古がなされ、国王チャールズ2世が即位。
●免責・大赦法が成立するも、﹁王殺し︵レジサイド︶﹂に関与した人物には極刑が執行される。
●チャールズ2世のもとイングランド王立協会(ロイヤル・ソサエティ)が設立される。
●フランス王ルイ14世とスペイン王女マリー・テレーズの結婚。
●1661年
●清の康熙帝が第4代皇帝に即位。遷界令を出す。
●ビルマに逃れた南明の永暦帝が捕縛され処刑される。
●隠元隆琦が宇治の黄檗山萬福寺を開山。
●イエズス会士ヨハン・グリューバーらが北京からヨーロッパ人として初めてチベットの都ラサに到達。
●フランス宰相マザラン死去、国王ルイ14世の親政始まる。
●大蔵卿ニコラ・フーケが失脚する。
●王立舞踏アカデミーが設置される︵パリ・オペラ座バレエ団の始まり︶。
●イングランドで騎士議会が召集される。
●宣教師ジョン・エリオットによるアルゴンキン語訳新約聖書が刊行される︵最初のアメリカ先住民族の諸言語訳聖書︶。
●1662年
●幕府の命により林鵞峰らによる﹃本朝通鑑﹄の編纂が始まる。
●ゼーランディア城包囲戦に勝利した鄭成功がオランダ人を駆逐し台湾を占領。
●イングランド王チャールズ2世とポルトガル王女キャサリンの結婚。
●この結婚でインドのボンベイ・北アフリカのタンジールがイングランド領になる。
●1663年
●後西天皇が譲位し、第112代霊元天皇が即位。
●武家諸法度改正︵寛文令︶により、キリスト教禁教が明文化される。
●レーゲンスブルクが神聖ローマ帝国の﹁永続的帝国議会﹂開催地となる︵ - 1806年︶。
●イングランドでアフリカ・ギニア産の金を原料とする金貨ギニーが製造される︵ - 1813年︶。
●1664年
●コルベールによりフランス東インド会社が再建される。
●楊光先の批判によりイエズス会士アダム・シャールが投獄される︵康熙の暦獄︶。
●1665年
●第二次英蘭戦争︵ - 1667年︶。
●ポルトガルがコンゴ王国に侵攻しアンブイラの戦いで勝利。
●アイザック・ニュートンが万有引力を発見︵古典力学の創始︶。
●諸宗寺院法度と諸社禰宜神主法度が出される。水戸藩主徳川光圀が明の遺臣朱舜水を招聘する。
●1666年
●イングランドでロンドン大火・ペスト流行・ノースフォアランド沖の海戦︵第二次英蘭戦争︶。
●この年は事件が続発したのでイングランドでは﹁驚異の年︵アヌス・ミラビリス︶﹂と呼ばれる。
●フランスで地中海と大西洋をつなぐミディ運河が着工される。
●マラータの指導者でプランダル城主シヴァージーがアーグラにてムガル皇帝アウラングゼーブと会見するが決裂に至る。
●オスマン帝国内のユダヤ教救世主を名乗っていたシャブタイ・ツヴィがイスラム教に改宗する。
●儒学者であり軍学者である山鹿素行が播磨国赤穂藩へ流罪となる。
●1667年
●ネーデルラント継承戦争︵ - 1668年︶。
●オランダがゴワ王国に勝利し、スラウェシ島のマカッサルを征服。
●ブレダの和約でオランダからイングランドは北米のニューネーデルラントを獲得。
●ジョン・ミルトンの﹃失楽園﹄が刊行される。
●アンドルソヴォ条約で、ウクライナのコサック国家はドニエプル川を軸に分割され、ロシアはキエフと左岸ウクライナを獲得。
●1668年
●世界最古の中央銀行であるスウェーデン国立銀行が設立される。
●ソロヴェツキー修道院における反乱︵ - 1676年︶。
●1669年
●シャクシャインの戦い。
●清でオボイが失脚し、康熙帝の親政が始まる。
●スチェパン・ラージン︵ステンカ・ラージン︶率いるコサック軍がカスピ海沿岸のサファヴィー朝支配地を略奪。
1670年代[編集]
詳細は「1670年代」を参照
●1670年
●フランス王ルイ14世とイングランド王チャールズ2世のドーヴァー密約。
●ロシアでスチェパン・ラージンの反乱︵ - 1671年︶。
●1671年
●イギリス人ヘンリー・モーガン率いる海賊が旧パナマ市を壊滅させる。
●河村瑞賢が東廻海運・西廻海運を開発する。
●寛文事件︵伊達騒動︶。
●1672年
●第三次英蘭戦争︵ - 1674年︶。オランダ侵略戦争︵ - 1678年︶。
●オランダの政治指導者デ・ウィット兄弟︵兄コルネリスと弟ヨハン︶が民衆に虐殺される。
●オスマン帝国がウクライナのポドリア︵ポジーリャ︶を占領。この時期にオスマン帝国の領土は最大となる。
●エルサレム公会議で、東方正教会がプロテスタントの教理を否定。
●浄瑠璃坂の仇討。
●1673年
●清で三藩の乱が起こる︵ - 1681年︶。
●備後国芦田川の洪水で草戸千軒が埋没する。三井高利が江戸に越後屋呉服店を開業。岩国藩主吉川広嘉の命により錦帯橋が建設される。
●ムガル皇帝アウラングゼーブによりラホールに世界最大級のバードシャーヒー・モスクが完成する︵1671年 - ︶。
●フランス東インド会社がインドでの拠点ポンディシェリを獲得。
●イングランド船リターン号が長崎に来航し、江戸幕府に貿易再開を求めたが、幕府は上陸を拒絶。
●イングランドで審査法の制定。
●1674年
●寛永通宝4貫=金一両と定め、古銭の通用を停止する。江戸市中の非人を改める。
●関孝和が﹃発微算法﹄を出版。
●シヴァージーがマラーター王国を建国。
●1675年
●スコーネ戦争︵ - 1679年︶。
●ロンドン近郊にグリニッジ天文台が設立される。
●1676年
●天文学者オーレ・レーマーが初めて光速度を測定。
●スペインで国王カルロス2世の異母兄フアン・ホセ・デ・アウストリアの政変が起こる。
●1677年
●美濃郡上藩の農民が江戸に越訴。郡上藩で増徴派と減租派の家中騒動始まる︵延宝郡上一揆︶。
●バールーフ・デ・スピノザの遺稿が﹃エチカ﹄として出版される。
●1678年
●イングランドでカトリック陰謀事件。
●ジョン・バニヤン﹃天路歴程﹄第一部が刊行される。
●エリアス・アシュモールのコレクションが﹁驚異の部屋﹂として公開される。
●これが1683年に世界初の大学図書館であるアシュモリアン博物館に発展する。
●スコットランドでカヴェナンターの反乱。以後スコットランドの﹁殺戮時代﹂が始まる。
●ベルギー人宣教師ルイ・エネパンがヨーロッパ人として最初にナイアガラの滝に到達する。
●1679年
●ムガル皇帝アウラングゼーブが非イスラム教徒に対する人頭税ジズヤを復活させる。
●フランスで国王ルイ14世の寵姫ら宮廷を巻き込む﹁黒ミサ事件﹂が起こる
●イングランドで人身保護法の制定。
1680年代[編集]
詳細は「1680年代」を参照
●1680年
●徳川綱吉が江戸幕府第5代将軍となる。大老酒井忠清が解任される。
●シヴァージーが死亡し、息子サンバージーがマラーター王となる。
●ヌエバ・エスパーニャでポペ率いるプエブロの反乱。
●1681年
●ムガル皇帝アウラングゼーブがマラーター王国を打倒するため、デカン地方へ自ら遠征。デカン戦争の勃発。
●フランス軍のストラスブール占領︵ストラスブールの降伏︶。
●フランスでドラゴナードによるプロテスタントの迫害。
●将軍綱吉による越後騒動の直裁により、越後高田藩が改易される。
●将軍生母桂昌院の発願により江戸に護国寺が創建される。
●井原西鶴の﹃好色一代男﹄が刊行される。この時代を代表する浮世草子の始まり。
●クエーカー教徒のウィリアム・ペンがペンシルベニア植民地を創設する。
●1682年
●ヴェルサイユ宮殿の完成に伴いフランスの宮廷と政府がパリから移動する︵ - 1789年︶。
●モー司教ボシュエが﹁フランス教会の聖職者宣言﹂でガリカニスムを擁護。
●フランス人ロベール=カブリエ・ド・ラ・サールがミシシッピ川からメキシコ湾までの探検を行う。
●ラ・サールはルイ14世の名にちなみこの地域をフランス領ルイジアナと名づけ領有を宣言する。
●ストレリツィ︵銃兵隊︶の蜂起によりソフィア・アレクセーエヴナがロシアの摂政となる。
●1683年
●第二次ウィーン包囲。
●イングランドでライハウス陰謀事件。
●武家諸法度改正︵天和令︶により、殉死の禁止と、末期養子の禁緩和が明文化される。
●天和の大火︵お七火事︶。
●清が澎湖海戦で鄭氏政権を降伏させ、台湾を占領。
●1684年
●清で遷界令が解かれ展界令が出される。
●江戸城内で大老堀田正俊が若年寄稲葉正休に刺殺される。
●渋川春海により貞享暦が導入される。
●フランス軍のジェノヴァ遠征。
●ライプニッツが論文﹃極大と極小に関する新しい方法﹄で微積分について最初の言及を行う。
●1685年
●フランスでナントの勅令廃止︵フォンテーヌブローの勅令︶。
●ブランデンブルクで亡命フランス人プロテスタントを受け入れるポツダム勅令が出される。
●イングランド王チャールズ2世の死去、弟のジェームズ2世が即位。モンマス公の反乱が起こる。
●アルバジン包囲戦で、清朝とロシアが激突︵ - 1687年︶。
●1686年
●服忌令を改訂︵ - 1693年︶。
●アユタヤ朝タイ王国の大使としてチャオプラヤー・コーサーパーンがフランスに派遣され、ルイ14世に謁見する。
●1687年
●生類憐れみの令︵この後、1708年まで繰り返し出される︶が出され、田畑永代売買禁止令も再び出される。
●後西天皇が譲位し、第113代東山天皇が即位し、200余年ぶりに大嘗祭が復活する。
●アイザック・ニュートンが﹃プリンキピア﹄にてニュートン力学を発表。
●シャルル・ペローの頌詩﹁ルイ大王の世紀﹂をきっかけに﹁新旧論争︵querelle des anciens et des modernes︶﹂が始まる。
●教皇インノケンティウス11世が教令﹁チェレスティス・パストル﹂によりキエティスムを断罪。
●オスマン帝国との戦争中にヴェネツィア軍がアテネのパルテノン神殿を大破させる。
●イエズス会士フィリップ・クプレらにより﹃論語﹄他の中国古典のラテン語訳がパリで出版される
●1688年
●イングランドで名誉革命。
●イングランド国王ジェームズ2世が国外逃亡し、オラニエ公ウィレムがイングランド上陸。
●オラニエ公夫妻が国王ウィリアム3世・メアリ2世の共同統治者として即位。
●大同盟戦争︵ファルツ継承戦争︶が起こる︵ - 1697年︶。
●1689年
●イングランド王ウィリアム3世・メアリ2世が﹁権利宣言﹂に署名。これをもとに﹁権利章典﹂が発布される。
●清とロシアの国境がネルチンスク条約で定まる。
●ロシアの摂政ソフィア・アレクセーエヴナが失脚する。
●サンバージーがアウラングゼーブに敗れ、拷問の末に処刑される。弟ラージャーラームがマラーター王となる。
●松尾芭蕉が後に紀行文﹃おくのほそ道﹄としてまとめられる東北・北陸への旅に出立する。
●長崎に唐人屋敷が作られ清人の居住を制限する。
1690年代[編集]
詳細は「1690年代」を参照
●1690年
●ジョン・ロックの﹃統治二論﹄が刊行される。
●1691年
●長崎出島オランダ商館勤務のドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルが江戸城にて将軍綱吉に謁見。
●上野忍岡の孔子廟が移され湯島聖堂が完成する。
●1692年
●セイラム魔女裁判。
●グレンコーの虐殺。
●ハノーファー公エルンスト・アウグストが選帝侯となる︵ハノーファー選帝侯︶。
●教皇インノケンティウス12世が教皇勅書﹁ロマーヌム・デチェット・ポンティフィチェム﹂でネポティズム禁止を規定。
●イギリスで対フランス戦の戦費捻出のために国債制度が開始される︵イギリスにおける軍事財政国家の成立︶。
●1693年
●シチリア島東部大地震。
●ポルトガル領ブラジルのミナス・ジェライスで金鉱が発見され、ゴールド・ラッシュが起こる。
●1694年
●イングランド銀行設立。
●ブランデンブルク選帝侯によりハレ大学が創建される。
●1695年
●北京紫禁城太和殿が再建される。
●1696年
●イヴァン5世の死によりピョートル1世が単独のロシア皇帝となる。
●ロシアのピョートル1世がオスマン朝からアゾフ海を獲得。
●ジョーン・モドの戦いで清の康熙帝がジュンガル部のガルダン・ハーンを敗走させる。
●イングランド王ウィリアム3世暗殺未遂事件。
●イギリス東インド会社がウィリアム要塞︵現コルカタ︶を設置。
●エドワーズ・ロイドが海運貿易情報の﹃ロイズ・ニュース﹄を発行。保険引受業者が集結し損害保険のロイズが成立する。
●1697年
●ピョートル1世によるヨーロッパに向けてのロシア大使節団が派遣される︵ - 1698年︶。
●ザクセン選帝侯アウグスト2世がポーランド王に選出される。
●ユカタン総督マルティン・デ・ウルスアが最後のマヤ系イツァ族の国家タヤサルを征服する。
●1698年
●ロンドン株式取引所が設立される。
●ロシアでストレリツィ蜂起が起こるが、ピョートル1世に鎮圧される。
●画家英一蝶が三宅島に流罪とされる。
●1699年
●長崎奉行を4名に増員する。
●カルロヴィッツ条約によりオスマン朝がハンガリーを放棄。
1700年代[編集]
詳細は「1700年代」を参照
●1700年
●金銀銭三貨の比価︵金一両=銀六十匁=銭四貫文︶を定める。
●プロイセン科学アカデミーが創設され、ゴットフリート・ライプニッツが初代会長となる。
●大北方戦争で、スウェーデンとロシアが戦う︵ - 1721年︶。
●イングランドでキャラコ輸入禁止法が出される。
●カナダからカリフォルニアに至る北アメリカ大陸太平洋沿岸部でカスケード地震。
●現地住民による文献記録は存在しないが、日本側の﹁みなしご津波﹂の記録で日時は判明している。